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その夜、ルイはノクスをモントレー邸へ連れ帰った。
屋敷の者に余計な詮索をさせないよう、ルイは人目につきにくい離れへ男を運び入れた。
離れは本邸から少し離れた庭の奥に建っている、二階建ての小さな建物だった。
もともとは来客用の簡素な宿泊棟として使われていたものだが、近年はほとんど使用されておらず、使用人たちも頻繁に出入りする場所ではない。
周囲は背の高い生垣と古い樹木に囲まれており、本邸からは屋根の一部がかろうじて見える程度である。
意識しなければ存在に気づかないほど静かな場所だった。
内部は質素ながら清潔に保たれており、一階には小さな居間と簡易の厨房、二階には寝室が二部屋ある。
ルイは男を二階の寝室へ運び込み、すぐに医師を呼びに人を走らせた。
すぐに信用できる医師を呼び寄せて治療を任せた。
肩の傷は深く裂けていたものの致命傷ではなく、頭部の裂傷も縫合することができた。
「運が良いですね。この出血量で生きているのは」
処置を終えた医師は感心したようにそう言い、十分に安静を保てば命に別状はないだろうと告げた。
看病は口の堅い年配の使用人に任せることにした。
信頼できる人物を選んだとはいえ、屋敷に見知らぬ男を匿っている事実が外に漏れることは避けたかった。
必要な手配をすべて終えると、ルイは迷わず本邸へ戻った。
向かう先は、考えるまでもなく一つしかなかった。アデルの部屋である。
扉を開けると、室内には静かな呼吸音だけが満ちていた。
寝台に横たわるアデルは、今日も目を閉じたまま微動だにしない。頬に触れる光は柔らかいのに、その表情には生命の気配が乏しく見えた。
ルイはゆっくりと歩み寄り、寝台の脇に跪いた。そして彼女の手をそっと包み込む。
温もりは確かにあった。
しかし、どれだけ握っても応えは返ってこない。
「……アデル……」
声は自然とかすれた。
胸の奥から込み上げてくる感情は言葉にならず、ただ苦しさだけが残る。
もし彼女が目を覚ましてくれるのなら、自分はどうなっても構わない。
その思いは祈りに近かったが、神に救いを求める祈りとは違っていた。
代償を差し出す覚悟に似た、どこか危うい願いだった。
長い夜が過ぎ、やがて朝が来る。
リセラが看病を交代するため部屋に入ってきた。ルイの顔を見るなり、彼女は眉を寄せる。
「……ルイ様、少しは休んだ方がいいべさ」
疲労は隠せていなかったが、ルイは小さく首を振った。
「リセラこそ、大丈夫なのか?」
それは本心だった。
彼女もまた限界まで消耗しているはずである。
リセラは、いつもの調子で胸を叩いた。
「わだすは何の問題もねぇですだ。この通り頑丈にできてるから、心配無用だべさ」
そう言って笑いながら、慣れた手つきでアデルの体勢を整え、髪を撫で、布を取り替えていく。
その姿には忠実な侍女としての責任感だけでなく、家族のような深い愛情が滲んでいた。
ルイは少しだけ安堵し、「……頼む」と言い残して部屋を出た。
向かった先は離れである。
部屋に入ると、男はまだ眠っていたが、昨夜よりも顔色は明らかに良くなっていた。常識では考えにくいほど回復が早い。
そのとき、年配の使用人が食事を持って現れた。
「お食事、召し上がれそうでしょうか」
「ああ、ありがとう。そこに置いてくれるかい」
使用人は男とルイを交互に見比べ、わずかに首を傾げた。
二人の顔立ちが似ていることに気づいたようだが、何も言わずに静かに下がっていった。
扉が閉まると、ルイは寝台に近づいた。
「食べられるか?」
声を掛けると、男の指がわずかに動いた。
数秒後、ゆっくりと瞼が開く。
「……あんたか……」
掠れた声だったが、意識ははっきりしていた。
「今日は短剣を向けないんだな」
ルイが言うと、男は小さく笑った。
「敵の気配じゃないからな」
ゆっくりと身体を起こそうとし、痛みに顔を歪める。
「っ、……、」
肩と頭には包帯が巻かれており、特に肩は深く裂けていた。
普通なら起き上がることすら難しいはずなのに、男は歯を食いしばりながら体を起こした。
その生命力は異常と言っても過言ではなかった。
「ノクスだ」
短く名乗る。
「……私はルイだ」
ノクスはじっとルイを見つめた。
観察するような視線だったが、そこには警戒だけでなく、どこか納得したような色も混じっていた。
「あんた……俺に似てるな」
「それは私のセリフだ」
ルイが即座に返すと、ノクスの口元がわずかに上がった。
「歳はいくつだ?」
「さぁな。知らないな。おそらく二十は過ぎてると思うが」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
ノクスの目を見れば、まともな出自ではないことは明らかだった。
やはり裏の人間だろう。
だが同時に、ルイの中では別の確信も生まれていた。
この男は使える。
そのとき、ノクスは食事に視線を向けた。
「……腹が減ってる。それ、食ってもいいか?」
遠慮はまったくない。
ルイは思わず息を吐いた。
「ああ。好きにしろ」
ノクスは器を取り、無言で食べ始めた。動きは荒いが確実で、生きることに迷いがない。
命を奪う側として生きてきた者特有の躊躇のなさだった。
その姿を見ながら、ルイは静かに思う。
自分がこの男を拾ったことは、間違いではなかったかもしれない。
この男は、きっと自分の目的に必要になる。
そんな予感が、はっきりと胸の中に根を下ろしていた。
屋敷の者に余計な詮索をさせないよう、ルイは人目につきにくい離れへ男を運び入れた。
離れは本邸から少し離れた庭の奥に建っている、二階建ての小さな建物だった。
もともとは来客用の簡素な宿泊棟として使われていたものだが、近年はほとんど使用されておらず、使用人たちも頻繁に出入りする場所ではない。
周囲は背の高い生垣と古い樹木に囲まれており、本邸からは屋根の一部がかろうじて見える程度である。
意識しなければ存在に気づかないほど静かな場所だった。
内部は質素ながら清潔に保たれており、一階には小さな居間と簡易の厨房、二階には寝室が二部屋ある。
ルイは男を二階の寝室へ運び込み、すぐに医師を呼びに人を走らせた。
すぐに信用できる医師を呼び寄せて治療を任せた。
肩の傷は深く裂けていたものの致命傷ではなく、頭部の裂傷も縫合することができた。
「運が良いですね。この出血量で生きているのは」
処置を終えた医師は感心したようにそう言い、十分に安静を保てば命に別状はないだろうと告げた。
看病は口の堅い年配の使用人に任せることにした。
信頼できる人物を選んだとはいえ、屋敷に見知らぬ男を匿っている事実が外に漏れることは避けたかった。
必要な手配をすべて終えると、ルイは迷わず本邸へ戻った。
向かう先は、考えるまでもなく一つしかなかった。アデルの部屋である。
扉を開けると、室内には静かな呼吸音だけが満ちていた。
寝台に横たわるアデルは、今日も目を閉じたまま微動だにしない。頬に触れる光は柔らかいのに、その表情には生命の気配が乏しく見えた。
ルイはゆっくりと歩み寄り、寝台の脇に跪いた。そして彼女の手をそっと包み込む。
温もりは確かにあった。
しかし、どれだけ握っても応えは返ってこない。
「……アデル……」
声は自然とかすれた。
胸の奥から込み上げてくる感情は言葉にならず、ただ苦しさだけが残る。
もし彼女が目を覚ましてくれるのなら、自分はどうなっても構わない。
その思いは祈りに近かったが、神に救いを求める祈りとは違っていた。
代償を差し出す覚悟に似た、どこか危うい願いだった。
長い夜が過ぎ、やがて朝が来る。
リセラが看病を交代するため部屋に入ってきた。ルイの顔を見るなり、彼女は眉を寄せる。
「……ルイ様、少しは休んだ方がいいべさ」
疲労は隠せていなかったが、ルイは小さく首を振った。
「リセラこそ、大丈夫なのか?」
それは本心だった。
彼女もまた限界まで消耗しているはずである。
リセラは、いつもの調子で胸を叩いた。
「わだすは何の問題もねぇですだ。この通り頑丈にできてるから、心配無用だべさ」
そう言って笑いながら、慣れた手つきでアデルの体勢を整え、髪を撫で、布を取り替えていく。
その姿には忠実な侍女としての責任感だけでなく、家族のような深い愛情が滲んでいた。
ルイは少しだけ安堵し、「……頼む」と言い残して部屋を出た。
向かった先は離れである。
部屋に入ると、男はまだ眠っていたが、昨夜よりも顔色は明らかに良くなっていた。常識では考えにくいほど回復が早い。
そのとき、年配の使用人が食事を持って現れた。
「お食事、召し上がれそうでしょうか」
「ああ、ありがとう。そこに置いてくれるかい」
使用人は男とルイを交互に見比べ、わずかに首を傾げた。
二人の顔立ちが似ていることに気づいたようだが、何も言わずに静かに下がっていった。
扉が閉まると、ルイは寝台に近づいた。
「食べられるか?」
声を掛けると、男の指がわずかに動いた。
数秒後、ゆっくりと瞼が開く。
「……あんたか……」
掠れた声だったが、意識ははっきりしていた。
「今日は短剣を向けないんだな」
ルイが言うと、男は小さく笑った。
「敵の気配じゃないからな」
ゆっくりと身体を起こそうとし、痛みに顔を歪める。
「っ、……、」
肩と頭には包帯が巻かれており、特に肩は深く裂けていた。
普通なら起き上がることすら難しいはずなのに、男は歯を食いしばりながら体を起こした。
その生命力は異常と言っても過言ではなかった。
「ノクスだ」
短く名乗る。
「……私はルイだ」
ノクスはじっとルイを見つめた。
観察するような視線だったが、そこには警戒だけでなく、どこか納得したような色も混じっていた。
「あんた……俺に似てるな」
「それは私のセリフだ」
ルイが即座に返すと、ノクスの口元がわずかに上がった。
「歳はいくつだ?」
「さぁな。知らないな。おそらく二十は過ぎてると思うが」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
ノクスの目を見れば、まともな出自ではないことは明らかだった。
やはり裏の人間だろう。
だが同時に、ルイの中では別の確信も生まれていた。
この男は使える。
そのとき、ノクスは食事に視線を向けた。
「……腹が減ってる。それ、食ってもいいか?」
遠慮はまったくない。
ルイは思わず息を吐いた。
「ああ。好きにしろ」
ノクスは器を取り、無言で食べ始めた。動きは荒いが確実で、生きることに迷いがない。
命を奪う側として生きてきた者特有の躊躇のなさだった。
その姿を見ながら、ルイは静かに思う。
自分がこの男を拾ったことは、間違いではなかったかもしれない。
この男は、きっと自分の目的に必要になる。
そんな予感が、はっきりと胸の中に根を下ろしていた。
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