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王都――
石畳の通りには、相変わらず人と馬車が行き交っていた。
昼下がりの喧騒から一歩離れた場所に、クロードの事務所はある。
通りに面した窓からは柔らかな光が差し込み、室内には整然と書類棚が並んでいた。
几帳面に分類された書類の束と、使い込まれた机。
その一角で、クロードは静かに書類に目を通している。
ペン先が紙の上を滑る音だけが、規則正しく響いていた。
「……モントレー領、話題になっていますね」
書類を抱えたマティアスが、机の脇に立ちながら声をかける。
「……どんな話題だ?」
クロードは顔を上げずに問い返した。
マティアスは口元にわずかな笑みを浮かべる。
「“土をひっくり返している領地がある”と、あちこちで噂になっています」
その言葉に、ペン先がぴたりと止まった。
「……そうか」
短く返す。
「領主自ら畑に出ているとか。しかも、その領主って――」
一拍置いて、少し楽しそうに言う。
「アデルさん、ですよね?」
クロードはゆっくりとペンを置いた。
「ふ……噂が回るのは早いな」
「ええ。それに、尾ひれもなかなか見事です」
マティアスは肩をすくめる。
「小柄な女性が大きな岩を軽々と運んだとか」
少し身を乗り出す。
「……あれは、リセラじゃないかと」
「ああ、間違いないだろう」
クロードの口元がわずかに緩む。
「ほかにも、見慣れない作物の種を大量に仕入れているとか、土壌の研究者が出入りしているとか……」
「ほう。よく集めたな」
「情報屋に頼らずとも、噂の方から勝手に集まってきますよ」
マティアスは苦笑した。
「それだけ注目されている、ということでしょうね」
クロードは小さく頷いた。
「……そうだな」
そして、静かに言う。
「マティアスが聞いた通りのことが、モントレー領で起きている」
その言葉に、マティアスの表情がやわらぐ。
「そうですか……あの二人は元気にしているのですね」
「ああ」
クロードはわずかに肩の力を抜いた。
「元気すぎるくらいだろう」
低く笑う。
そのとき、扉が開く音がした。
「ただいま戻りました」
クラリスが外套を軽く払って室内に入ってくる。
少し頬を紅潮させ、外の空気をまとったまま歩み寄った。
「……何の話?」
「モントレー領の話をしていたんだ」
マティアスが答える。
「今、王都でちょっとした噂になっているからさ」
「そうね。私も耳にしたわ」
外套を脱ぎながら、クラリスは話を続ける。
「土地の改良に、伯爵が随分と熱心だと」
「アデルさんらしいな」
マティアスが肩をすくめる。
クラリスはふっと微笑んだ。
「……でも、アデルさん達なら……」
優しく言う。
「本当にやってくれそうだわ」
クロードは何も言わなかった。
ただ、再びペンを手に取る。
紙の上に、さらさらと文字が刻まれていく。
その表情には、わずかな確信が宿っていた。
――モントレーは、変わる。
いや。すでに、変わり始めている。
*
クロードの事務所の階段を上がると、空気がわずかに変わる。
紙とインク、そして古い革の匂い。
二階は、小さな古本屋兼貸本屋になっていた。
壁一面に並ぶ書物は、年季の入ったものばかりだが、どれも丁寧に手入れされている。
カウンターの奥で、ひとりの老人が椅子に腰掛けていた。
「……珍しいのう」
本から顔を上げ、細めた目でクロードを見る。
「お主が昼間に顔を出すとは」
「仕事の合間です」
クロードは短く答え、棚へ視線を走らせた。
「お嬢さんは元気そうだな?」
老人は口角を上げて尋ねる。
「もう、ご存知なのですね」
クロードの返答に、老人は喉の奥でくつくつと笑った。
「とっくに耳に入っておる」
本を閉じ、机の上に置く。
「情報は流れるものじゃ。流れを見ておれば、勝手に形になる」
クロードは、黙って老人を見つめた。
「見出しは――【女伯爵、泥だらけで領民と共に土地を改良する】……といったところかの」
「ふ……見出しだけで、すべてが伝わりますね」
「ああ。購買意欲を掻き立てるのは、何より見出しだからな」
老人の目が、わずかに楽しげに細められる。
「……お嬢さんらしい」
クロードは何も言わなかった。
だが、その沈黙を肯定と受け取ったのか、老人は続ける。
「元気になって何よりじゃ。型破りな女伯爵になるだろうな」
ゆっくりと背もたれに体を預ける。
クロードは目を細めた。
「評価は?」
「まだ早い」
即答だった。
「じゃが――」
一瞬、間を置く。
「成功すれば、流れが変わる」
「流れ、ですか」
「うむ」
老人は遠くを見るように目を細める。
「王都の連中はのう、“終わった領地”には興味を示さん」
だが、と続ける。
「“変わり始めた領地”には、群がる」
その声には、長年の経験が滲んでいた。
「金も、人も、噂もな」
クロードは静かに頷く。
「……いずれ、そうなるでしょう」
「すでに、なりかけておる」
老人は軽く笑った。
「……あの娘は、覚悟を決めた顔をしておった」
ぽつりと呟く。
「ここに来た頃とは、別人じゃな」
クロードの指が、わずかに止まる。
「……ええ」
静かに答える。
「もう、“守られる側”ではありません」
「ならば、よい」
老人は満足そうに頷いた。
そして、ちらりとクロードを見る。
「お主も、面白い仕事を拾ったな」
「ええ。久しぶりに」
クロードは小さく笑った。
その声は、わずかに柔らいでいる。
老人は再び本を手に取った。
「せいぜい、見届けることじゃな」
ページをめくりながら言う。
「“がむしゃらの先に、何があるか”を」
クロードは何も答えず、踵を返した。
階段へ向かう。
背後で、老人の声がぽつりと落ちる。
「――あの娘は、運がいい」
クロードの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
「良い人間に、出会っておる」
その言葉に、クロードは振り返らなかった。
ただ静かに、階段を降りていった。
~~~~~~~~~~~~~
*このたび、第19回恋愛小説大賞にて、奨励賞をいただくことができました!
いつも読んでくださる皆さまのおかげです。心より感謝申し上げます。
これからも楽しんでいただける作品をお届けできるよう、精一杯頑張ります。
引き続きよろしくお願いいたします。
石畳の通りには、相変わらず人と馬車が行き交っていた。
昼下がりの喧騒から一歩離れた場所に、クロードの事務所はある。
通りに面した窓からは柔らかな光が差し込み、室内には整然と書類棚が並んでいた。
几帳面に分類された書類の束と、使い込まれた机。
その一角で、クロードは静かに書類に目を通している。
ペン先が紙の上を滑る音だけが、規則正しく響いていた。
「……モントレー領、話題になっていますね」
書類を抱えたマティアスが、机の脇に立ちながら声をかける。
「……どんな話題だ?」
クロードは顔を上げずに問い返した。
マティアスは口元にわずかな笑みを浮かべる。
「“土をひっくり返している領地がある”と、あちこちで噂になっています」
その言葉に、ペン先がぴたりと止まった。
「……そうか」
短く返す。
「領主自ら畑に出ているとか。しかも、その領主って――」
一拍置いて、少し楽しそうに言う。
「アデルさん、ですよね?」
クロードはゆっくりとペンを置いた。
「ふ……噂が回るのは早いな」
「ええ。それに、尾ひれもなかなか見事です」
マティアスは肩をすくめる。
「小柄な女性が大きな岩を軽々と運んだとか」
少し身を乗り出す。
「……あれは、リセラじゃないかと」
「ああ、間違いないだろう」
クロードの口元がわずかに緩む。
「ほかにも、見慣れない作物の種を大量に仕入れているとか、土壌の研究者が出入りしているとか……」
「ほう。よく集めたな」
「情報屋に頼らずとも、噂の方から勝手に集まってきますよ」
マティアスは苦笑した。
「それだけ注目されている、ということでしょうね」
クロードは小さく頷いた。
「……そうだな」
そして、静かに言う。
「マティアスが聞いた通りのことが、モントレー領で起きている」
その言葉に、マティアスの表情がやわらぐ。
「そうですか……あの二人は元気にしているのですね」
「ああ」
クロードはわずかに肩の力を抜いた。
「元気すぎるくらいだろう」
低く笑う。
そのとき、扉が開く音がした。
「ただいま戻りました」
クラリスが外套を軽く払って室内に入ってくる。
少し頬を紅潮させ、外の空気をまとったまま歩み寄った。
「……何の話?」
「モントレー領の話をしていたんだ」
マティアスが答える。
「今、王都でちょっとした噂になっているからさ」
「そうね。私も耳にしたわ」
外套を脱ぎながら、クラリスは話を続ける。
「土地の改良に、伯爵が随分と熱心だと」
「アデルさんらしいな」
マティアスが肩をすくめる。
クラリスはふっと微笑んだ。
「……でも、アデルさん達なら……」
優しく言う。
「本当にやってくれそうだわ」
クロードは何も言わなかった。
ただ、再びペンを手に取る。
紙の上に、さらさらと文字が刻まれていく。
その表情には、わずかな確信が宿っていた。
――モントレーは、変わる。
いや。すでに、変わり始めている。
*
クロードの事務所の階段を上がると、空気がわずかに変わる。
紙とインク、そして古い革の匂い。
二階は、小さな古本屋兼貸本屋になっていた。
壁一面に並ぶ書物は、年季の入ったものばかりだが、どれも丁寧に手入れされている。
カウンターの奥で、ひとりの老人が椅子に腰掛けていた。
「……珍しいのう」
本から顔を上げ、細めた目でクロードを見る。
「お主が昼間に顔を出すとは」
「仕事の合間です」
クロードは短く答え、棚へ視線を走らせた。
「お嬢さんは元気そうだな?」
老人は口角を上げて尋ねる。
「もう、ご存知なのですね」
クロードの返答に、老人は喉の奥でくつくつと笑った。
「とっくに耳に入っておる」
本を閉じ、机の上に置く。
「情報は流れるものじゃ。流れを見ておれば、勝手に形になる」
クロードは、黙って老人を見つめた。
「見出しは――【女伯爵、泥だらけで領民と共に土地を改良する】……といったところかの」
「ふ……見出しだけで、すべてが伝わりますね」
「ああ。購買意欲を掻き立てるのは、何より見出しだからな」
老人の目が、わずかに楽しげに細められる。
「……お嬢さんらしい」
クロードは何も言わなかった。
だが、その沈黙を肯定と受け取ったのか、老人は続ける。
「元気になって何よりじゃ。型破りな女伯爵になるだろうな」
ゆっくりと背もたれに体を預ける。
クロードは目を細めた。
「評価は?」
「まだ早い」
即答だった。
「じゃが――」
一瞬、間を置く。
「成功すれば、流れが変わる」
「流れ、ですか」
「うむ」
老人は遠くを見るように目を細める。
「王都の連中はのう、“終わった領地”には興味を示さん」
だが、と続ける。
「“変わり始めた領地”には、群がる」
その声には、長年の経験が滲んでいた。
「金も、人も、噂もな」
クロードは静かに頷く。
「……いずれ、そうなるでしょう」
「すでに、なりかけておる」
老人は軽く笑った。
「……あの娘は、覚悟を決めた顔をしておった」
ぽつりと呟く。
「ここに来た頃とは、別人じゃな」
クロードの指が、わずかに止まる。
「……ええ」
静かに答える。
「もう、“守られる側”ではありません」
「ならば、よい」
老人は満足そうに頷いた。
そして、ちらりとクロードを見る。
「お主も、面白い仕事を拾ったな」
「ええ。久しぶりに」
クロードは小さく笑った。
その声は、わずかに柔らいでいる。
老人は再び本を手に取った。
「せいぜい、見届けることじゃな」
ページをめくりながら言う。
「“がむしゃらの先に、何があるか”を」
クロードは何も答えず、踵を返した。
階段へ向かう。
背後で、老人の声がぽつりと落ちる。
「――あの娘は、運がいい」
クロードの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
「良い人間に、出会っておる」
その言葉に、クロードは振り返らなかった。
ただ静かに、階段を降りていった。
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