元Sランク冒険者の元に、突然やってきたのは幼女とゴーレムだった。

高殿アカリ

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王立学園

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「う、うぅ……」
メグは悪夢を見ていた。
ここ最近の彼女はずっと悪夢にうなされている。
額には汗が浮かび、彼女の手はシーツをきつく握り締める。
はぁはぁと荒い呼吸を漏らすメグを、青い月だけが知っていた。

メグはクローゼットの暗闇に身を潜めていた。
いつもはお仕置きと称して閉じ込められている場所だが、どうやら今回はそういう話ではなさそうだと幼いながらにも分かった。
外が騒がしかったからだ。
その喧騒がメグの不安を煽る。
彼女はぎゅっと膝を抱え込んだ。
絶え間のない鈍痛が彼女の感覚を鈍らせている。
と、その時。
一際大きな叫び声が聞こえ、メグは身体を僅かに震えさせた。
そのあとに静寂が訪れた。
部屋の重たい金属製の扉が開かれ、誰かの足音が聞こえてくる。
柔らかい足音に敵意はなく、メグは心臓を痛いほど高鳴らせていた。
淡い期待が彼女の心を支配する。
それはこれまでいつだってメグを裏切ってきた。
だが、今回ばかりは違うようだった。
ガチャリとクローゼットの扉が開かれ、恐怖に震えた表情でメグは顔を上げた。
大きなつばのある真っ黒な帽子を被った一人の女性が、泣きそうな表情でメグを見つめていた。
そこに立っていた人物こそ、メグの恩人であり、のちに師匠となるエレナその人であった。
「貴女がメグね?」
エレナはメグを覗き込む。
それから小さなメグの身体を抱え上げた。
骨と皮ばかりの幼女はまるで羽のように軽かった。その異常なまでに不健康な軽さにエレナは眉を顰める。
「ここまでとは……」
恐怖に慄いた幼い彼女の表情に胸を痛めた。
外には土砂降りの雨が降っていた。エレナはメグを抱えたまま、ひたすらに安全な場所へと足を動かした。
メグはじっと雨に濡れたエレナの横顔を見つめていた。

「っ! はぁはぁはぁ……」
悪夢から目覚め、メグは強い喉の渇きを覚えた。
悪夢の内容は一つも覚えておらず、霧がかった悪夢の残滓がメグの気分を悪くさせているだけだった。
ベッドサイドに置かれた水差しで喉を潤し、それでも尚しゃがれた声でメグは呟く。
「お師匠様……私は一体、何者なのでしょうか……」
疑問を呈するものの、ずきりと側頭部が痛んだ。そして、メグの意識は再び混濁した世界へとゆっくり沈んでいったのだった。

悪夢を見た数日後のことだった。
その日は朝から嫌な予感がメグに纏わりついていた。
重たい頭を抱えて朝食に現れたメグの様子にレオンもガイアも心配そうに声をかける。
「おい、今日は休んだ方がいいんじゃねぇのか。顔色がわりぃぞ」
「ガイアの言う通りだ。学園には俺の方から連絡しておくから」
 だが、二人の保護者に心配をかけたくないメグは何でもないふりをして笑った。
 ディックの気遣う視線にももう慣れている。
「大げさだなぁ。昨日ちょっと夜更かししちゃっただけだよ。それに、今日はキャロルちゃんとのグループ研究もあるの。ずぅっと前から楽しみにしていた授業だから、絶対に出たいんだ。……駄目かな?」
 首を傾げて二人を見上げれば、彼らは渋々といった様子で頷いてくれた。
「そこまで言うなら、うーん。仕方がないのかもしれんが……」
「何かあったらレオンに言えよ? 俺は家であったまれるもんでも作っておくからよ」
 メグに甘いガイアの後押しでレオンも気持ちを切り替えたようであった。
「無理はするなよ、メグ」
「うん、わかった」
「絶対の約束だぞ?」
「うん」
 何度心配されてもメグの心は浮足立ってしまう。
 全肯定のガイアはもちろん、なんだかんだ言いながら最終的にはメグのしたいようにさせてくれるレオンの優しさにいつだってメグはくすぐったい気持ちがしていた。
 まるで本当の家族にでもなれたみたい……。
 気が付けば、頭の鈍痛も少しだけ和らいでいた。
「ずっとこのまま、仲良く三人と一匹と、あと出来ればエレナさんも。みんなで一緒に生きていけたらいいのになぁ」
 揺れる馬車の窓越しにメグはひっそりと願いをかけた。

「メグちゃん、何か良いことでもあった?」
 講義室への移動途中でキャロルがメグにそう問いかけた。
「え? どうして⁉ なんかおかしかったかな?」
 慌てて頬を抑えたメグにキャロルの頬も緩んだ。
「ううん、ただどこか上機嫌なように見えたから」
「そ、そう? まぁレオンさんとね、ガイアさんに朝から心配されちゃってね。いや、本当は心配をかけたくないんだけど、でもなんだか嬉しくてね。それだけのことなんだけどね……うん、本当なんでもないんだよ」
「レオン先生が心配? メグちゃん、もしかしてどこか具合が悪いの?」
「えっと、」
 メグが口を開きかけたときだった。
 突然、校舎内が大きく揺れたかと思うとけたたましいサイレンが学園中に響き渡る。
そして、その警報は学園を超えて王城内にまでも届いたのだった。
「キャ、キャロルちゃん……」
「メグちゃん」
 手を取り合う二人の頭上からエイブラハム学園長の切羽詰まった声が聞こえてきた。
 緊急時用の魔法放送である。
「現在、学園の防壁膜に解れが見受けられる。生徒たちは各自すぐに帰宅するように‼」
 学園長は三度繰り返した。
 メグとキャロルの視線が混じり合う。
「防壁膜って、頑丈に守られているはずじゃあ……」
「そうだよね。……キャロルちゃん、私レオンさんのところに行かなきゃ!」
「うん、気を付けてね!」
「ありがとう! キャロルちゃんも‼」
メグはキャロルと別れ、レオンのいる小屋に急ぎ足で向かう。
メグのローブのポケットからミニディックが顔を出してきょろきょろと周囲を見渡している。
「こら、危ないから出ちゃダメ」
 メグがミニディックの身体をポケットの中に押し込んだ。
そのとき、反対方向に帰宅する生徒たちの波に流されかけながらも、必死に一歩を踏み出す彼女の腕を誰かが掴んだ。
レオンだと思って顔を上げたメグは、その人物を確認して驚いた。
「クレア、先生……?」
戸惑いと警戒心を露わにしたメグにクレアは微笑みかける。
「レオンさんのところに連れて行ってあげるわ」
それにメグが返事をする前に、彼女はメグの柔い手首をやや粗雑に引っ張っていった。
「っ! い、痛いです、先生……」
「小さくてすぐに見失ってしまうから仕方がない事なのよ。我慢しなさ~い」
非常事態であると言うのに、クレアはどこまでも普段通りであった。いいや、その口調は寧ろ嬉々としてさえあった。
生徒たちの波から連れ出されても尚、クレアの足は止まらなかった。その行く先はレオンのいる森の方向ではない。
顔を青褪めさせたメグが問いかけた。
彼女の声は可哀想に震えていた。
「先生……?」
クレアの瞳が何の感情も浮かべずにただメグを見つめた。
「さぁ、行きましょう――――贄姫」
彼女がそう告げた途端、いきなりがっくんとメグの身体から力が抜けていった。
それはまるで魅了魔法にかかったかのようであった。
メグの瞳から光が消え、彼女は正気を失った。
このとき、ミニディックもメグのポケットの中でただの土の塊に戻ってしまっていた。
華奢なメグの身体を抱え上げ、クレアが一歩踏み出した時だった。
彼女の前にレオンが立ちはだかる。
「おい、クレア。メグをどこに連れて行くつもりだ」
青筋を立てたレオンに、クレアは弁明の余地なしと考え、終ぞ己の本性を現した。
「あら、ざーんねん。折角、贄姫を連れ戻そうとしたのに~。空気の読めない男は嫌われるわよ?」
「……贄姫、だと? 一体何の話だ」
「あらあら、坊っちゃまには少し大人な話でしたわね」
そう言うや否や、クレアは物凄い速さでレオンの背後を取った。そして、彼の鳩尾に重たい一撃を食らわせた。
「……がっ!」
レオンの目が衝撃と痛みに見開かれるも、すぐさま彼は反撃を繰り出す。だが、その拳は虚空を切った。
クレアのスピードは人間と思えないほどに素早く、かつ彼女の腕の中にはメグがいるのである。
レオンにとってかなり不利な状況だ。
「くそっ!」
レオンは悪態を吐きながらも、何とかクレアの隙を突こうと慎重に機会を窺っていた。だが、その間にクレアの無詠唱魔法が完了されてしまう。
不運にも、魔力のないレオンはクレアが裏で無詠唱魔法を構築していることに全く気付けなかった。
クレアがにやりと不敵な笑みを見せ、人差し指を一度だけ振る。途端、レオンの身体は勢いよく地面に叩きつけられた。
全身を襲う衝撃に、彼の意識が酩酊する。その間にも重力がゆっくりとレオンの身体を地面にめり込ませて行く。
ギシギシと身体中、音がして冷や汗がレオンの額を伝う。痛みを痛みと認識する前に、彼の痛覚は壊れた。
こんな魔法とも言えないような、ただ魔力をそのままぶつけられたみたいな攻撃をレオンは知らない。
クレアの成したことは到底人間が行える範疇のものではなかった。
「おっ、ごふっ、おまえ、はっ……なに、ものっ……あがっ!」
血反吐を撒き散らしながらレオンは問いかけるも、返事はない。ぼやけた視界の向こうに、何やら見覚えのある影が見えて、そのまま彼は意識を失った。
命まで刈り取られなかったのは、ひとえに彼を助けるためにクレアの注意を引きつける人物が現れたからだった。
「へぇ、我が愚弟をここまで追い詰めるとはね……」
レオンの姉、エレナだった。
「……誰?」
部外者の乱入に初めてクレアは警戒心を見せる。エレナはクレアの問いに答えることなく、簡潔に呪文を唱えた。
クレアはエレナからの攻撃に身構えるも、一向に異変は起きない。不思議に思ったのも刹那、ずるりとクレアの身体から魔力が流れ出ていくのが分かった。
彼女も膨大な魔力は両腕を通り、メグに注がれている。
「はっ! ――――がはっ! っ、なに、を!」
身体から魔力が急速に失われて行くのを必死で止めようとするも、焼け石に水であった。魔力を失った彼女の姿は今や、醜い老婆と成り果てている。
「あぁ、あぁあ、ぁぁああ」
「その子にはね、記憶障害の魔法をかけたの。私が連れ出す前の記憶を全て忘れさせる魔法をね」
エレナの言葉にクレアは目を見開かせ、口を大きく開けた。黄ばんだ歯から粘ついた唾液が飛ぶ。
「人間の、分際で――――なんっという、呪い、をぉぉぉおお」
クレアの言葉にエレナは顔を歪ませた。
「ええ、そうよ。魔女に伝わる禁断の魔術、人を記憶喪失にさせる呪いの呪文――――」
そう告げたエレナの表情は痛切なものだった。
「さぁ、私の可愛い弟子を返してもらうわよ!」
エレナが再び杖を掲げた、その時。
辺り一面を漆黒の闇が覆い尽くした。
「あぁ、ご主人様ぁぁぁ」
クレアの嬉しそうな囁き声がやけにはっきりと聴こえ、次に視界が晴れた時、クレアとメグの姿はもうそこにはなかった。
エレナは血の滲むまで唇を噛み締めて、悲痛の叫びを響かせた。
その後、近衛兵たちと共にチャールズが現場に到着したのは全てが終わったあとだった。

倒れているレオンの元に駆け寄り、チャールズは拳を地面に叩きつける。
「くそっ! 間に合わなかったか……!」
「――――ふん、相変わらず遅いご到着ですこと」
チャールズは自分にかけられた声の方へと振り返る。そして、そこにいたエレナに驚き、慄き、ぽつりと言葉を溢した。
「エレナ……生きて、いたのか」
「まぁね、誰かさんが危険を知らせてくれたおかげでね。とは言え、折角メグをレオンの元にやった上に私自身姿まで消したわけだけれど。……結局、アジャスタン王国に連れ戻されてしまったわね」
エレナの瞳はまるでチャールズを責めているかのようであった。近衛兵が不敬だと騒ぎ出す前に、彼はその場を立ち去った。
すれ違いざま、二人は二言三言会話を交わした。
そして、それで終わりだった。
「すまなかった、エレナ」
「……これで私はリリィへの償いを果たせたのかしら?」
「あぁ、きっと――――」
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