奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 ドルン男爵邸。
 夕食の席は、いつも通り、取り立てて華やかでもなければ、貧しいわけでもなかった。

 リゼットには、この「中途半端さ」が、どうにも我慢ならない。

 父・モーリスは、今日も背筋を丸め気味にして椅子に腰かけ、食事に手を伸ばしている。

(……本当に、うだつが上がらない)

 かつては「慎重な男」と評価されていたその性格も、今となってはただの臆病にしか見えない。何も挑まない。何も賭けない。そのくせ、現状に不満だけは抱えている。

 母・ヴァレリアが、少し弾んだ声で話題を切り出した。

「ねえ、旦那様。今日、夫人会で聞いたお話なんだけれど……」

 その口調だけで、リゼットは内容を察した。
 社交の場で拾ってきた、金の匂いのする話だ。

「モンゴメリー伯爵が、土地の投機に成功して、莫大な財産を手にしたそうよ?旦那様も、少し考えてみたらいかが?」

 モーリスは、フォークを置き、軽くため息をついた。

「素人が、知ったような口を利くものじゃない。投機話というのはな、怪しいものも多い。眉唾だと思っておきなさい」

 言葉はもっともらしい。
 だが、そこには調べようとする意志も、検討しようとする姿勢もない。

(……調べもしないで、切り捨てる)

 それが父のやり方だった。

「それでも、成功している方がいるのは事実でしょう?」

 ヴァレリアは食い下がる。
 彼女なりに、現状を変えたいという焦りがあるのだろう。

「うちは土地など持っておらん。投機に費やす余裕もない。第一、そんな話に踊らされて身を崩すほど、私は愚かじゃない」

 そこで、話を切ろうとする。

「さあ、この話は終わりだ」

 その瞬間だった。

「……お父様」

 リゼットは、あえて一拍置いてから、口を開いた。

「モントレーの伯父様は、土地をお持ちでしたよね?」

 モーリスの眉が、わずかに動く。

「……なんだ、リゼットまで興味を持ったのか?」

「いいえ。ただ……話題に出たので」

 声は穏やかに。
 興味がないように装うのが肝心だ。

「兄上が、父から相続した土地だ。だがな、あれは“いわく付き”の土地だ。長年、境界問題やら、権利関係やら、トラブルが絶えない」

 ヴァレリアが、目を見開く。

「まぁ……そんなおっかない土地をもらって、どうするのかしら?」

「さあな。兄上も持て余しているようだ」

 会話は、そこで自然に流れていった。
 ヴァレリアは別の話題に移り、モーリスは食事に戻る。

 だが、リゼットの思考だけが、その言葉に引っかかっていた。

(……いわく付きの土地)

 それは、忌避すべき言葉だろうか?

 ――いいえ。

 価値があるからこそ、問題が生じる。
 価値がなければ、誰も争わない。

(長年トラブルが絶えない、ということは)

 利権がある。
 利用価値がある。
 そして、扱いきれない人間の手にある、というだけ。

 リゼットは、父の横顔を盗み見る。

(この人には、無理でしょうね)

 問題を解く前に、問題から目を逸らす。
 面倒なものを“危険”と呼び、触れない理由にする。

 だから、何も変わらない。

(……もったいない)

 胸の奥で、別の感情が、静かに蠢く。

 もし、あの土地が整理されれば。
 もし、価値が再定義されれば。
 もし、それを“使える形”にできる人間が関われば。

(使い道はいくらでもある)

 投機。
 担保。
 交渉材料。

 あるいは――
 誰かの立場を揺さぶるための、道具。

 リゼットは、何事もなかったようにナプキンで口元を拭い、静かに微笑んだ。

 まだ、何もする段階ではない。

 ただ、覚えておけばいい。

(……モントレー家には、土地がある)

 そして、それをどう使うか分からない人間が、持て余している。

 それだけで、十分だった。


***

 翌日。
 貴族学校の休み時間。
 リゼットは静かな図書室に身を置いていた。

「あの……少し、お話をよろしいでしょうか」

 リゼットは珍しく、ひとりの男子学生に声をかけた。

 驚きに目を見開いた男子学生は、声の主がリゼットだと分かると、途端に顔を輝かせた。

「リゼット嬢。君から話しかけてもらえるなんて、光栄だな」

 イリヤ・モンゴメリー。
 伯爵家の嫡男。
 茶色の巻き髪に中肉中背で、そばかすの残る顔立ちは、悪く言えば垢抜けないが、愛嬌だけは十分だった。

「不躾な質問をすることを……まず、お詫びいたしますわ…」

「構わないよ。何だい?」

 彼の警戒心は、ほとんどなかった。

「お母様が、夫人会で土地の投機のお話を伺ったと聞きまして……」

「ああ、その話か。リゼット嬢が興味あるなんて意外だな」
「…ふふっ。意外ですか?」
 
 甘えたように視線を上げる。
 彼の頬が、わずかに赤くなるのを見逃さない。

「そうだとも。君のような可憐で美しい子が投機話なんてさ。そんなの、強欲なうちの母上くらいかと思っていたからね」

「ふふ……」

 リゼットは、喉を鳴らすように小さく笑った。
 相手に“好意”だけが伝わるよう、余計な感情はすべて削ぎ落とした笑い方だった。

「投機の話はね、父よりも母のほうが熱心でさ。
母方の祖父母から相続した土地を活用したんだ。親戚筋に、土地の扱いに詳しい弁護士がいてね。母がそこに相談したらしい」

「まぁ……お母様のご尽力で、成功なさったのですね」

 感心したように呟くと、イリヤの表情が目に見えて明るくなる。

 褒められ慣れていないわけではないが、リゼットに認められたという事実が、彼の饒舌さに拍車をかけていた。

「父は父で、王宮の建物や土地管理を扱う部署の文官をしているから、そっちの知識もあるんだ」

「私の父は……素人が手を出せる話ではないと申しておりましたわ」

「まあ、あながち間違いじゃないけどね。少し大袈裟かな」

 イリヤは肩をすくめつつ、どこか得意げに続ける。

「きちんと知識を集めて、時代の流れや法律を理解していれば、決して手の届かない話じゃない」

「そうなのですか……?」

 リゼットが素直に目を瞬かせると、イリヤは待っていましたと言わんばかりに頷いた。

「ああ。現に、僕自身がそうだよ。個人資産の一部を投機に回している」

 胸を張るその仕草には、自分をよく見せたいという意識がはっきり滲んでいた。

「僕はいずれモンゴメリー家を継ぐからね。資産は、あればあるほどいい」

「……すごいですわ」

 その一言に、イリヤの頬がわずかに緩む。

「リゼット嬢も、将来のことを考えているのかい?」

「ええ……ドルン男爵家には領地もございませんし、父の勤めだけでは、と思いまして」

「君は……そんなに儚げな雰囲気なのに、しっかりしているんだね」

「……意外、でしょうか?」

「正直に言うと、うん。でも――」

 イリヤは一瞬、言葉を選ぶように視線を泳がせてから、はっきりと続けた。

「そのギャップが、とても素敵だよ」

 遠慮のない視線が、真っ直ぐにリゼットへ注がれる。

「お恥ずかしいですわ……」

 そう言いながら伏せた視線の奥で、リゼットは彼の反応を正確に測っていた。

「リゼット嬢。僕で良ければ相談に乗るよ。
人脈もあるし、君の役に立てることがあると思う」

「まぁ……本当ですか?」

「ああ。本当だとも」

 少し身を乗り出し、声を低くする。

「君の力になれるなら、僕は…嬉しいから…」

 その言葉には、善意以上の感情がはっきりと含まれていた。

 ――こうしてリゼットは、
 自分に好意を寄せ、進んで力を貸そうとする令息を、静かに味方につけた。









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