奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

文字の大きさ
91 / 173

91

 婚約が決まってから、リゼットは以前よりも頻繁にモントレー邸へ通うようになった。

 理由を問われれば、いくらでも用意できた。
 従姉妹としての礼儀。
 寂しさへの配慮。
 家同士の付き合い。

 どれも、嘘ではない。
 ただし、本質でもなかった。

(……ルイに会えるのは、ここだけ)

 その事実が、すべてだった。

 平日は同じ学園に通う二人の世界があり、そこに自分の居場所はない。

 だから週末を選ぶ。
 誰にも不自然と思われない頻度で、
 確実に、彼の視界に入る距離へ。

――それだけ。

 最初は、それだけのつもりだった。

 ルイを見て、胸が騒いだことは何度もある。だが、それを「」だと呼ぶ気はなかった。

 恋は、衝動的で、愚かで、自分を制御できない人間が落ちるものだ。

(私は違う)

 彼が優秀で、誠実で、価値のある人間だという判断は、冷静なものだ。

 評価した結果、欲しいと思っただけ。

(それの、何が悪いの)

 アデルの隣に立つ彼を見るたび、胸の奥に浮かぶ感情は、もはや苛立ちと呼ぶのも生温かった。

 羨ましい――違う。
 嫉妬――論外だ。

(……不釣り合い)

 それだけで、十分だった。

 アデルは善良で、無害で、誰にでも好かれる。だが、それは、裏を返せば誰の心にも深く残らないということだ。

 考えない。
 疑わない。
 相手の言葉を、そのまま信じる。

(……空っぽ)

 人当たりの良さを「魅力」だと思っているのは、周囲だけだ。本人は、自分が選ばれている理由すら理解していない。

 ただ一つ、伯爵家を継ぐ立場に生まれただけ。

(それを除いたら、何が残る?)

 昔から、答えは出ていた。

 価値がない、とは言わない。
 だが――代替はいくらでもきく。

 それなのに、守られ、中心に置かれ、当然のように彼の隣に立っている。

(……滑稽ね)

 既に、嫌いという感情ですらなかった。
 嫌悪するほど、意識を割く価値もないと思うようになっていた。

 ただ、邪魔だった。
 そして、邪魔なものは――排除されるべきだ。

 リゼットは、そう判断するようになっていた。

 、という言葉は正確ではない。
 最初から、彼はアデルのものではなかった。

 そう考えれば、胸の奥に引っかかっていた違和感は、すべて整然と説明がつく。

(……どう考えても、おかしい)

 彼の隣に立つアデルを見るたび、胸の奥がざらつく。苛立ちでも、羨望でもない。

 単純な違和感だ。

 釣り合っていない。
 あまりにも。

 ――伯爵令嬢という肩書きもおかしなものだ。

(あの程度で?)

 血筋だけで立っている。
 選ばれた理由を理解しようともせず、
 その重みを測ろうともせず。

 隣に立つ彼が、どんな人間かも、きっと分かっていない。

 彼は、繊細で、冷静で、物事を多層的に見る人だ。
 表面の善意や、無邪気な笑顔に騙されるような人間ではない。

 ――はずなのに。

(……だから、今は、間違えている)

 アデルの隣は、居心地がいいだけだ。
 考えなくて済む。
 説明しなくて済む。
 深く踏み込まれない。

 それは“対等”ではない。

 理解し合っているのではなく、
 ただ、触れ合わないことで衝突を避けているだけ。

(そんな関係で、婚約?)

 笑ってしまいそうだった。
 肩書きがなければ、彼女は、ただの“素直な女“でしかない。

 それだけだ。

 好かれる理由は分かる。
 だが、選ばれる理由にはならない。

(私なら、違う)

 私は、彼を見ている。
 平等を装いながら、線を引くその癖も。
 感情を抑え、理屈で距離を測るところも。

(……だから)

 胸の奥が、じわりと甘く疼く。
 この気持ちを、恋と呼ぶのは簡単だ。
 けれど、それだけでは足りない。

 これは、配置の問題だ。
 適材適所。
 正しい場所。

 アデルがそこにいる限り、彼は“誤った選択”を続ける。

(なら、動かさなければならない)

 それは、残酷なことだろうか?

 ――いいえ。

 間違った場所にいる人間を、本来あるべき場所へ戻すだけ。

 それは、むしろ、親切だ。

 彼が自分に向けた、あの一瞬の視線。
 距離を測るようでいて、どこか揺らいでいた、あの目が忘れられなかった。

 あれを見てしまった以上、もう「何もしない」という選択肢は、心の中から静かに消えていた。

(……準備、ね)

 リゼットは、微笑みを整える。

 今はまだ、立ち位置を確認しているだけ。
 正しい場所に、正しい人間が立つために。

 ――そのための、ほんの、助走をつけていく。


***

 昼下がりの公園は、穏やかなざわめきに包まれていた。
 
 執事から、アデルとルイが公園にいると聞いた時点で、迷いはなかった。
 
 公園のアーチをくぐった瞬間、リゼットは一歩、前へ出る。

「あっ……お姉様」

 声の高さは、意識せずとも身体が覚えている。アデルがこちらを見て、表情をほどく。

「あら、リゼット?どうしたの?」

(……本当に、疑わない)

 その無防備さを見て、胸の奥がかすかに冷える。

「邸に行きましたら、こちらにいらっしゃると伺って……。突然で、ごめんなさい」

 申し訳なさそうに言えば、それ以上追及されないことは分かっている。

「そうだったのね。せっかくだから、一緒に歩きましょう?」

 即答だった。
 迷いも、警戒も、ない。

 リゼットは小さく頷き、隣に並ぶ。
 ――そして、視線を巡らせた。

(まだ、来ていない)

 会話をしながら、時間を稼ぐ。
 彼が現れた瞬間に、最も“自然な位置”にいるために。

「あの……ルイ様は、これから?」

 名前を口にするだけで、意識がそちらへ引かれるのが分かる。

「ええ。もうすぐ来るはずよ」

 その言葉を聞いた、次の瞬間だった。

「アデル、申し訳ない。待たせたね」

 声だけで分かった。
 振り向く前から、身体が反応する。

 柔らかな金髪、落ち着いた歩調。
 いつもと変わらないはずなのに、今日は妙に目を引いた。

「おや?リゼット嬢も一緒かい?」

 視線が、こちらに向く。

(――来た)

 一拍遅れて、遠慮がちに前へ出る。

「ルイ様……。突然で、すみません。ご一緒しても、よろしいでしょうか」

 拒まれないことは、分かっている。
 彼は、そういう人間だ。

「……もちろん。一緒に散策しよう」

 頷きと同時に、距離を測る。
 半歩だけ、彼の側へ寄る。

「最近の学園は、いかがですか?」

「相変わらず、忙しいよ」

「皆さん、ルイ様の成績の話をされています。すべて優秀だって…本当に、すごいなって……思って」

 言葉に、ほんの少しだけ熱を混ぜる。
 彼の横顔を、逃がさない。

「いや、過大評価だよ」

 苦笑するその表情を見て、確信する。

(……謙遜じゃない。これは、本音)

「努力なさっているのを……わたし、見ていましたから」

 声を落としながら、呟く。
 その瞬間、彼の眉がわずかに動いた。

 驚きか、警戒か。
 どちらにせよ、無関心ではないはず。

「……やっぱり、素敵な方ですね。ルイ様は」

 これは、確認だ。
 探りでもあり、合図でもある。

「……ありがとう」

 短い返答だったが、声は拒絶していない。
 その柔らかさに、胸の奥がじわりと熱を帯びた。

 ルイと視線が重なった。
 短く、静かで、逃げ場のない視線。

(……ああ、ルイ様…)

 彼は、こちらを見ている。
 もう、それで十分だった。
 リゼットは日傘の影で、微笑みを整える。

 

あなたにおすすめの小説

結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です

柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。 そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。 真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。 けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。 「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」 彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。 アンリは実は、亡き国王の婚外子。 皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

真実の愛の裏側

藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。 男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――? ※ 他サイトにも投稿しています。

「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした

ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?  ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

【完結】あなたの隣に私は必要ですか?

らんか
恋愛
政略結婚にて、3年前より婚約し、学園卒業と共に嫁ぐ予定であったアリーシア。 しかし、諸事情により結婚式は延期され、次の結婚式の日取りさえなかなか決められない状況であった。 そんなアリーシアの婚約者ルートヴィッヒは、護衛対象である第三王女ミーアの傍を片時も離れようとしない。 月1回の婚約者同士のお茶会もすぐに切り上げてしまい、夜会へのエスコートすらしてもらった事がない。 そんな状況で、アリーシアは思う。 私はあなたの隣に必要でしょうか? あなたが求めているのは別の人ではないのでしょうかと。 * 短編です。 ご感想欄は都合により、閉じさせて頂きます。

愛していると気づいたから、私はあなたを手放します

妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
愛しているのに、触れられない。 幼なじみの夫は、こう言った。 「もう、女性を愛することはできない」と。 それでも「君がいい」と言い続ける彼と、 子どもを望む現実の間で、私は追い詰められていく。 だから決めた。 彼のためにも、私は他の誰かを探す。 ――そう思ったのに。 なぜあなたは、そんな顔で私を追いかけてくるの? これは、間違った優しさで離れた二人が、 もう一度、互いを選び直すまでの物語。 ※表紙はAI生成イラストを使用しています。

【完結】愛する人のために

月樹《つき》
恋愛
カスペル公爵令嬢デルフィーヌは、幼い頃その愛くるしい笑顔に一目惚れしたクリストファー王子に請われ、彼の婚約者となった。 けれど王子妃としての厳しい教育を受けるうちに、彼が好きだった笑顔は滅多に見られなくなり…気がつけば彼の側には、デルフィーヌではなく屈託なく笑う平民の聖女アネモネの姿を見かけるようになる…。 『あなたのために、私は無邪気な笑顔もなくしたのに…』 このお話は愛する誰かのために生きる人達のお話です。 三部仕立てで、お話はそれぞれの視点で描かれております。 ※他サイトでも投稿しております。

完璧な姉を困らせる不出来な妹は追放されました

mios
恋愛
第一王女の親友で第二王子の婚約者でもある完璧な姉アリシアは、不出来で我儘、嘘つきな妹リリアに手を焼いている。