現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

文字の大きさ
31 / 47
第1章

【対応記録:第31回】

しおりを挟む


新宿の喧騒を背に、久我は折れ曲がったネクタイを直し、泥の跳ねたスラックスを払いながら地下三階の執務室へと戻った。
時刻は十七時四十分。定時を過ぎていることへの不快感と、これから書かなければならない膨大な「災害対応報告書」への倦怠感が、彼の肩を重く沈ませていた。

「……お疲れ様でした、久我さん。本当に、本当にお疲れ様でした!」
佐藤が、半泣きの状態で駆け寄ってくる。その手には、震える指で淹れたであろう熱すぎるコーヒーが握られていた。
「ニュースで見ましたよ! ドラゴンをどら焼きで追い返した男として、SNSはもうお祭り騒ぎです! これ、明日にはギルド長から表彰状ものですよ!」

「佐藤さん、声が大きいです。……表彰よりも、残業代の確実な支給を望みます。それと、駅前の『亀屋』さんへの特注費用の経費精算、特例で通しておいてください」

久我は椅子に座り、パソコンを起動した。だが、ログイン画面に打ち込んだパスワードは、冷酷なエラーメッセージと共に跳ね返された。

『アカウントが凍結されています。詳細は人事管理課までお問い合わせください』

「……不備、ですね。……それも、技術的なものではなく、人為的な」
久我の手が止まったその時、執務室の自動ドアが乱暴に開き、黒いスーツに身を包んだ「コンプライアンス遵守委員会」の腕章を巻いた男たちがなだれ込んできた。

「久我良平。……動くな。貴殿を、職務権限の逸脱、機密保持契約の違反、並びに未登録の危険生物(クラ)の秘匿容疑により、本日付で懲戒解雇とする」

中心に立つのは、ギルド理事会直属の監査官だ。彼は久我のデスクに、冷徹な「解雇通知書」を叩きつけた。

「……解雇、ですか。……事前の通告、並びに労働組合を通した弁明の機会が与えられていないようですが。これは労働法、およびギルド内規における重大な手続き上の欠陥です」

「黙れ。世界を救ったなどと英雄気取りか? 貴様の独断専行は、ギルドの管理体制をコケにしたも同然だ。……それに、その足元にいる黒い生き物。そいつは深層由来の『冥界の番犬』の幼体であることが判明した。実験体として、直ちに没収する」

監査官が手を挙げると、背後の隊員たちが魔導拘束具を取り出した。
(ワンッ! おじさん……! 怖い、嫌だ!)
クラが三つの首を怯えさせ、久我の足元に丸まる。コトもシルクハットの中から鋭い眼光を放ち、久我の影に溶け込んで戦闘態勢を取った。

久我は、ゆっくりと眼鏡を外し、丁寧にクロスで拭き始めた。その動作はあまりにも静かで、逆に周囲の空気を凍りつかせるような威圧感を放っていた。

「……没収。……私の管理下にある『備品』に対し、適切な返還手続きもなしに実力行使を行おうとする。……監査官殿。あなたは先ほどから、不備に不備を重ねておられる」

久我は再び眼鏡をかけ、立ち上がった。その瞳には、先ほどのドラゴンを相手にしていた時とは比較にならない、冷徹な「監査官」としての火が灯っていた。

「……いいでしょう。私がクビだと言うのであれば、それに従います。……ただし、私がこれまで受理し、保留してきた『未処理案件』のすべてを引き継ぐ覚悟はおありですか?」

「……何?」

「この地下三階には、私がこれまでにハックし、かろうじて平穏を保たせている魔物たちとの『契約』が数万件、記録されています。……アガレス・リソース社のストライキ回避協定、聖女エレナ様の浄化対象外リスト、そして先ほどのストーム・ドラゴンの『散歩ルート確保』に関する暫定合意。……私のIDが消えれば、これらすべての契約は『無効』となります」

久我はタブレットを操作し、ギルド全土に張り巡らされた魔力ネットワークの「苦情係専用チャンネル」を画面に映し出した。

「もし私がこの部屋を去れば、彼らは一斉に『窓口の消失』を察知します。……そうなれば、都内の魔物たちは再び、理不尽な搾取に対する正当な……いいえ、破壊的な抗議活動を再開するでしょう。……あなたは、それらすべての苦情を、その薄っぺらな解雇通知書一枚で鎮めることができるのですか?」

「き、貴様……脅すつもりか!」

「いいえ。……単なる『リスクマネジメント』のアドバイスです」
久我はカバンに私物を詰め始め、佐藤の方を向いた。
「佐藤さん。……定時を過ぎました。……帰りましょう。……あ、監査官殿。一つ言い忘れましたが。……芝さんから預かった『内部不正の全データ』ですが、私が退室してから三十分以内に私の生存確認が取れなかった場合、自動的に各報道機関、並びに国際ダンジョン監督庁へ送信されるよう予約済みです。……不備のないよう、お気をつけください」

久我は、震える監査官たちを無視し、クラを抱き上げ、コトを肩に乗せて執務室を後にした。
「……久我さん、本当に行っちゃうんですか? ギルドはどうなるんですか!」
佐藤が追いかけてくる。

「一度、スクラップにする必要があります。……組織の膿を出し切るには、一度『窓口』を閉めるのが一番効果的ですから」

久我はエレベーターに乗り込み、閉まりゆく扉の向こうで、混乱に陥り始めたギルド本部を見据えた。
事務屋の逆襲。それは暴力ではなく、「不在」による崩壊。
久我良平という名の巨大なシステムの停止が、この世界を本当の混沌へと叩き落とそうとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた

黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。 その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。 曖昧なのには理由があった。 『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。 どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。 ※小説家になろうにも随時転載中。 レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。 それでも皆はレンが勇者だと思っていた。 突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。 はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。 ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。 ※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜

平明神
ファンタジー
 ユーゴ・タカトー。  それは、女神の「推し」になった男。  見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。  彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。  彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。  その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!  女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!  さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?  英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───  なんでもありの異世界アベンジャーズ!  女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕! ※不定期更新。 ※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。

嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います

ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。 懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

無属性魔法しか使えない少年冒険者!!

藤城満定
ファンタジー
「祝福の儀式」で授かった属性魔法は無属性魔法だった。無属性と書いてハズレや役立たずと読まれている属性魔法を極めて馬鹿にしてきた奴らの常識を覆して見返す「ざまあ」系ストーリー。  不定期投稿作品です。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

処理中です...