奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

文字の大きさ
69 / 172

69

 第四回口頭弁論。

 法廷の空気は、これまでとは明らかに違っていた。
 ざわめきはなく、張り詰めた静寂だけが満ちている。

 誰もが悟っていた。
 今日で、この裁判の行方は決まると。

 原告席のアデルは、肩までの髪を一つにまとめ、黒のワンピースに身を包んでいた。
 背筋をまっすぐに伸ばし、指先を静かに重ねている。視線は揺れない。

 その隣に立つクロードは、今日に限って資料をほとんど持っていなかった。
 もう、提出すべきものはすべて出し切っている。

 被告席。
 モーリスは、まるで一晩で十年老けたように見えた。視線は落ち着かず、呼吸も浅い。

 傍聴席の端では、ルイが静かに座っている。
 その目は、裁判官だけを見据えていた。

 開廷が告げられる。

「本日は、これまでの証言および証拠を踏まえ、最終確認に入ります」

 裁判官の声には、すでに結論を含んだ響きがあった。

「被告モーリス・モントレー」

 名を呼ばれ、モーリスの肩がびくりと跳ねる。

「あなたは、エドモン伯爵名義の書類を用いて銀行で名義変更を行った。
 しかし、その書類の真正性は確認されていない」

 モーリスは口を開こうとするが、声が出ない。

「さらに、仲介人に対し、証言内容を“整理する”よう働きかけた」

 法廷が静まり返る。

「これは単なる手続き上の過失ではない。意図を伴う行為と判断せざるを得ない」

 被告側弁護士が立ち上がる。

「裁判長。被告は家を守ろうとしただけであり――」

 裁判官の声が、それを遮った。

「守るという理由が、法を踏み越える根拠にはならない」

 その一言で、場の空気が完全に止まる。

 クロードが静かに一歩前へ出た。

「裁判長。本件は、単なる財産問題ではありません」

 法廷の視線が集まる。

「昏睡状態にあった女性の財産が、本人の意思確認もないまま移転された。これは明確な権利侵害です」

 声は低く、しかしはっきりと響いた。

「そして、その行為が計画性を伴っていたことは、証言により明らかになっています」

 それ以上、クロードは語らない。
 語る必要がないことを、理解していた。

 裁判官の視線が、アデルへ向く。

「原告アデル・ドルン。最後に、述べたいことはありますか」

 法廷が息を呑む。
 アデルは、ゆっくりと立ち上がった。

「……私は」

 静かで、よく通る声だった。

「祖父が私に託したものを、事実に基づいて返していただきたいだけです」

 モーリスの顔が、わずかに動く。
 そこに感情は込めない。

「それが、正しいことだと信じています」

 それだけを述べ、静かに腰を下ろした。
 その姿から、誰も目を逸らせなかった。

 裁判官が木槌を手に取る。

「判決は、次回期日に言い渡す」

 その言葉は、実質的な宣告に等しかった。

「本件において、被告の行為には重大な違法性が認められる可能性が高い」

 モーリスの顔から、完全に血の気が引く。

 木槌が鳴り、閉廷となった。

 立ち上がる人々のざわめきの中、ルイは静かに目を閉じる。

(……ここまでだ)

 だが、その思考はすぐに次へ向く。

(次は、ヤツが動く)

 静かに立ち上がり、法廷を後にする。
 その背中に、焦りも迷いもなかった。

 原告席で、アデルはゆっくりと息を吐いた。
 クロードが小さく告げる。

「終わった。帰ろう」

 その瞳には、わずかな気遣いが宿っている。
 アデルは静かに頷いた。

 傍聴席では、ロイクが静かに拳を握り、隣に座るリセラは目を真っ赤にして頷いている。

 誰も声を出さない。
 だが全員が理解していた。

 ――この戦いは、すでに勝敗が決しているのだと。


***


 その夜。
 モントレー伯爵邸の空気は、重く淀んでいた。

 誰もが声を潜め、使用人たちでさえ廊下を歩く足音を消している。
 邸全体が、嵐の前のような不穏さに包まれていた。

 その中心にいるのは、モーリスだった。

 執務室の中で、彼は椅子に崩れるように身を沈めている。
 机の上には、弁護士から届いた書簡が置かれていた。
 そこに記されていたのは、はっきりとした一文。

 ――「判決は、ほぼ覆りません」

「……そんなはずはない」

 かすれた声が、虚しく室内に落ちる。

「私は、家を守っただけだ……」

 だがその言葉には、もはや自分を納得させる力すらなかった。指先が小刻みに震えている。

 そこへ、扉を叩く音がした。

「旦那様」

 執事の声だった。

「……何だ」

「匿名の使いが、書簡を置いていきました」

 苛立ちながら受け取り、封を切る。
 差出人の名はない。

 中の紙を開いた瞬間、モーリスの目が見開かれた。

 そこには、たった一行だけ記されていた。

【これ以上、余計なことをするな】

 血の気が引き、顔色が変わる。

(この“助言者”は……一体、誰だ……)

 これまで自分に助言を与えてきた存在。
 名も知らない。だが確実に、自分を動かしてきた者。

「……切られる」

 その事実に、ようやく気づく。

 自分は、駒に過ぎなかったのだと。





 同じ頃。

 ルイの執務室。
 窓の外は、深い夜に沈んでいる。

「……来たな」

 低い声が落ちる。
 室内の空気がわずかに揺れ、ノクスが姿を現した。

「モーリスのもとに、警告が届いた」

「ああ。思ったより早かったな」

 ルイは椅子に深く腰を預け、ノクスに視線を向ける。ノクスは真っ直ぐにルイを見つめて続けた。

「黒幕は、モーリスを切る準備に入った」

「証拠ごと、消すつもりだろうな」

 ルイの呟きに、ノクスが目を細める。

「ああ。抜かりなくやるはずだ」

 ルイは、わずかに笑った。

「裁判は表に出ている部分に過ぎない。本命はここからだ」

 黒幕は、確信をもって動き出した。
 そして同時に、ルイもまた動き始めていた。

あなたにおすすめの小説

真実の愛の裏側

藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。 男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――? ※ 他サイトにも投稿しています。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした

ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?  ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です

柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。 そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。 真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。 けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。 「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」 彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。 アンリは実は、亡き国王の婚外子。 皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。

片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた

アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。 高校生くらいから何十回も告白した。 全て「好きなの」 「ごめん、断る」 その繰り返しだった。 だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。 紛らわしいと思う。 彼に好きな人がいるわけではない。 まだそれなら諦めがつく。 彼はカイル=クレシア23歳 イケメンでモテる。 私はアリア=ナターシャ20歳 普通で人には可愛い方だと言われた。 そんなある日 私が20歳になった時だった。 両親が見合い話を持ってきた。 最後の告白をしようと思った。 ダメなら見合いをすると言った。 その見合い相手に溺愛される。

【完結】愛する人のために

月樹《つき》
恋愛
カスペル公爵令嬢デルフィーヌは、幼い頃その愛くるしい笑顔に一目惚れしたクリストファー王子に請われ、彼の婚約者となった。 けれど王子妃としての厳しい教育を受けるうちに、彼が好きだった笑顔は滅多に見られなくなり…気がつけば彼の側には、デルフィーヌではなく屈託なく笑う平民の聖女アネモネの姿を見かけるようになる…。 『あなたのために、私は無邪気な笑顔もなくしたのに…』 このお話は愛する誰かのために生きる人達のお話です。 三部仕立てで、お話はそれぞれの視点で描かれております。 ※他サイトでも投稿しております。

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

【結婚式当日に捨てられました】身代わりの役目は不要だと姉を選んだ王子は、隣国皇帝が私を国ごと奪いに来てから後悔しても手遅れです。

唯崎りいち
恋愛
結婚式当日、私は“替え玉”として捨てられた。 本物の姉が戻ってきたから、もう必要ないのだと。 けれど—— 私こそが、誰も知らなかった“本物の価値”を持っていた。 世界でただ一人、すべてを癒す力。 そして、その価値を知るただ一人の人が、皇帝となって私を迎えに来る。 これは、すべてを失った少女が、本当に必要とされる場所へ辿り着く物語。