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モントレー伯爵夫妻の葬儀は、重たい曇天の下で執り行われた。
黒衣に包まれた参列者たちの列が、静かに礼拝堂へと続いている。祈りの声と、靴音だけが石床に響いていた。
祭壇の前で、エドモンは肩を落として立っていた。その隣で、ソフィアがそっと寄り添っている。
「裁判のことで揉めたりはしていたが……まさか、こんなに早く亡くなるとはな……」
声が震え、エドモンの目から涙が次々とこぼれ落ちた。
「私にとっては……たった一人の弟だった」
「旦那様……」
ソフィアもまた、目を伏せて涙を流す。
そこへ、アデルとリセラ、そしてロイクが歩み寄った。
「ああ、アデル……」
「お父様、お母様……」
ロイクは騎士団の制服のまま、深々と頭を下げた。
「伯父上……父がご迷惑をおかけしました」
エドモンはすぐに首を振る。
「ロイク。お前が謝ることではない。……お前も、辛いな」
甥を気遣うその言葉に、ロイクは顔を上げられなかった。
アデルは俯く。
(……こんなことになるなんて)
裁判で争っていた相手のはずなのに、今はただ、気の毒だとしか思えなかった。
自分のせいではないと分かっていても、どうしても、心のどこかがひどく痛んだ。
少し離れた場所から、参列者のひそひそとした声が聞こえてくる。
「裁判で揉めていたのよね……」
「ずいぶん醜聞になっていたわ」
「ほら、あちらが若夫婦よ」
「リゼット様やルイ様は関与していなかったとか……お気の毒に。親の不始末が降りかかったのね」
世間の目は、完全にモントレーの若夫婦に同情的だった。
その中心にいるリゼットは、黒い喪服に身を包み、顔色をなくしていた。目は赤く腫れ、何度も涙を拭っている。
誰が見ても、深い悲しみに沈む娘の姿だった。
その隣で、ルイが静かに寄り添っている。
支えるように肩に手を添え、何かを囁く。
優しい夫そのものの姿だった。
アデルは、その光景に言葉を失った。
改めて、二人が夫婦だという現実を突きつけられ、胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
あの人は、優しい。
困っている人を放っておけない人だった。
夫として、妻の悲しみに寄り添っている。
頭では、わかっているのに。
それでも、胸のどこかが、ひどく痛んだ。
(覚悟していたはずなのに……)
リゼットが気の毒だと思う気持ちも、確かにある。
けれど同時に、目を逸らしたくなる感情が、確かにそこにあった。
そのとき、ふと、ルイと目が合った。
真っ直ぐに、こちらを見ている。
胸が大きく波打ち、思わず視線を逸らしたのは、アデルの方だった。
「アデル嬢…」
低く落ち着いた声が背後から聞こえた。
アデルは、ゆっくりと振り向く。
「……クロード先生」
そこに立っていたのは、黒の礼装を纏ったクロードの姿だった。
裾の長い黒衣のコートに、同色のベスト。
白いシャツに細く結ばれた黒のクラヴァット。銀縁の眼鏡の奥、灰色の瞳はいつもより静かで、長い黒髪は一つに束ねられている。
華やかさはないはずなのに、その場で最も目を引く存在になっていた。
周囲の参列者のひそめた声が、耳に入る。
「ほら、見て……ベルヌー弁護士よ」
「まぁ、かの有名な?」
「なんて品のある方なの」
「さすが王都でも名の通った……」
クロードは、そうした視線にまるで気づかない様子で、アデルだけを見ていた。
「その……大丈夫か?」
「え……?」
「少し、ショックを受けているように見えたから」
これ以上、何も聞かない。
けれど、すべてを察している目だった。
アデルの胸の奥に溜まっていたざわめきが、すっと静まっていく。
そこへエドモンが歩み寄る。
「先生。娘とリセラがお世話になっております」
深々と頭を下げる。
「どうか頭を上げてください。お二人には、事務所で大いに助けられています」
クロードは穏やかに答えた。
「旦那様。わだすとお嬢様は、事務所の働き頭なんです」
リセラが誇らしげに胸を張った。
「ご迷惑をおかけしていませんか?」
ソフィアが遠慮がちに尋ねると、クロードはわずかに口元を緩めた。
「とんでもない。非常によく働いてくれています」
「あ、奥様まで。疑ってるだべか?」
「疑ってはいないわ。ただ、心配しているのよ」
「リセラは暴走機関車だからな」
ロイクが横から口を挟む。
クロードは、肩を小さく揺らして笑った。
「まぁ……確かに」
その場に、柔らかな空気が流れる。
アデルは、ゆっくりと息を吐いた。
先ほどまで胸を締めつけていた感情が、
いつの間にか、静かにほどけていることに気づいていた。
クロードが、そっと隣に立っている。
ただそれだけで、心が落ち着いていくのを感じていた。
*
祭壇の前で、祈りが続いていた。
重たい鐘の音が、ゆっくりと空気を揺らす。
リゼットはハンカチを目に当て、肩を震わせている。
参列者の視線は、自然とその姿に集まっていた。気丈な若夫人。悲劇に見舞われた娘。
その隣で、ルイは静かに立っている。
背筋は伸び、表情は穏やかで、リゼットの背にそっと手を添えていた。
誰が見ても、理想的な夫の姿だった。
だが。
ルイの視線だけは、別の場所にあった。
祭壇の前ではなく、
リゼットでもなく。
少し離れた位置に立つ、黒の喪服姿の一団。
エドモンとソフィア。
その傍らに、アデル。
そして、その隣に立つクロード。
アデルが何かを言い、クロードが静かに頷く。リセラが口を挟み、ロイクが首を傾げる。
そこだけ、空気が違った。
張り詰めた葬儀の場の中で、あの一角だけが、柔らかい。
ルイは、瞬きもせず、その様子を見ていた。
リゼットが嗚咽を漏らし、身体を寄せてくる。ルイは自然な動作でその肩を支える。視線は動かない。
ほんの一瞬。
クロードが顔を上げた。
視線が、まっすぐこちらに向く。
ルイと、クロードの目が合った。
どちらも、表情は変わらない。
だが、ほんの刹那、空気が張り詰める。
次の瞬間、クロードは何事もなかったように視線を戻し、アデルに小さく何かを告げた。
アデルの表情が穏やかになる。
それを見た瞬間。
ルイの指先が、わずかに強く、リゼットの肩を握っていた。
すぐに、力を抜く。
誰も気づかないほどの、ほんの僅かな動きだった。
ルイは、ゆっくりと視線を外し、再び祭壇へと戻した。
鐘の音が、低く鳴り続けている。
祈りの言葉が、淡々と流れる。
ルイの横顔は、最後まで、穏やかなままだった。
黒衣に包まれた参列者たちの列が、静かに礼拝堂へと続いている。祈りの声と、靴音だけが石床に響いていた。
祭壇の前で、エドモンは肩を落として立っていた。その隣で、ソフィアがそっと寄り添っている。
「裁判のことで揉めたりはしていたが……まさか、こんなに早く亡くなるとはな……」
声が震え、エドモンの目から涙が次々とこぼれ落ちた。
「私にとっては……たった一人の弟だった」
「旦那様……」
ソフィアもまた、目を伏せて涙を流す。
そこへ、アデルとリセラ、そしてロイクが歩み寄った。
「ああ、アデル……」
「お父様、お母様……」
ロイクは騎士団の制服のまま、深々と頭を下げた。
「伯父上……父がご迷惑をおかけしました」
エドモンはすぐに首を振る。
「ロイク。お前が謝ることではない。……お前も、辛いな」
甥を気遣うその言葉に、ロイクは顔を上げられなかった。
アデルは俯く。
(……こんなことになるなんて)
裁判で争っていた相手のはずなのに、今はただ、気の毒だとしか思えなかった。
自分のせいではないと分かっていても、どうしても、心のどこかがひどく痛んだ。
少し離れた場所から、参列者のひそひそとした声が聞こえてくる。
「裁判で揉めていたのよね……」
「ずいぶん醜聞になっていたわ」
「ほら、あちらが若夫婦よ」
「リゼット様やルイ様は関与していなかったとか……お気の毒に。親の不始末が降りかかったのね」
世間の目は、完全にモントレーの若夫婦に同情的だった。
その中心にいるリゼットは、黒い喪服に身を包み、顔色をなくしていた。目は赤く腫れ、何度も涙を拭っている。
誰が見ても、深い悲しみに沈む娘の姿だった。
その隣で、ルイが静かに寄り添っている。
支えるように肩に手を添え、何かを囁く。
優しい夫そのものの姿だった。
アデルは、その光景に言葉を失った。
改めて、二人が夫婦だという現実を突きつけられ、胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
あの人は、優しい。
困っている人を放っておけない人だった。
夫として、妻の悲しみに寄り添っている。
頭では、わかっているのに。
それでも、胸のどこかが、ひどく痛んだ。
(覚悟していたはずなのに……)
リゼットが気の毒だと思う気持ちも、確かにある。
けれど同時に、目を逸らしたくなる感情が、確かにそこにあった。
そのとき、ふと、ルイと目が合った。
真っ直ぐに、こちらを見ている。
胸が大きく波打ち、思わず視線を逸らしたのは、アデルの方だった。
「アデル嬢…」
低く落ち着いた声が背後から聞こえた。
アデルは、ゆっくりと振り向く。
「……クロード先生」
そこに立っていたのは、黒の礼装を纏ったクロードの姿だった。
裾の長い黒衣のコートに、同色のベスト。
白いシャツに細く結ばれた黒のクラヴァット。銀縁の眼鏡の奥、灰色の瞳はいつもより静かで、長い黒髪は一つに束ねられている。
華やかさはないはずなのに、その場で最も目を引く存在になっていた。
周囲の参列者のひそめた声が、耳に入る。
「ほら、見て……ベルヌー弁護士よ」
「まぁ、かの有名な?」
「なんて品のある方なの」
「さすが王都でも名の通った……」
クロードは、そうした視線にまるで気づかない様子で、アデルだけを見ていた。
「その……大丈夫か?」
「え……?」
「少し、ショックを受けているように見えたから」
これ以上、何も聞かない。
けれど、すべてを察している目だった。
アデルの胸の奥に溜まっていたざわめきが、すっと静まっていく。
そこへエドモンが歩み寄る。
「先生。娘とリセラがお世話になっております」
深々と頭を下げる。
「どうか頭を上げてください。お二人には、事務所で大いに助けられています」
クロードは穏やかに答えた。
「旦那様。わだすとお嬢様は、事務所の働き頭なんです」
リセラが誇らしげに胸を張った。
「ご迷惑をおかけしていませんか?」
ソフィアが遠慮がちに尋ねると、クロードはわずかに口元を緩めた。
「とんでもない。非常によく働いてくれています」
「あ、奥様まで。疑ってるだべか?」
「疑ってはいないわ。ただ、心配しているのよ」
「リセラは暴走機関車だからな」
ロイクが横から口を挟む。
クロードは、肩を小さく揺らして笑った。
「まぁ……確かに」
その場に、柔らかな空気が流れる。
アデルは、ゆっくりと息を吐いた。
先ほどまで胸を締めつけていた感情が、
いつの間にか、静かにほどけていることに気づいていた。
クロードが、そっと隣に立っている。
ただそれだけで、心が落ち着いていくのを感じていた。
*
祭壇の前で、祈りが続いていた。
重たい鐘の音が、ゆっくりと空気を揺らす。
リゼットはハンカチを目に当て、肩を震わせている。
参列者の視線は、自然とその姿に集まっていた。気丈な若夫人。悲劇に見舞われた娘。
その隣で、ルイは静かに立っている。
背筋は伸び、表情は穏やかで、リゼットの背にそっと手を添えていた。
誰が見ても、理想的な夫の姿だった。
だが。
ルイの視線だけは、別の場所にあった。
祭壇の前ではなく、
リゼットでもなく。
少し離れた位置に立つ、黒の喪服姿の一団。
エドモンとソフィア。
その傍らに、アデル。
そして、その隣に立つクロード。
アデルが何かを言い、クロードが静かに頷く。リセラが口を挟み、ロイクが首を傾げる。
そこだけ、空気が違った。
張り詰めた葬儀の場の中で、あの一角だけが、柔らかい。
ルイは、瞬きもせず、その様子を見ていた。
リゼットが嗚咽を漏らし、身体を寄せてくる。ルイは自然な動作でその肩を支える。視線は動かない。
ほんの一瞬。
クロードが顔を上げた。
視線が、まっすぐこちらに向く。
ルイと、クロードの目が合った。
どちらも、表情は変わらない。
だが、ほんの刹那、空気が張り詰める。
次の瞬間、クロードは何事もなかったように視線を戻し、アデルに小さく何かを告げた。
アデルの表情が穏やかになる。
それを見た瞬間。
ルイの指先が、わずかに強く、リゼットの肩を握っていた。
すぐに、力を抜く。
誰も気づかないほどの、ほんの僅かな動きだった。
ルイは、ゆっくりと視線を外し、再び祭壇へと戻した。
鐘の音が、低く鳴り続けている。
祈りの言葉が、淡々と流れる。
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