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第1章
【対応記録:第14回】
しおりを挟む現代ダンジョン管理ギルド本部、地下三階。
本来であれば、ここは組織の末端であり、埃と沈黙が支配する墓場のような場所だった。しかし、今朝の光景は、その歴史を根底から覆す異常事態となっていた。
「……久我さん、これ、夢ですよね? 僕は今、ひどい熱に浮かされて幻覚を見ているんですよね?」
同僚の佐藤が、デスクの陰でガタガタと震えながら、引き攣った笑みを浮かべていた。
彼の視線の先――オフィスの入り口から廊下の奥まで、およそ人間界ではお目にかかれない異形たちが、静かに、そして行儀よく列を作っていた。
「佐藤さん、現実に目を背けるのは感心しません。これは単なる『ピークタイム』の到来です。前職の月曜朝の入電ラッシュに比べれば、まだ回線……いえ、行列が見えているだけマシですよ」
久我は、いつものように完璧にプレスされたスーツに身を包み、自前の「受付番号発券機(魔導式)」を設置しながら淡々と答えた。
その隣では、昨日仲間に加わったケットシーが、ボロボロのシルクハットを被り直し、山積みの書類を整理していた。
「おじさん、この行列、ボクが整理してあげようか? 想い出の詰まった品を持ってきている奴なら、ボクが優先順位をつけてあげるよ」
「助かります、コト君。……あ、佐藤さん、紹介が遅れました。彼は昨日から当部署の『遺失物鑑定アドバイザー』として業務委託契約を結んだ……古都(コト)君です。想い出を重んじる古風な性格ですから、コトと名付けました」
「名前までつけて、契約まで……! 相手は魔物ですよ!? っていうか、なんで魔物たちがこんなに並んでるんですか!」
「コト君やクラ君が、ダンジョン内のネットワーク……いわゆる『口コミ』で広めてくれたようです。あの窓口に行けば、暴力ではなく理屈で話を聞いてもらえる、と」
久我は、行列の先頭にいた、全身が泥にまみれた土精(アースドール)に向き直った。
「お待たせいたしました。現代ダンジョン管理ギルド、苦情係の久我です。……本日は、どのようなご不備で?」
(……おじさん、たすけて。地下五階の排水管が割れて、僕の家が水浸しなんだ。ギルドの工事の人が、直し忘れて帰っちゃったんだよ)
アースドールの悲痛な訴えが、久我の脳内に届く。
久我は即座に図面を広げ、佐藤に指示を飛ばした。
「佐藤さん、地下五階の配管図を確認。昨日、メンテナンス課が作業していた区画です。接続不備による漏水の可能性が高い。至急、再工事の依頼を。……あと、アースドールさん、こちらを。当面の避難場所として最適な、高品質の乾燥土です。一次対応としてお受け取りください」
(……ありがとう! おじさん、優しい!)
アースドールが番号札を返して去っていくと、次には羽を痛めたピクシーが、その次には「好物の魔導石が安物にすり替えられていた」と訴える大トカゲが、次々と窓口に現れた。
「……何なんだ、ここは。ここは魔界の市役所か?」
佐藤はもはや諦めたように、久我に渡された記録用紙にペンを走らせ始めた。
そこへ、地下三階にはおよそ似つかわしくない、重厚な金属音が響いた。
完全武装のセキュリティチームが、抜身の剣を構えてなだれ込んできたのだ。
「苦情係! 通報があったぞ。地下三階が魔物に占拠されていると……っ!? な、なんだこの数は!」
リーダー格の男が、あまりの光景に絶句する。
オフィス内には、巨大なオーガから小さな精霊まで、数十体の魔物が整然と椅子に座り、あるいは壁際で順番を待っていた。
クラが、久我の足元で三つの首をぴりりと震わせ、無作法に乱入してきた男たちを威嚇した。
(……ワンッ! うるさいよ。みんな、静かにお話してるんだから、邪魔しないで!)
「――セキュリティの方々、ご苦労様です」
久我は、デスクから立ち上がることなく、冷徹な視線を向けた。
「見ての通り、彼らは正当な手続きを経て、当窓口に相談に来られた『お客様』です。武器を収めてください。お客様に不要な威圧感を与えることは、ギルドの接客ガイドラインに抵触します」
「お客様だと!? こいつらは討伐対象のバケモノだろうが!」
「『バケモノ』という蔑称は、現代のダイバーシティの観点から極めて不適切です。……それに、彼らがここで暴れていない以上、あなた方に介入の権利はありません。むしろ、彼らの抱える苦情を放置し、後に地上で暴走させた場合、その管理責任を負うのは我々ギルドです。……あなたは、その責任を肩代わりしてくださるのですか?」
久我の理詰めの問いに、セキュリティリーダーは言葉を詰まらせた。
「い、いや……しかし、こんな場所で魔物の相談なんて……」
「相談は、問題が小さいうちに摘み取るのがプロの仕事です。……お引き取りを。現在、窓口は非常に混雑しておりますので、緊急性のない立ち入りはご遠慮願います」
久我は、一礼もせずに次の番号を呼んだ。
「次の方、十五番のミノタウロス様。……三番窓口へどうぞ」
セキュリティチームは、蛇に睨まれた蛙のように硬直したあと、逃げるように地下三階から去っていった。
それを見送ったコトが、シルクハットの端をいじりながらニヤリと笑った。
「おじさん、やっぱり最高だね。あんなに強そうな人間たちを、言葉だけで追い返しちゃうんだもん。……ボク、想い出の鑑定だけじゃなくて、クレーマー対策の助手もやってあげようか?」
「心強い提案ですが、まずは目の前のお客様を優先しましょう。……クラ君、次のお客様に冷たいお水を持って行ってあげてください。……佐藤さん、顔色が悪いですよ。休憩室で五分休んできてください。ここからは私が巻き返します」
(……ワンッ! はーい!)
久我の指揮の下、混沌としていたオフィスは、次第に洗練された「窓口」へと姿を変えていった。
魔物たちの瞳から敵意が消え、代わりに「信頼」という、このギルドが始まって以来一度も得られなかった感情が、地下三階に満ちていく。
その日の夜。定時を大幅に過ぎた頃。
最後のお客様を送り出した久我は、誰もいなくなったオフィスで深く息を吐いた。
「……お疲れ様でした、コト君。……それと佐藤さん、最後までよく頑張ってくれましたね」
「……久我さん。僕、今日一日で、これまでの人生よりも多く魔物の名前を書きましたよ。……でも、不思議ですね。みんな帰る時、少しだけ嬉しそうに見えました」
佐藤の言葉に、久我は眼鏡を外し、疲れた目を細めた。
「言葉が通じない、という思い込みが、最大の不備を生むのです。……さて、明日はもっと忙しくなりそうですよ。……コト君、その想い出の品の整理が終わったら、一緒に帰りましょう。駅前に美味しい魚を出す店を見つけたんです」
「魚!? 行く行く! おじさん、大好き!」
地下三階の灯りが消える。
力による解決を否定し、対話という名のハックを続ける一人の事務員と、その奇妙な仲間たち。
彼らの存在が、この世界の「当たり前」を少しずつ、しかし確実に壊し始めていた。
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