その令嬢、三回転んで恋をする

とっくり

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 華やかな舞踏会場で、男性たちの会話がひと段落したころ。

「ああ――失礼。旧知の者が来ているようだ」

 リチャードが、会場の奥へと視線を向ける。
 その先には、手を挙げて合図を送る紳士の姿があった。

「少し挨拶をしてこよう。マーガレット」

「ええ、行きましょう」

 マーガレットも静かに頷き、二人はその場を離れる。

 去り際、マーガレットが娘たちへ柔らかく微笑みかけた。

「ご無理のないように楽しんでいらっしゃい」

「はい、お母様」

 シャーロットが穏やかに応じる。

 足音が遠ざかり、ふと周囲のざわめきが一段近くなる。

 残されたのは、四人。
 ほんの一瞬の、静かな間。

 その空気をほどくように、エドワードが一歩前へ出た。

「よろしければ、このあと一曲――ご一緒いただけますか」

 迷いのない仕草で、シャーロットへと手を差し出す。

 シャーロットは、ほんの一瞬だけエマへ視線を送り、それから静かに微笑む。

「喜んで」

 指先が重なる。

 そのまま二人は、音楽の流れる中央へと歩み出ていった。

 自然で、絵になる光景だった。

(……とてもお似合いだわ)

 エマは小さく息をつく。
 胸の奥が、今度はほんのりと温かくなる。

(ロッティ、よかったわ)

 そう思いながら、ふと気づく。
 ――自分が、一人になっていることに。

 そして。

 すぐそばに、もう一人。
 同じようにその場に残された男がいた。

 アルヴィン・グレイフォード伯爵。

 少しの沈黙のあと、彼が口を開いた。

「……ミス・フェアフィールドは」

「エマとお呼びください、グレイフォード伯爵」

 エマはすかさず言葉を重ねる。
 ほんの少しだけ、意地を込めて。
 アルヴィンは一瞬、わずかに間を置いた。

「……ならば、私のこともアルヴィンと」

「承知しました。アルヴィン様」

 ぎこちないが、形式としては整ったやり取りだった。それでもどこか、かみ合っていない。

「……君はいくつだ?」

 間を埋めるように投げられた問いに、エマはすぐに眉を上げた。

「おほほ……アルヴィン様。淑女に年齢をお尋ねになるのは、あまり感心いたしませんわ」

 やや嫌味を込めて返す。
 するとアルヴィンは、はっとしたようにわずかに目を見開いた。

「……すまない。私は、時に無作法になってしまう」

 まっすぐな謝罪だった。

(……あら?)

 エマは、ほんの少しだけ目を瞬かせる。
 思っていた反応とは違う。

 言い返されるか、気にも留められないか――そのどちらかだと思っていたのに。

 こんなふうに、素直に謝るとは。

(なんだか……こちらのほうが、無作法みたいじゃない)

 自分の言葉が、急に気恥ずかしくなる。

「……先月で十九になりました」

 少しだけ声の調子を落として答えると、

「そうか。私は二十六だ」

 淡々と返ってくる。

(え……)

 エマは思わず顔を上げた。

(もっと年上かと思っていたわ……)

 あの物言いも、雰囲気も、落ち着きすぎているのだ。少なくとも、三十は越えていると思っていた。

「姉の方はいくつだ?」

「ロッティは二十歳です」

「そうか」

 アルヴィンは、視線をダンスフロアへ向ける。

 そこでは、エドワードとシャーロットが、軽やかにステップを踏んでいた。

 互いに言葉を交わしているのだろう。
 ふとした瞬間に、シャーロットの唇がやわらかくほどけ、エドワードの表情もまた穏やかに和らぐ。

 視線が合うたび、どちらからともなく微笑みが生まれる。

 まるで最初から呼吸が合っていたかのように、二人の動きはなめらかに重なり、音楽の流れの中で自然に溶け込んでいる。

「エドが二十四だから……ちょうどいいな」

 ぽつりと、独り言のように落とされる。

(……ちょうどいい?)

 エマは、わずかに眉を寄せる。
 その言葉の意味を、考える。
 
 そして――

(ああ、そういうこと)

 胸の奥が、少しだけ静かになる。

 シャーロットとエドワード。

 年齢も、雰囲気も、釣り合っている。
 誰が見ても、自然に視線を引き寄せられる組み合わせだった。

 明るい光をまとうようなエドワードの存在と、やわらかな気品をたたえたシャーロットの美しさは、不思議なほど調和している。

 すれ違う人々が、思わず目を留める。
 言葉にはしないまでも、誰もが同じことを感じているのがわかる。

 ――ああ、よく似合っている、と。

 非の打ちどころのない、美男と美女。

 それはただ美しいだけでなく、ひとつの完成された絵のようで、そこにあること自体が、あまりにも自然だった。

(……なるほど)

 視線をダンスフロアへ向けたまま、エマは瞳を輝かせていると、

「飲み物でも?」

 アルヴィンが、ふいに言った。

「え、ええ……では、果実水を……」

 少し戸惑いながら答えると、彼は短く頷き、そのまま給仕台のほうへと向かっていった。

(……意外)

 エマは、その背中を見送りながら思う。
 無愛想で、冷たい人だと思っていたのに。
 こうしてさりげなく気遣いを見せるところは――

(……悪い人では、ないのかもしれないわ)

 少なくとも、先ほどのように構えてばかりいる必要はないのかもしれない。

 少しだけ肩の力が抜ける。

 ふと視線を上げると、ダンスを終えたエドワードとロッティが、近くのテーブルでグラスを手にしていた。

 ワインと果実水。
 軽く喉を潤しながら、楽しげに言葉を交わしている。

 その距離は、先ほどよりもほんの少しだけ近い。

(……今、あちらに行ったら、お邪魔かしら)

 エマは足を止める。

 視線だけをさまよわせ、きょろきょろと周囲を見回した。

 ――アルヴィンが、戻ってこない。

 給仕台のほうへ目を向けると、彼は数人の貴族に囲まれ、応じているようだ。

(……これは、しばらく戻らなさそうね)

 ほんの少し迷ってから、

(飲み物は…自分で取りに行ったほうが早いわ)

 そう判断し、エマは給仕台へと歩き出した。
 だが、近づくにつれ、ふと、耳に入ってきた言葉に、足が止まる。

「フェアフィールド姉妹と一緒だったな」

 軽く笑いを含んだ声は、若い令息のものだった。

「美人で有名な姉のほうは、エドに取られたのか」

 続けて、別の令嬢が扇子の陰でくすりと笑う。

「では、グレイフォード伯爵は妹君のほうで妥協なさるの?」

(……え?)

 言葉が、はっきりと自分に向けられているとわかる。

 アルヴィンは、背を向けたまま答えた。

「妥協も何も。今日、知り合ったばかりだが」

 興味のない事実を述べるような口調だった。

「姉ならともかく……妹は少々、騒がしい印象でしたわね」

 別の令嬢が、やわらかな声で言う。
 言葉は穏やかでも、意味は優しくない。

「確かに。アルヴィン、ワインをぶちまけられていただろう」

 先ほどの令息が、思い出したように肩をすくめる。アルヴィンは、胸元の染みに視線を落とした。

「ああ…淑女としては、いささか粗雑だな」

 アルヴィンのその一言に、くすくすと笑いが重なる。

「舞踏会で転ぶ令嬢なんて、初めて見ましたわ」

「まあ……という意味では、才能かもしれませんけれど」

 令嬢たちは楽しげに言葉を交わす。
 その輪の中で、一人の令嬢が言った。

「アルヴィン様のお好みには、合いそうにありませんわね?」

 ほんのわずかな間のあと、

「……そうだな」

 アルヴィンは、淡々と答える。

「ああいう女性は、苦手だ」

 ――エマの胸の奥で、何かが音もなくひび割れ始めた。




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