現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

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第1章

【対応記録:第16回】

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月曜日の午前九時。
現代ダンジョン管理ギルド本部、地下三階の空気は、週末の間に積もった埃と、換気システムの不備による微かな湿り気を帯びていた。
久我は、自席に着くなりデスクの上を百円玉一枚分も狂いなく整頓し、最初の仕事を始めた。それは、週末の間に「投函」されていた、魔物たちからの要望書の整理だ。

「……久我さん、お早うございます。……って、それ、また増えてませんか?」

佐藤が、死ぬほど重い足取りで出勤してきた。彼の視線の先には、昨夜のうちにクラやコトが受け取っておいた、木の葉や石に刻まれた魔物たちの「苦情」が山をなしていた。

「お早うございます、佐藤さん。……ええ、口コミの効果というのは恐ろしいものですね。おかげで週明け早々、定時退社という目標に黄色信号が灯っています」

「ワンッ! おじさん、これ、隣の森のウサギさんから。お水の味が苦くなったんだって」
「こっちは、都心のビル風が冷たすぎるってピクシーたちが言ってるよ。想い出の詰まった庭が、ビル影で寒々しくなっちゃったんだってさ」

足元で跳ねるクラと、デスクの上で器用に資料をめくるコト。この二匹(二柱)が加わってから、苦情係の業務は、人間界のそれよりも遥かに多種多様なものへと進化していた。

久我は、数ある報告書の中から、一際分厚い「人間側からの苦情」の束を手に取った。
そこには、赤文字で「特級優先」の付箋が貼られている。

「……東京都千代田区、大手町エリア。地盤沈下に伴う異音、および深夜帯における広域の『悲鳴』の感知、ですか」

「ああ、それ、今朝からギルドの電話が鳴り止まない件ですよ。場所は民間企業『アガレス・リソース』の本社ビル直下。……あそこ、最近魔力結晶の産出量で世界トップシェアを狙うって豪語してるスタートアップ企業ですよね」

佐藤の声には、隠しきれない忌避感が混じっていた。
アガレス・リソース。
魔導エネルギーの革命児と呼ばれ、自社保有のプライベート・ダンジョンから、従来の三倍の効率で魔力を抽出する技術を開発したとされる。しかし、その輝かしい成長の裏で、周辺エリアからは「不気味な声が聞こえる」「地面が震える」といった苦情が、まるで膿のように溢れ出していた。

「効率三倍……。エンジンの回転数を三倍に上げれば、当然ながら摩耗も三倍になります。それが生き物を使っているものであれば、なおさらだ」

久我は、眼鏡の位置を直し、ブリーフケースを手に取った。
「佐藤さん。この案件、私が直接現場に赴き、一次調査を実施します」

「えっ、一人で……いや、ニ匹と一人で行くんですか? あそこ、ガードマンも最新の魔導装備で固めてるって噂ですよ」

「ガードマンが守っているのは『企業の秘密』であって、『社会的な責任』ではありませんから。……クラ君、コト君。出張の準備を」

---

大手町のビル街にそびえ立つ、全面強化ガラス張りの巨大なタワー。
アガレス・リソースの本社ビルは、外見上は清潔で、先進的で、完璧な秩序に守られているように見えた。だが、エントランスを潜った瞬間、久我の鼓膜を「ノイズ」が叩いた。

(……やめて。もう、出ない。……熱い。中が、焼けちゃう……)
(……だれか、とめて。……痛い、痛い、痛い!)

それは、通常の耳には聞こえない、極限まで圧縮された魔物たちの絶望の叫びだった。
久我の顔が、微かに強張る。
この感覚。この、命を数字としてしか見ていない、冷徹な「搾取」の匂い。
それは、かつて久我が心身を壊すまで働かされていた、あのブラック企業のフロアに漂っていた空気そのものだった。

「……失礼いたします。現代ダンジョン管理ギルド、苦情係の久我です。立ち入り調査の通達は、一時間前にそちらの総務部へ送信済みですが」

受付に立ちはだかったのは、最新の魔導タクティカルベストを纏った、見るからに強面の男たちだった。
「苦情係? ギルドの末端が何の用だ。ここは民間企業の私有地だぞ。帰れ」

「お言葉ですが、ダンジョン由来の地盤沈下、並びに騒音被害は、ギルドの監督権限内にあります。……それとも、何か。調査を拒否されるということは、公式には発表できない『重大な不備』がこの地下にある、と認めるということでしょうか」

久我の声は、驚くほど静かだった。
だが、その視線は、何万回という理不尽な怒号を跳ね除けてきた「窓口のプロ」としての、圧倒的な圧を孕んでいた。

「……チッ。通せ。社長から、来たら応接室へ入れろと指示があった」

エレベーターに乗り込む際、クラが低く唸った。
(……おじさん、ここ、血の匂いがする。魔物たちの、魂が削れる匂いだよ)
「ボクにもわかるよ。想い出が無理やり引き剥がされて、ただの燃料に変えられている。……こんなの、ボクたちのやり方じゃない」

コトも、シルクハットを深く被り直し、不快感を露わにした。

通されたのは、最上階の豪華な応接室。
そこで待ち構えていたのは、三十代半ばの、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる男――CEO、成瀬だった。

「やあ、苦情係の久我君。君の噂は聞いているよ。……魔物と『お話し』をして問題を解決するんだってね? 実にファンタジックで結構なことだ。だが、ここはビジネスの場だ。君のような『現場の事務員』が口を出せる領域じゃないんだよ」

成瀬は、高価な魔力結晶をデスクの上で弄びながら、久我を見下した。

「当社の魔力抽出技術は、世界を救う。魔物は資源だ。電池と同じだよ。使い古された電池が多少音を立てるからといって、いちいち点検していては利益が出ない。わかるだろう?」

久我は、差し出されたコーヒーには手をつけず、成瀬の瞳を真っ向から見据えた。

「成瀬社長。前職で、私はあなたのような方を何人も見てきました。……『全体の利益のために、個の犠牲は止むを得ない』と語る方々です。……ですが、結果としてどうなったか、ご存知ですか?」

「……何が言いたい」

「電池は、爆発するのです。……それも、管理者が最も油断している、最悪のタイミングで」

久我は、ブリーフケースから一通の「警告書」を取り出した。
「地下の魔物たちの苦情……いえ、絶望の叫びが、限界点に達しています。……これより、当ギルドは本物件の管理体制に対し、即時の是正勧告を行います」

「ハッ! 勧告だと? 誰がそんなものを……」

その時、ビルの底から、先ほどまでとは比較にならないほどの巨大な振動が突き上げた。
応接室の高級な調度品がガタガタと鳴り、成瀬の顔から余裕の笑みが消える。

「……始まったようですね。お客様たちの、『ストライキ』が」

久我は眼鏡の位置を直し、冷徹な一歩を踏み出した。
ビジネスという名の暴力に対し、事務屋という名の論理が牙を剥く。
企業ダンジョン編、その幕が上がった。
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