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第1章
【対応記録:第11回】
しおりを挟む現代ダンジョン管理ギルド本部の一階ロビーは、常に熱気と虚栄心に満ちている。
高価な魔導素材で設えられた装備を誇示するように歩く探索者たち。彼らにとって、このロビーは自分たちの「格」を知らしめるためのランウェイでもあった。
その中央を、割れんばかりの歓声と共に歩く一団があった。
Sランクパーティ「雷光の翼」。
リーダーのカイトを筆頭に、選び抜かれた精鋭のみで構成された、この国の防衛の要とも言える英雄たちだ。彼らが歩くたびに、周囲の探索者たちは羨望と畏怖の混じった視線を送り、道を空ける。
「……おい、見ろよ。またあいつだ」
カイトが足を止めた。彼の視線の先には、ロビーの隅にある「総合案内窓口」の脇で、地面に膝をついている一人の男がいた。
久我だ。
彼は、英雄たちの登場など一瞥もくれず、床のタイルに小さな亀裂が入っているのを、業務用と思われる拡大鏡で熱心に観察していた。その足元では、黒い毛玉のような備品、クラが「クゥ」と退屈そうに喉を鳴らしている。
「カイト? どうしたの、あんな事務員を気にして」
パーティの魔導師である女性が不思議そうに尋ねる。カイトは眉間にシワを寄せ、久我の背中を睨みつけた。
「……以前、大規模なレイス討伐の依頼を受けた時のことだ。現場に、一人のスーツ姿の男がいた。そいつは、俺たちの魔法でパニックになった周辺住民の苦情を、たった一人で捌ききっていたんだ。……あの男、久我だ」
カイトにとって、あの時の光景は屈辱でもあった。
自分たちが命を懸けて魔物を倒している裏で、民衆の怒号を、まるでお茶でも淹れるような平然とした態度で鎮めていた男。その男が、今、ギルドの制服を纏い、地味な窓口業務に就いている。
「あの、失礼いたします」
久我が立ち上がり、窓口に並んでいた一人の高齢男性に声をかけた。
男性は、手に持った小さな籠を震わせ、激昂していた。
「どういうことだ! この子が、昨日から何も食べないんだよ! お前たちがダンジョンの入り口を塞いだから、この子がストレスで……!」
籠の中にいたのは、下級魔物のストーン・スパイダーだった。本来なら討伐対象だが、この老人は「ペット」として飼っているらしい。周囲の探索者たちは「魔物をペットにするなんて異常だ」「さっさと処分しろ」と冷ややかな視線を送っていたが、久我だけは違った。
「お客様、ご不安な思いをさせてしまい、申し訳ございません。……クラ君、スキャンをお願いします」
久我が合図を送ると、クラが三つの首の突起をヒクつかせ、蜘蛛に鼻を寄せた。
(……おじさん、この子、お腹痛いんじゃないよ。……お部屋の湿気が足りなくて、脱皮したいのにできないんだって)
「なるほど。……お客様、ご安心ください。原因はストレスではなく、季節性の脱皮不全でございます。当ギルドの入り口閉鎖による環境変化、並びに空調の設定温度が、この子の生態リズムに合致しておりませんでした。管理上の不徹底、お詫び申し上げます」
久我は深く頭を下げると、バッグの中から一瓶の「多目的保湿スプレー(魔導用)」を取り出した。
「こちらを、お部屋の隅に数回吹きかけてみてください。ダンジョンの最下層に近い湿度を再現できます。……あ、これは備品ですので、サンプルとして差し上げます」
「えっ……。あ、ああ、ありがとう。……お前さん、優しいんだな」
「いえ。苦情の原因が弊社の設備にある以上、対応するのは当然の義務ですから」
久我が丁寧に見送ると、蜘蛛は元気を取り戻したのか、籠の中でカサカサと動き始めた。
一部始終を見ていたカイトは、苛立ちを隠せずに久我へと歩み寄った。
「……久我、と言ったか。お前、相変わらず無駄なことに時間を割いているな」
久我はゆっくりと振り返り、眼鏡の位置を直した。
「これは、Sランクパーティのリーダー、カイト様。本日は、どのような苦情でこちらへ?」
「苦情ではない! ……お前がやっていることは、ただのままごとだ。魔物と馴れ合い、事務手続きで誤魔化す。そんなことで、本当の脅威を退けられると思っているのか?」
カイトの全身から、雷の魔力がパチパチと漏れ出す。
ロビー中の探索者が息を呑むほどの威圧感。だが、久我は眉一つ動かさなかった。
「退ける、退けないの問題ではありません。私は、目の前の不備を修正しているだけです。カイト様。……それよりも、右肩のプロテクター。魔力導線の結線が三ミリほどズレていますよ。そのまま高出力の雷魔法を使えば、バックラッシュで右腕が焼けます。……あ、これは個人的な『ご指摘』です」
「……何?」
カイトが驚いて右肩を確認すると、確かに微かな火花が散っていた。完璧に整備したはずの特注装備の、わずかな「不備」。
「暴力は、時として解決を遅らせます。……失礼、定時までの報告書作成が残っておりますので」
久我は、クラを連れてエレベーターへと向かった。
カイトは、去っていく背中を、言葉もなく見送るしかなかった。
彼が初めて感じた、圧倒的な「正論」という名の壁。
久我には、魔法も剣も必要なかった。ただ、世界にある「歪み」を見抜き、それを事務的に直すだけで、英雄の矜持を容易くへし折ってみせたのだ。
「……面白い。口先だけの事務員かと思っていたが、……底が見えんな」
カイトの呟きに、パーティの面々は戦慄した。
あのカイトが、名もなき事務員を認めた瞬間だった。
地下三階へと戻るエレベーターの中で、久我はただ、夕食の献立について考えていた。英雄に認められたことなど、彼にとっては「業務外の雑音」に過ぎなかったからだ。
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