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記憶が戻ったあと、アデルはしばらく一人で考え込んでいた。
胸の奥に残る震えは、恐怖でも怒りでもなかった。
ばらばらだった出来事が、ようやく一つの線として繋がった――その感覚だけが、確かにそこにあった。
そしてアデルは、もうこの事実から目を逸らさないと、静かに心の中で決めた。
(逃げてはいけない)
アデルはゆっくりと立ち上がった。
廊下の気配を確かめるように一度息を整え、それから外にいたリセラへ声をかける。
「……リセラ。少し、話があるの。私の部屋に来てくれる?」
呼びかけは柔らかいのに、いつもと違う。
その違いを、リセラはすぐに嗅ぎ取ったらしく、返事の声が一段低くなる。
「お嬢様……?どうしましただ?」
駆け寄ってくる足音が早い。
アデルの顔を見た瞬間、リセラは口を閉じ、眉を寄せた。冗談を挟める空気ではないと悟ったのだ。
「……実はね」
アデルはそれ以上を廊下で言わなかった。
視線で「中へ」と促し、先に歩き出す。
リセラは静かにアデルの部屋へ入った。
部屋の空気は温かいはずなのに、どこか張りつめている。
アデルは椅子を示してリセラを座らせ、自分も向かいの椅子に腰を下ろした。
膝の上で手を重ねる。
言葉を選ぶ時間が必要だった。けれど、逃げるためではない。
一拍置いて、アデルは静かに顔を上げる。
「……リセラ。あなたにだけ、聞いてほしいことがあるの」
声は震えていなかった。
ただ、決意だけが、淡く滲んでいた。
「私、思い出したの。――あの日のこと」
リセラの表情が、一瞬で強張った。
「……事故のこと、ですか?」
「ええ。足を滑らせたんじゃない。床が崩れたわけでもない。――背中を、押されたの」
リセラの拳が、ぎゅっと握られる。
「……誰に?」
答えは分かっている。
それでも、アデルははっきりと言った。
「リゼットよ」
次の瞬間。
「……っ、あの女ァ!!」
リセラは勢いよく立ち上がった。
「今すぐモントレー邸に行って、とっちめてやるべ!何が従姉妹だ!お嬢様の命狙うたぁ――!」
「リセラ、待って」
アデルは即座に制した。
声は静かだが、揺れていなかった。
「何言ってるだ!お嬢様!?黙ってられるわけ――」
「証拠がないの」
アデルは、はっきりと首を振る。
「なして!?お嬢様は記憶を取り戻したんだっぺ。それじゃ、ダメなのですか?」
リセラの怒りは収まらない。
「私の証言だけでは足りないわ。それでは、リゼットは捕まらない」
リセラは歯を食いしばる。
「……なら、騎士団に突き出してやるべ!あいつのやってきたこと、全部――」
「それでも同じよ」
アデルは目を伏せず、真っ直ぐに言った。
「リゼットは“慎重”なの。決定打を残さない。
だからこそ、ここまで自由に動けていたのだわ」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
やがてアデルは、ゆっくりと続ける。
「リゼットの目的は、最初から一つだったと思うの。――伯爵家を手に入れて、ルイを自分のものにすること」
リセラが、はっと顔を上げる。
「……じゃあ、モーリス様は…」
「使われていた側なのかもしれない」
アデルは淡々と口にした。
「叔父様が亡くなったのも、おそらく事故ではないわ。叔父様がいない今も…私の命が狙われている…それが、何よりの証拠よ」
リセラの怒りは、やがて困惑に変わっていった。
「……でも、お嬢様。ひとつだけ気になることがあるべさ」
「なに?」
「ルイ様と共犯、ってことは……ありえねぇですか?二人で裏で結託してた、なんて……」
その言葉に、アデルは一瞬、目を伏せた。
――少し前の自分なら。
その考えを、否定できなかっただろう。
だが、今は違う。
「……前の私なら、そう感じたかもしれない」
静かに、しかしはっきりと言う。
「でも、今ならわかるの。ルイは――味方よ」
リセラが目を見開き、息を呑んだ。
「私が見た夢……あれは、夢じゃない」
涙を流し、壊れそうな声で、それでも愛を口にしたルイ。あれは、現実の彼だった。
「ルイは、事件の真相に近づくために、モーリス叔父様とリゼットに近づいたのだと思う。自分が憎まれることも、裏切り者と呼ばれることも、全部覚悟の上で」
アデルは、胸に手を当てた。
「――私を守るために」
リセラは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと深く息を吐く。
「……わかっただ」
ぎゅっと拳を握る。
「なら、わだすは怒りでは動かねぇ。証拠を集めるだ。お嬢様のために」
アデルは、静かに微笑んだ。
「ありがとう、リセラ」
――こうして。
アデルは、ようやく「真実と向き合う側」に立った。
次に動くのは、守られる令嬢ではなく、すべてを終わらせる覚悟を決めた女だった。
*
廊下の梁と壁の影が重なる場所に、もうひとつの影が溶け込んでいた。
ノクスは、廊下の影に身を溶かしたまま、微動だにしない。
呼吸は壁の向こうに預け、鼓動だけを静かに沈めていた。
アデルとリセラの会話を全て聞き終えたノクスはぎゅっと拳を握った。
(……たどり着いたか)
アデルは、もう「守られるだけの女」じゃない。
狙われていることを理解したうえで、それでも立ち上がろうとしている。
(覚悟、決めやがったな)
ノクスは、息を殺したまま、静かに口角を上げた。
その後、彼は音もなく踵を返した。
廊下の空気が、何事もなかったように元へ戻っていった。
胸の奥に残る震えは、恐怖でも怒りでもなかった。
ばらばらだった出来事が、ようやく一つの線として繋がった――その感覚だけが、確かにそこにあった。
そしてアデルは、もうこの事実から目を逸らさないと、静かに心の中で決めた。
(逃げてはいけない)
アデルはゆっくりと立ち上がった。
廊下の気配を確かめるように一度息を整え、それから外にいたリセラへ声をかける。
「……リセラ。少し、話があるの。私の部屋に来てくれる?」
呼びかけは柔らかいのに、いつもと違う。
その違いを、リセラはすぐに嗅ぎ取ったらしく、返事の声が一段低くなる。
「お嬢様……?どうしましただ?」
駆け寄ってくる足音が早い。
アデルの顔を見た瞬間、リセラは口を閉じ、眉を寄せた。冗談を挟める空気ではないと悟ったのだ。
「……実はね」
アデルはそれ以上を廊下で言わなかった。
視線で「中へ」と促し、先に歩き出す。
リセラは静かにアデルの部屋へ入った。
部屋の空気は温かいはずなのに、どこか張りつめている。
アデルは椅子を示してリセラを座らせ、自分も向かいの椅子に腰を下ろした。
膝の上で手を重ねる。
言葉を選ぶ時間が必要だった。けれど、逃げるためではない。
一拍置いて、アデルは静かに顔を上げる。
「……リセラ。あなたにだけ、聞いてほしいことがあるの」
声は震えていなかった。
ただ、決意だけが、淡く滲んでいた。
「私、思い出したの。――あの日のこと」
リセラの表情が、一瞬で強張った。
「……事故のこと、ですか?」
「ええ。足を滑らせたんじゃない。床が崩れたわけでもない。――背中を、押されたの」
リセラの拳が、ぎゅっと握られる。
「……誰に?」
答えは分かっている。
それでも、アデルははっきりと言った。
「リゼットよ」
次の瞬間。
「……っ、あの女ァ!!」
リセラは勢いよく立ち上がった。
「今すぐモントレー邸に行って、とっちめてやるべ!何が従姉妹だ!お嬢様の命狙うたぁ――!」
「リセラ、待って」
アデルは即座に制した。
声は静かだが、揺れていなかった。
「何言ってるだ!お嬢様!?黙ってられるわけ――」
「証拠がないの」
アデルは、はっきりと首を振る。
「なして!?お嬢様は記憶を取り戻したんだっぺ。それじゃ、ダメなのですか?」
リセラの怒りは収まらない。
「私の証言だけでは足りないわ。それでは、リゼットは捕まらない」
リセラは歯を食いしばる。
「……なら、騎士団に突き出してやるべ!あいつのやってきたこと、全部――」
「それでも同じよ」
アデルは目を伏せず、真っ直ぐに言った。
「リゼットは“慎重”なの。決定打を残さない。
だからこそ、ここまで自由に動けていたのだわ」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
やがてアデルは、ゆっくりと続ける。
「リゼットの目的は、最初から一つだったと思うの。――伯爵家を手に入れて、ルイを自分のものにすること」
リセラが、はっと顔を上げる。
「……じゃあ、モーリス様は…」
「使われていた側なのかもしれない」
アデルは淡々と口にした。
「叔父様が亡くなったのも、おそらく事故ではないわ。叔父様がいない今も…私の命が狙われている…それが、何よりの証拠よ」
リセラの怒りは、やがて困惑に変わっていった。
「……でも、お嬢様。ひとつだけ気になることがあるべさ」
「なに?」
「ルイ様と共犯、ってことは……ありえねぇですか?二人で裏で結託してた、なんて……」
その言葉に、アデルは一瞬、目を伏せた。
――少し前の自分なら。
その考えを、否定できなかっただろう。
だが、今は違う。
「……前の私なら、そう感じたかもしれない」
静かに、しかしはっきりと言う。
「でも、今ならわかるの。ルイは――味方よ」
リセラが目を見開き、息を呑んだ。
「私が見た夢……あれは、夢じゃない」
涙を流し、壊れそうな声で、それでも愛を口にしたルイ。あれは、現実の彼だった。
「ルイは、事件の真相に近づくために、モーリス叔父様とリゼットに近づいたのだと思う。自分が憎まれることも、裏切り者と呼ばれることも、全部覚悟の上で」
アデルは、胸に手を当てた。
「――私を守るために」
リセラは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと深く息を吐く。
「……わかっただ」
ぎゅっと拳を握る。
「なら、わだすは怒りでは動かねぇ。証拠を集めるだ。お嬢様のために」
アデルは、静かに微笑んだ。
「ありがとう、リセラ」
――こうして。
アデルは、ようやく「真実と向き合う側」に立った。
次に動くのは、守られる令嬢ではなく、すべてを終わらせる覚悟を決めた女だった。
*
廊下の梁と壁の影が重なる場所に、もうひとつの影が溶け込んでいた。
ノクスは、廊下の影に身を溶かしたまま、微動だにしない。
呼吸は壁の向こうに預け、鼓動だけを静かに沈めていた。
アデルとリセラの会話を全て聞き終えたノクスはぎゅっと拳を握った。
(……たどり着いたか)
アデルは、もう「守られるだけの女」じゃない。
狙われていることを理解したうえで、それでも立ち上がろうとしている。
(覚悟、決めやがったな)
ノクスは、息を殺したまま、静かに口角を上げた。
その後、彼は音もなく踵を返した。
廊下の空気が、何事もなかったように元へ戻っていった。
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