現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

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第1章

【対応記録:第32回】

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十一月。解雇通告を受けてから初めて迎える朝は、驚くほど静かだった。
久我は、目覚まし時計が鳴る五分前に目を覚まし、いつものように完璧にプレスされたワイシャツに袖を通した。たとえ行くべき職場が昨日をもって消滅していようとも、生活の規律(レギュレーション)を乱すことは、プロの事務屋として許しがたい不備だからだ。

「……おじさん、今日は会社行かないの? ボク、おなかすいたよ」
(ワンッ! お散歩? 今日はお外でお仕事?)

ベッドの上で欠伸をするコトと、玄関で尻尾を振るクラ。久我は彼らに質の良い朝食を提供しながら、自身の私用スマートフォンを確認した。ギルド支給の端末は昨夜のうちに返却したが、魔物たちとの間に築かれた「独自の通信網」は、依然として活発な動きを見せている。

「……今日は『有給休暇』の消化、あるいは『フリーランス』としての準備期間とします。まずは、駅前のファミリーレストランへ向かいましょう。あそこはドリンクバーが充実しており、臨時のオフィスとしては最適です」




新宿の街は、昨日ドラゴンの嵐が去ったばかりだとは思えないほど、表面上は平穏を取り戻していた。しかし、ギルド本部の前を通りかかった際、久我はその建物の「歪み」を敏感に察知した。
エントランスには怒鳴り声を上げる探索者たちが溢れ、受付窓口は完全にパンクしている。さらに、地下三階へ続くエレベーターの前では、派遣されたばかりの代替職員たちが、昨日まで久我が抑え込んでいた魔物たちの「抗議」に直面し、腰を抜かしていた。

「……さて、開店時間ですね」
久我は駅前のファミレスに入り、一番奥のボックス席を確保した。ノートパソコンを開き、昨夜佐藤と共有した「ギルド内部不正データ」の暗号化状態を再確認する。

そこへ、一人の男が息を切らせて駆け込んできた。ギルドの制服を乱し、顔中を冷や汗で濡らした男――昨日、久我に解雇を言い渡したあの「コンプライアンス遵守委員会」の監査官だった。

「……久我、探したぞ……! こんなところで何を油を売っている!」

「監査官殿。おはようございます。本日の私は、ギルドとは一切の雇用関係にない『一般市民』です。……私のプライベートな時間に土足で踏み込むのは、不法侵入、あるいはハラスメントに該当する恐れがありますが、法的根拠はお持ちですか?」

「そんなことはどうでもいい! 地下三階が……いや、ギルド全体がパニックなんだ! 君がいなくなってから、魔物たちの契約更新がすべてエラーになり、今朝から都内の三箇所でアウトブレイクが発生した! Sランクのカイトたちも『久我がいない現場には出ない』とボイコットを始めたんだぞ!」

久我は、ゆっくりとメロンソーダを一口飲み、ストローを置いた。
「それは、管理体制の引き継ぎを怠った弊委員会の『管理不備』ではありませんか。私は昨日、明確にリスクを提示しました」

「……わかった、私の負けだ! 頼む、戻ってくれ! 解雇は取り消す。給与も二倍……いや、三倍に跳ね上げよう!」

「お断りします」
久我の即答に、監査官の顔が引き攣った。

「解雇通知という『公式な手続き』を一度発行した以上、それを簡単に覆すのは組織のガバナンスとして不適切です。……それに、私はもう『組織の一員』として働くことに、限界を感じていましてね」

久我は、カバンから一枚の、出来立ての「名刺」を取り出した。家庭用プリンターで刷られた安っぽさはあるが、そこには力強い文字でこう記されていた。

**『久我ソリューションズ:代表 久我良平 —— 現代ダンジョン不備対応・外部コンサルタント』**

「……これからは、個人事業主(フリーランス)として、ギルドと『BtoB(企業間取引)』の契約を結ばせていただきます。……再雇用ではなく、業務委託です」

「なっ、なんだと……!」

「私の提示する契約条件は以下の通りです」
久我はタブレットを操作し、用意していた契約書の草案を表示した。

* **月額の固定顧問料(ギルドの月次予算の二パーセント)**
* **一件ごとの『不備修正』に対する成功報酬(危険度に応じる)**
* **苦情係(佐藤さん含む)の完全な独立権限**
* **クラ君、およびコト君を『外部専門スタッフ』として正式に予算化すること**

「……ふ、ふざけるな! 事務員一人の報酬にしては高すぎる!」

「高いと思われるのであれば、結構です。……あ、ちょうど今、都内各地の有力な魔物たちから『窓口を独自に開設してほしい』との要望が十件ほど届いています。……彼らとの直接契約を進めることになりますが、その場合、ギルドは完全に蚊帳の外となりますよ?」

(ワンッ! おじさん、お仕事の話? 僕のオヤツ代も入れておいてね!)
「ボクの鑑定料も忘れないでよ。ギルドの隠し財産の想い出を、全部暴いちゃうんだから」

クラとコトが、監査官を値踏みするように見つめる。
監査官は、周囲の客が不審な目で見ていることにも気づかず、ガタガタと震えながら久我の名刺を掴んだ。

「……理事会に持ち帰る。……だが、今日中に現場を収めてもらわねば、ギルドは崩壊するんだ!」

「時間は金なり、ですよ。……契約が成立するまでの間、一次対応の『スポットコンサル料』が発生しますが、経費精算の準備はよろしいですか?」

久我は眼鏡の位置を直し、ノートパソコンを閉じた。
組織の鎖から解き放たれた事務屋のハックは、ここからさらに苛烈に、そして戦略的に加速していく。
フリーランスの苦情係。その第一歩は、かつて自分を捨てた組織を、顧客(クライアント)として支配することから始まった。
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