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第1章
【対応記録:第25回】
しおりを挟むギルド本部、地下最深部。通常、地下三階の「ゴミ溜め」ですら立ち入りを制限されるこの場所には、ギルドが秘匿してきた禁忌の魔導設備――「増幅炉(アンプリファイア)」が鎮座していた。
円環状に配置された巨大な魔晶石が不気味な脈動を繰り返し、その中央には、魔力を強制的に吸い上げる拘束椅子に座らされたエレナの姿があった。
「……エレナ様、どうかご理解いただきたい。これは平和のため、ひいては君の『聖女』としての価値を最大化するための必要なステップなのだ」
硝子隔壁の向こう側で、理事会の一員である初老の男が、歪んだ慈愛を浮かべてマイク越しに語りかけていた。
エレナの意識は、装置に吸い上げられる膨大な魔力の奔流によって朦朧としていた。彼女の「浄化の魔法」は、この装置を介することで都内全域をカバーする「広域殲滅波動」へと書き換えられようとしている。
「……やめて……これでは、彼らが……本当に消えてしまう……」
「消えるのではない、浄化されるのだよ。君がずっと望んでいたことだろう?」
理事が起動レバーに手をかけた、その時。
「――失礼いたします。設備管理上の重大な欠陥が見つかりましたので、立ち入り調査を実施させていただきます」
警報も鳴らさず、重厚な防壁のハッチを「正規のメンテナンスコード」で解錠して現れたのは、安物のスーツを完璧に着こなした久我だった。その背後では、佐藤が半べそをかきながらタブレットを抱え、クラとコトが戦闘態勢を整えている。
「なっ、久我!? なぜここに……警備はどうした!」
「警備の方々には、今月の残業代が未払いである可能性を指摘したところ、一斉に『労働組合への相談』に向かわれました。現在は無人です」
久我は、混乱する理事の視線を無視し、手元のクリップボードにペンを走らせる。
「さて、理事。この『増幅炉』ですが。第十二条の安全基準を満たしていないどころか、法定耐用年数を十年以上過ぎていますね。このような欠陥機で聖女様の魔法を増幅すれば、出力の逆流による『本部の蒸発』は免れませんが、火災保険の特約は確認済みですか?」
「貴様、屁理屈を! 今さら止まるか! 浄化の光が放たれれば、都内の魔物は一掃され、我々は英雄となるのだ!」
理事が狂ったように起動ボタンを叩いた。
装置が咆哮を上げ、エレナから純白の魔力が噴き出す。それは慈悲なき死の閃光となって、通気口から地上へ放たれようとした。
(ワンッ! おじさん、あの機械、すっごく苦しがってる! 壊れちゃうよ!)
「ボクが想い出の糸を解いてあげる。この装置に刻まれた、歪んだ野心の記録……全部バラバラにしてあげるよ!」
クラが三つの首で装置の魔力パイプを噛みちぎり、コトがシルクハットから取り出した「鑑定のメス」で、術式の結合部を次々と切断していく。久我はその間に、拘束されているエレナの元へと歩み寄った。
「エレナ様、目を開けてください。……あなたの魔法は、消しゴムではありません。……それは、本来、誰かの心に寄り添うための『温もり』だったはずです」
「久我……さん……。でも、もう、止まらない……光が……」
「止める必要はありません。……『仕様変更』をすれば良いだけです」
久我がエレナの冷え切った手に、自分の手を重ねた。
「浄化(デリート)ではなく、調停(アップデート)を。……彼らがそこにいてもいいのだという、承認の光に変えてください。……現場の不備は、私がすべて引き受けます」
エレナの瞳に、強い光が戻った。彼女は久我の手の温もりを支えに、自分を蝕んでいた破壊の衝動を、静かな祈りへと変換し始めた。
閃光は、一瞬にして柔らかな琥珀色の光へと姿を変えた。
それは都内の地下通路、公園の祠、ビルの隙間に潜む魔物たちを焼き払うのではなく、彼らの傷を癒やし、人間に見つからぬよう「静かに隠れ住む術」を教える、慈愛の波動となった。
多摩の公園で盾を構えていた老騎士は、その光に包まれ、錆びた甲冑が修復されていくのを感じた。彼は消えることなく、少年の練習を見守る「存在の許し」を得たのだ。
「馬鹿な……浄化が……魔物が一匹も消えていないだと!? 失敗だ、これは大失敗だ!」
理事が叫び、床に崩れ落ちる。
久我は、拘束から解放されたエレナを支えながら、冷徹な一瞥を理事に投げた。
「失敗ではありません。……むしろ、これこそが理想的な『クレーム対応』の形です。魔物側は生存を確保し、人間側は脅威(暴走)を免れた。……三方良しの、完璧な決着です」
久我は、動かなくなった装置のパネルに「点検中」のシールを貼り、時計を確認した。
「……十七時十五分。予定より少し過ぎましたが、本日の特務、これにて完了とさせていただきます。理事、この装置の解体費用と、聖女様への精神的苦痛に対する慰謝料の請求書は、明日改めて貴殿のデスクへ送付いたします。……あ、逃げても無駄ですよ。当部署の追跡調査は、地獄の果てまで続きますから」
聖女エレナは、久我の腕の中で、初めて心の底から穏やかな笑みを浮かべた。
浄化の聖女としての偽りの役割は終わり、彼女はここから、魔物と対話する「真の調停者」としての道を歩み始めることになる。
久我は、クラとコトをバッグに収め、呆然とする佐藤を促して、地下最深部を後にした。
聖女編、完結。
事務屋の正論が、奇跡という名の独善を打ち破り、新たな世界の形を刻んだ瞬間だった。
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