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不幸は突然に訪れる。
それはもう、些細な日常に紛れ込む悪魔の如く。
その日、僕は授賞式の会場へと向かっていた。
優希にネクタイを結んでもらい、背中を押されて玄関を出たのだ。
少しだけ緊張しながら、会場に辿り着いた。
意を決し、会場に入ろうとしたところで、僕の携帯電話が鳴った。
何だか嫌な予感がした。
恐る恐る携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「もしもし……」
「佐久間悟さんの携帯電話でしょうか」
開口一番そう言った電話口の男の話に、僕は次第に顔を青ざめさせた。
電話を切った僕は、会場の受付へと足を向けた。
そして、授賞式欠席の旨を伝え、僕は走った。
タクシーを捕まえ、乗り込む。
「びょ、病院に急いでください! 妻が……!!」
僕の声が余程、切羽詰っていたのだろう。
タクシーの運転手は、真剣な表情で一つ頷いた。
病院に駆けつけると、どこからともなく赤子の泣き声が聞こえてきた。
その事実に茫然としている僕に医者が話しかけてくる。
「佐久間悟さんですか?」
どこか労わるようにそう尋ねられた。
僕はただ声も出せず、頷くことしか出来なかった。
そのまま、医者は続ける。
残酷なまでの現実を僕に見せつけるかのように。
「警察から聞いていらっしゃるかもしれませんが、佐久間優希さんが交通事故に遭い、当病院に運び込まれました」
「それで、優希は……。彼女、お腹に赤ん坊がいるんです」
「えぇ。病院に運び込まれた時には既に、母子共に危険な状態でした。助けるにしても、どちらかしか助けられない状態だったのです。ご理解ください」
またもや、赤子の泣き声が響き渡る。
「……それで、どっちを……」
僕の声は掠れていた。
答えはもう分かっていた。
けれど、きちんと他人から聞きたかった。
「手術室で、優希さんは意識をほんの一瞬だけ取り戻されました。彼女は息も絶え絶えに『子どもを……』と言い、また意識を手放したのです」
……もうこの世に優希がいないということを。
「それじゃあ、優希は……」
「すみません」
そう言って医者は頭を下げた。
その後ろから、赤ん坊を抱いた看護師がやって来る。
彼らを、馬鹿野郎と詰ってやりたかった。
彼らに、優希を返せと殴りたかった。
でも、出来なかった。
ひとり、痛みに苦しみながら二つの命のどちらかを選択した優希のことを思うと……。
そしてその結果、我が子をこの世に残した彼女の思いを想像すると……。
やり切れなくて、涙も出なかった。
心の奥が震えて、どうしようもなかった。
「この子が……」
僕はそう言って、看護師から赤ん坊を受け取った。
温かい重みが僕の腕の中に存在している。
「女の子です」
看護師はそう言い、懐から何かを取り出した。
「それから、こちらも優希さんから……」
看護師が差し出したのは、お洒落な万年筆の箱とそこに添えられているメッセージカードだった。
『受賞、おめでとうだね』
簡潔に綺麗な文字でそう書かれたメッセージカードは、とても彼女らしかった。
優希が僕に残したのは、受賞祝いの万年筆とメッセージカード。
それから、この腕にある一つの生命だけだった。
彼女の残した生命は、まるで母親がいないことを知っているかのように、一際大きな声で泣き出すと、僕の指を握ってきた。
その様子に、必死で生きていると主張してくる小さな彼女に、僕はやっと一粒の涙を流すことが出来た。
強く、優しく、泣き虫な優希の笑顔が、僕の中に溢れ出してくる。
その記憶は、どこまでも温かく、どこまでも愛に満ちていた。
それはもう、些細な日常に紛れ込む悪魔の如く。
その日、僕は授賞式の会場へと向かっていた。
優希にネクタイを結んでもらい、背中を押されて玄関を出たのだ。
少しだけ緊張しながら、会場に辿り着いた。
意を決し、会場に入ろうとしたところで、僕の携帯電話が鳴った。
何だか嫌な予感がした。
恐る恐る携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「もしもし……」
「佐久間悟さんの携帯電話でしょうか」
開口一番そう言った電話口の男の話に、僕は次第に顔を青ざめさせた。
電話を切った僕は、会場の受付へと足を向けた。
そして、授賞式欠席の旨を伝え、僕は走った。
タクシーを捕まえ、乗り込む。
「びょ、病院に急いでください! 妻が……!!」
僕の声が余程、切羽詰っていたのだろう。
タクシーの運転手は、真剣な表情で一つ頷いた。
病院に駆けつけると、どこからともなく赤子の泣き声が聞こえてきた。
その事実に茫然としている僕に医者が話しかけてくる。
「佐久間悟さんですか?」
どこか労わるようにそう尋ねられた。
僕はただ声も出せず、頷くことしか出来なかった。
そのまま、医者は続ける。
残酷なまでの現実を僕に見せつけるかのように。
「警察から聞いていらっしゃるかもしれませんが、佐久間優希さんが交通事故に遭い、当病院に運び込まれました」
「それで、優希は……。彼女、お腹に赤ん坊がいるんです」
「えぇ。病院に運び込まれた時には既に、母子共に危険な状態でした。助けるにしても、どちらかしか助けられない状態だったのです。ご理解ください」
またもや、赤子の泣き声が響き渡る。
「……それで、どっちを……」
僕の声は掠れていた。
答えはもう分かっていた。
けれど、きちんと他人から聞きたかった。
「手術室で、優希さんは意識をほんの一瞬だけ取り戻されました。彼女は息も絶え絶えに『子どもを……』と言い、また意識を手放したのです」
……もうこの世に優希がいないということを。
「それじゃあ、優希は……」
「すみません」
そう言って医者は頭を下げた。
その後ろから、赤ん坊を抱いた看護師がやって来る。
彼らを、馬鹿野郎と詰ってやりたかった。
彼らに、優希を返せと殴りたかった。
でも、出来なかった。
ひとり、痛みに苦しみながら二つの命のどちらかを選択した優希のことを思うと……。
そしてその結果、我が子をこの世に残した彼女の思いを想像すると……。
やり切れなくて、涙も出なかった。
心の奥が震えて、どうしようもなかった。
「この子が……」
僕はそう言って、看護師から赤ん坊を受け取った。
温かい重みが僕の腕の中に存在している。
「女の子です」
看護師はそう言い、懐から何かを取り出した。
「それから、こちらも優希さんから……」
看護師が差し出したのは、お洒落な万年筆の箱とそこに添えられているメッセージカードだった。
『受賞、おめでとうだね』
簡潔に綺麗な文字でそう書かれたメッセージカードは、とても彼女らしかった。
優希が僕に残したのは、受賞祝いの万年筆とメッセージカード。
それから、この腕にある一つの生命だけだった。
彼女の残した生命は、まるで母親がいないことを知っているかのように、一際大きな声で泣き出すと、僕の指を握ってきた。
その様子に、必死で生きていると主張してくる小さな彼女に、僕はやっと一粒の涙を流すことが出来た。
強く、優しく、泣き虫な優希の笑顔が、僕の中に溢れ出してくる。
その記憶は、どこまでも温かく、どこまでも愛に満ちていた。
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