奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 第三回口頭弁論の日。

 法廷の空気は、これまでとは質が違っていた。

 静かだが、張り詰めている。誰もが、今日“何かが決まる”と直感しているようだった。

 原告席に座るアデルは、今日も背筋を伸ばしている。視線は揺れず、ただ正面を見ていた。

 その隣に立つクロードは、手元の資料を整えながらも、法廷全体を見渡している。一切の隙がない。

 被告席。
 モーリスは落ち着きなく指を組み替えていた。目の下の隈はさらに濃い。
 弁護士が小声で何かを囁くが、うまく耳に入っていない様子だった。

 傍聴席の端。
 ルイは、いつもの姿勢で座っている。
 だが今日は、わずかに視線が鋭かった。
 “見る”というより、“読む”目だった。

 やがて裁判官が入廷する。

「本日は、証人尋問を行います。証人を」

 法廷の扉が開いた。
 一人の男が、ゆっくりと入ってくる。

 名は――グラシアン・ハウゼン。

 王都中央銀行の一支店を預かる支店長。
 腹回りだけが貫禄を主張する年配の男で、積み上げてきたのは実績より年功と無難な判断だった。

 証言台の前で廷吏が告げる。

「証人グラシアン・ハウゼン。これから述べることは、すべて真実であり、偽りがないことを宣誓しますか」

 ハウゼンは右手を上げ、よどみなく答えた。

「王国法の下、私の証言に一切の虚偽がないことを誓います」

 声は落ち着き、言葉も整っている。
 それだけに、法廷は余計に静かになった。

 クロードが立ち上がる。

「証人ハウゼン。あなたは当時、当該支店の支店長として、アデル・モントレー令嬢の資産移譲手続きに関与しましたね」

「はい。支店長として、最終確認の責任を負う立場にありました」

「その手続きは、令嬢が意識不明である最中に行われた。認識はありますか」

 ハウゼンは一瞬だけ瞬きをする。

「……当時、令嬢のご状態については“詳細は不明”という報告でした。ただ――」

「ただ?」

「ご家族が混乱の中で整理を急いでいる、という事情は共有されていました」

 法廷の空気が、わずかに張り詰める。
 “混乱”という言葉が、あまりにも滑らかに出てきた。

 傍聴席で、ルイの視線がわずかに動いた。
 ハウゼンの口元――その言葉の選び方を、読んでいる。

 クロードは表情を変えずに続ける。

「確認します。通常、本人による意思確認が不可能な案件では、法定代理人、もしくは直系尊属への確認を含め、より厳格な手続きが求められますね」

「……原則としては、そうなります」

「では本件において、昏睡状態にあったアデル令嬢に代わり、実父であるエドモン伯爵への意思確認は行われましたか」

 沈黙が落ちた。

「……記録上は、行っておりません」

 ざわめきが起こりかけ、すぐに押し殺される。アデルは微動だにしなかった。

「その判断を下したのは誰ですか」

 ハウゼンは淡々と答える。

「最終判断は、私です」

 被告席のモーリスの指先が、ぴくりと動いた。

 クロードは、一枚の書類を静かに示す。

「証人ハウゼン。先に提出された内部記録には、こうあります。
『支店長グラシアン・ハウゼンの判断で処理されたが、妥当性に疑義あり』
この記述について、説明できますか」

 ハウゼンの視線が、一瞬だけ泳いだ。
 すぐに持ち直したように見えたが、わずかな揺れは隠せない。

「……本店監査部門が、事後的にそう評価したのだと思われます」

「つまり、銀行内部でも“本来なら通らない処理だった可能性”が認識されていた」

「“可能性”の指摘です。断定ではありません」

 壁を作る返しだった。
 だがクロードは、その壁の“継ぎ目”だけを、確実に押す。

「では、なぜ通したのですか。本人確認がないまま、個人資産の移譲を実行する理由が必要だ」

 ハウゼンの喉が、ごくりと鳴った。

「当時は――」

 言いかけて、止まる。
 その一瞬の間が、法廷の全員に意味を与えた。

「当時は、何でしたか」

 クロードの声は低く、静かだった。
 ハウゼンは言葉を整え直す。

「……ご家族からの要請が強く、時間的猶予がないと判断しました」

 クロードは畳みかけない。
 逆に、淡々と問いを置く。

「“ご家族”とは、誰ですか」

 ハウゼンの瞳が一瞬だけ揺れる。

「……伯爵家の代理として来られた、モーリス卿です」

 法廷の空気が、目に見えて冷えた。
 被告席のモーリスが、息を詰めたのが分かる。

 クロードは、ほんのわずかに間を置く。

「証人ハウゼン。あなたは事前の聞き取りで、“混乱していた”と繰り返している。
その文言は、あなた自身の判断から出た言葉ですか」

「……事実として、混乱はありました」

「“混乱”という言葉を、誰が最初に持ち込みましたか」

 ハウゼンの唇が、わずかに硬くなる。
 沈黙のあと、慎重に答えた。

「……モーリス卿から、そのような説明を受けました」

 法廷に、抑えきれないざわめきが走った。

 クロードはそこで、初めて視線を被告席へ向ける。

「つまり、本人確認のない移譲手続きを通すために、“混乱”という説明が都合よく使われた可能性が高い」

「それは推測です」

 ハウゼンは抑えた声で言った。
 だが、すでに遅かった。

 ルイは傍聴席で、静かに息を吐いた。
 ハウゼンの言葉の“整い方”が、逆に何を守っているのかを語っている。

(……繋がったな)

 裁判官が低く告げる。

「被告、発言はありますか」

 モーリスは口を開いた。
 だが声が出ない。喉が震え、唇だけが動く。

「………」

「無いようなら、続いて、銀行側の証人を」

 廷吏の声とともに、法廷の扉が開いた。
 入ってきたのは、四十代半ばほどの男だった。

 整えられた口髭、落ち着いた身のこなし。
 名は――アルベール・ドゥラン。

 王都中央銀行 本店監査部門責任者。
 各支店の高額取引や名義変更を、後日照会・精査する立場の人物だった。

 証言台に立つと、廷吏が宣誓を求める。
 アルベールは右手を上げ、よどみなく答える。

「王国法の下、私の証言に一切の虚偽がないことを誓います」

 クロードが立ち上がる。

「証人ドゥラン。あなたは本件の名義変更について、後日、内部照会を行っていますね」

「はい。問題の取引は、支店から本店へ報告が上がってきました」

「どのような内容でしたか」

「昏睡状態にあったアデル令嬢の個人資産が、郵送書類のみで叔父に移管された件です。
通常であれば、必ず委任者本人への確認が必要な事案でした」

 クロードは淡々と続ける。

「確認は行われましたか」

「いいえ。記録上、その形跡はありません」

 法廷の空気が一段重くなる。

「支店側の処理について、どのように評価しましたか」

 アルベールは迷いなく答える。

「重大な確認義務違反です。本来であれば、即時差し止めが必要な手続きでした」

 クロードは一枚の書類を掲げる。

「これが、その写しです」

 裁判官が目を通す。

「記録には、こうありますね。
『支店長グラシアンによる判断で処理されたが、妥当性に疑義あり』」

 アルベールは静かに頷く。

「その通りです」

 クロードは視線を被告席へ向ける。

「つまり銀行内部でも、“本来なら通らない処理”だったと認識されていた」

「はい」

「それでも実行された」

「はい」

 モーリスの顔から、血の気が引いていく。

 アデルは静かにその場を見つめている。
 感情を差し挟まず、事実だけが語られる瞬間を受け止めようとしている。

 その視線に、モーリスは耐えられず、顔を伏せた。

 裁判官の木槌が鳴る。

「証言は記録されました。本件は、被告の行為と併せ、銀行側の重大な確認義務違反の有無も含めて、慎重に審理する必要があります」

 第三回口頭弁論は、そこで閉廷となった。

 



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