奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 街道は、午前の光に満ちていた。

 石畳の道を、馬車は一定の速度で進んでいる。御者は慣れた手つきで手綱を握り、馬の鼻息だけが白く空気に溶けていく。

 車内では、モーリスとヴァレリアが向かい合って座っていた。

「……領地まで、三日かかりますわね。途中、どこかでお食事が出来たらよいのだけれど」

 朝早くの出発だったため、朝食は軽めだった。ヴァレリアが、外の景色を眺めながら呟く。モーリスは力なく頷く。

「ああ……そうだな」

 モーリスは、窓の外を見たままだった。
 その視線は、何も見ていなかった。

「旦那様、この街道で合ってますか?」

 ヴァレリアが首を傾げる。
 景色に集中していなかったモーリスだったが、我に返ったように外を凝視した。

「…いつもと違うようだが…ああ、そういえば、リゼットが北から行くように言っていたな」
「まぁ、北ですか?遠回りではなくて?」
「北の方が、街道が整備されているだろうと」
「…リゼットは気の利く子だわ」

 そう言って、ヴァレリアは息をついた。
 モーリスは妻との会話が終わると、頭の中には、裁判の法廷、証言、視線、木槌の音がぐるぐると回り始めていた。

(まだ、戻れる)

 そう自分に言い聞かせるように、目を閉じた、その時だった。

 ――馬が、急に嘶いた。

 御者の慌てた声。
 手綱を強く引く音。
 車輪が石を削る激しい摩擦音。

「な、なんだ!?」

 次の瞬間、馬車が大きく傾いた。

 横から何かが突っ込んできた衝撃。
 木材が砕ける音。
 身体が浮き、叩きつけられる。

 ヴァレリアの悲鳴が響いた。
 視界が回転する。

 そして――
 世界が、暗転した。





 晩餐の時。
 モントレー伯爵邸に、一人の使いが駆け込んできた。

「大変です!!」

 息を切らし、執事に告げる。

「街道で……事故が……モーリス様とヴァレリア様が……」

 その声は、すぐに邸中に広がった。

 食堂でルイとリゼットは晩餐をしていた。
 慌てて執事が食堂に駆け込み、モーリス夫妻の事故を告げた。

 リゼットは、その報せを聞いたとき、顔色をなくし、椅子から崩れ落ちた。

「……え?」

 声が、出ない。

「そんな……今朝……あんなに元気に……」

 侍女が慌てて支える。
 リゼットは、顔を覆い、声を震わせた。

「お父様……お母様……」

 誰が見ても、深い悲しみに打ちひしがれた娘の姿だった。

「リゼット…」

 椅子から立ち上がったルイは、急ぎ妻の肩を支える。

「しっかりするんだ…リゼット」
「ああ…、ルイ様…っ」

 リゼットはルイの胸に顔を埋めて、肩を振るわせて、泣き始めていた。

「リゼット…私がついている」

 声音は優しい夫そのものだったが、表情は、変わらない。ただ、目だけが、静かに細められている。

(動いたな)

 ほんのわずかに、息を吐く。
 妻の背を摩りながら、その瞳だけは光を宿していなかった。
 
 その後、リゼットは侍女に支えられるようにして自室に戻って行った。

 ルイは執務室に戻った。
 カーテンの影が揺れる。

「……大した演技だな」

 ノクスが呆れ半分に呟き、姿を現した。

「ああ、本当に」

 ルイの同じように呆れ、言葉を続ける。

「派手にやったな」

 ルイは机に手をついたまま、動かない。
 ノクスは仕入れた情報を伝える。

「御者も即死。目撃者はいるが、原因は“馬の暴走”だとさ」

 ノクスは、わずかに肩をすくめる。

「これで、世間は同情一色だ。“裁判で心労が重なった不運な伯爵夫妻”だ」

 ルイは、目を伏せる。

(見事だ)

 ここまで計算している。
 裁判の醜聞を、事故が上書きする。
 リゼットは、悲劇の令嬢になる。

「……やはり、血も涙もない」

 ノクスが言う。
 ルイは、ゆっくりと呟いた。

「いや――涙は流すさ。人前ではな」

 沈黙のあと、ノクスが口を開いた。

「ルイ」

「わかっている。まだ動くな」

 視線を上げる。

「了解」

 ノクスは、にやりと笑った。
 気配が消える。

 ルイは一人、窓の外を見た。
 空は、驚くほど晴れていた。

(……ようやく、盤面が揃った)

 静かに、拳を握る。

(ここからだ)


***

 その日、ベルヌー法律事務所は、いつもより静かだった。

 朝の光が窓から差し込み、机の上の書類の縁を淡く照らしている。

 その沈黙を破ったのは、玄関の扉を強く叩く音だった。

「先生!!」

 マティアスが息を切らして飛び込んでくる。クロードが顔を上げる。

「どうした?」
「裁判所から連絡が――」

 息を整え、唾を飲み込んだ。

「被告、モーリス・モントレー伯爵と、その夫人が……三日前に、街道で事故死したそうです」

 室内の空気が、凍りついた。
 リセラの手から、持っていたカップが落ちかける。

「……え?」

 アデルの声だった。
 椅子から、ゆっくりと立ち上がる。

「……事故……?」

 マティアスは小さく頷く。

「御者も含め、全員即死。目撃者もいるそうです」

 ロイクの拳が、ぎゅっと握られた。
 だが彼は何も言わない。

 クロードだけが、視線を落としたまま、静かに告げた。

「……裁判は、被告死亡により、ここで終了になる」

 その言葉が、静かに部屋に落ちる。
 勝ったはずの戦いが、音もなく終わった瞬間だった。

 アデルは、胸の奥を押さえた。

「……そんな……」

 血の繋がった叔父だった。
 幼い頃、抱き上げてくれた記憶もある。
 その人が、事故で突然――

「ロイク……」

 思わず、彼を見る。
 ロイクは、目を伏せたまま、ゆっくり息を吐いた。

「……大丈夫だ」

 声は低いが、震えていない。

「正直、何も整理できていない。だが……今は、アデルの方が心配だ」

 その言葉に、アデルの胸が締め付けられた。

 そのとき、再び扉が叩かれる。
 今度は郵便だった。リセラが受け取り、封を見て固まる。

「……モントレー伯爵家から、お嬢様宛だべ」

 全員の視線が集まる。
 アデルが、震える指で封を開けた。
 中には、丁寧な筆跡の手紙が一通。
 リゼットからだった。


==========

アデルお姉様

 両親の訃報を受け、ただ呆然としております。

 これまでの裁判のこともあり、お姉様にどれほどのご心労をおかけしたかと思うと、胸が張り裂けそうです。

 父は、家を守ろうと必死だったのだと思います。けれど、その結果、お姉様や伯父様達に辛い思いをさせてしまったこと、娘として深くお詫びいたします。

 裁判はこのような形で終わってしまいましたが、争いを続ける理由は、もうどこにもありません。

 お姉様の財産は、すべてお返しいたします。必要な手続きはこちらで進めますので、どうかご安心ください。

 どうか、両親のことを責めないでください。
 そして、どうか――安らかに眠らせてあげてください。

リゼット・モントレー

==========

 アデルは、手紙を握ったまま動けなかった。

「……リゼット……」

 胸の奥に、重たいものが沈む。

「私……叔父様たちを、追い詰めてしまったのかもしれない……」

 ロイクが顔を上げる。

「違う。悪いのは親父だ。アデルじゃない」

 はっきりと言い切った。
 クロードが静かに続ける。

「モーリス夫妻の死は事故だ。誰のせいでもない」

 その声は冷静だった。
 だが、瞳だけがわずかに細められている。

 誰も気づかない。
 この部屋でただ一人、

(……早すぎる)

 そう思っていることを。

 裁判は終わり、財産は戻る。
 すべてが、あまりに整いすぎていた。
 クロードは何も言わず、思考を巡らせていた。

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