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ランキング記念)幕間:定時後の聖域と、茶葉の価格相殺(オフセット)
しおりを挟む17時15分。
ギルドの重い制服を脱ぎ捨て、お気に入りの私服に着替えた私は、夕闇に包まれ始めた中央市場を歩いていました。
ギルドの受付嬢としての「アイラ」はすでにシャットダウン済みです。今の私は、ただの「一人の生活者」として、自身のQOL(生活の質)を維持するための重要なミッション――夕食後のティータイムに使用する茶葉の調達――に臨んでいました。
「……さて。今日の目標(ターゲット)は、あそこですね」
視線の先にあるのは、路地裏に店を構える高級茶葉専門店『碧い静寂亭』。
ここの店主は確かな目利きですが、相手を見て価格を吊り上げる「時価」という名の悪習を好むことでも有名です。
私は軽く息を吐き、無意識に営業用の「無表情な微笑」を解きました。これから行うのは、業務ではなく、あくまで私的な「家計の適正化」です。
店に足を踏み入れると、ベルの音と共に芳醇な香りが鼻腔をくすぐりました。
「いらっしゃい……。おや、見かけないお嬢さんだ。お目が高いね。今は北方の戦乱で流通が滞っていて、どの葉も金と同じくらいの価値があるんだよ」
カウンターの奥で、脂ぎった笑みを浮かべた店主が揉み手をしながら近づいてきます。
その声の色は……【残響の波紋】を見るまでもなく、典型的な「カモを見つけた商人の黄色」でした。
「そうですね。流通経路の遮断(ブロック)による供給不足は、末端価格に直結します。……ですが、店主。私が求めているのは、そこにある『霧降の銀嶺』のセカンドフラッシュです。その棚、少し埃を被っていますね?」
「……! いや、これは熟成させているんだ。今なら特別に、金貨3枚でどうだい? 明日には5枚に跳ね上がる代物だよ」
金貨3枚。通常の市場価格の1.5倍です。
彼は私が「世間知らずの令嬢」か何かに見えているのでしょう。残念ながら、私は数字の矛盾を突いて生計を立てている人間です。
私はあえて何も言わず、3秒間の「戦略的沈黙」を置きました。
無言の圧力に店主がわずかに眉を寄せたところで、私は穏やかに、しかし逃げ場のない論理(ロジック)を紡ぎ始めます。
「店主。少し確認(ヒアリング)させてください。この茶葉、北方の『銀嶺』産ですよね?」
「あ、ああ。そうだよ」
「そして、北方の街道が封鎖されたのは、先週の火曜日でしたね?」
「……そうだね、その通りだ」
「最後に。この茶葉のパッケージに押されている検品印のギルド日付……これは三週間前のもの。つまり、封鎖前に仕入れた『既存在庫』ですよね?」
店主の「はい」を三回引き出す。
対話術における**【イエス・セット】**。肯定を繰り返した相手は、次の否定がしづらくなる心理的制約(バイアス)にかかります。
「……っ。ま、まあ、仕入れは前だが、維持費がかかっていてね……」
「維持費、ですか。ですが、この埃の積もり方から推察するに、湿度管理の魔道具も稼働していないようです。つまり、この茶葉は在庫として滞留し、品質劣化のリスク(デッドストック化)に晒されている。店主にとって、今ここで私に売ることが、最も効率的な『損切り』になるはずですが?」
私はカウンターに、適正価格である金貨2枚をスッと置きました。
「金貨2枚。今すぐこの『不良在庫』をキャッシュに変えるか、あるいは明日、さらに品質が落ちたものを誰にも買われずに抱え続けるか。……どちらが経営判断として正しいか、お分かりですよね?」
店主は、まるで凄腕の監査官にでも睨まれたような顔をして、額の汗を拭いました。
私の声は、もはや受付嬢のそれではなく、冷徹に「損得」を提示するコンサルタントのそれへと変貌していたようです。
「……降参だ。あんた、ただもんじゃないね。……分かったよ、金貨2枚で持っていきな。その代わり、うちの帳簿の相談には乗らないでくれよ?」
「ええ。勤務時間外のコンサルティングは、割増料金をいただいていますから。ご安心ください」
私は望み通りの茶葉を、望み通りの価格で手に入れ、店を後にしました。
帰り道。
手に入れた茶葉の袋を抱え、私は小さく独り言を漏らしました。
「……結局、交渉してしまいましたね。せっかくの休日(オフ)なのに、リソースの無駄遣いです」
ですが、心の中には不思議な充実感がありました。
誰かに強要された仕事ではなく、自分の生活を豊かにするための、自分だけの戦い。
アパートに帰り、丁寧に淹れたお茶を一口。
窓の外に見える王都の夜景を眺めながら、私はようやく本当の意味で「シャットダウン」しました。
「……美味しい。はい、これで明日も定時まで戦えそうです」
一口のお茶と、静寂。
それが、戦う受付嬢に与えられた、最高の報酬(インセンティブ)なのでした。
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