32 / 47
第1章
【対応記録:第32回】
しおりを挟む十一月。解雇通告を受けてから初めて迎える朝は、驚くほど静かだった。
久我は、目覚まし時計が鳴る五分前に目を覚まし、いつものように完璧にプレスされたワイシャツに袖を通した。たとえ行くべき職場が昨日をもって消滅していようとも、生活の規律(レギュレーション)を乱すことは、プロの事務屋として許しがたい不備だからだ。
「……おじさん、今日は会社行かないの? ボク、おなかすいたよ」
(ワンッ! お散歩? 今日はお外でお仕事?)
ベッドの上で欠伸をするコトと、玄関で尻尾を振るクラ。久我は彼らに質の良い朝食を提供しながら、自身の私用スマートフォンを確認した。ギルド支給の端末は昨夜のうちに返却したが、魔物たちとの間に築かれた「独自の通信網」は、依然として活発な動きを見せている。
「……今日は『有給休暇』の消化、あるいは『フリーランス』としての準備期間とします。まずは、駅前のファミリーレストランへ向かいましょう。あそこはドリンクバーが充実しており、臨時のオフィスとしては最適です」
新宿の街は、昨日ドラゴンの嵐が去ったばかりだとは思えないほど、表面上は平穏を取り戻していた。しかし、ギルド本部の前を通りかかった際、久我はその建物の「歪み」を敏感に察知した。
エントランスには怒鳴り声を上げる探索者たちが溢れ、受付窓口は完全にパンクしている。さらに、地下三階へ続くエレベーターの前では、派遣されたばかりの代替職員たちが、昨日まで久我が抑え込んでいた魔物たちの「抗議」に直面し、腰を抜かしていた。
「……さて、開店時間ですね」
久我は駅前のファミレスに入り、一番奥のボックス席を確保した。ノートパソコンを開き、昨夜佐藤と共有した「ギルド内部不正データ」の暗号化状態を再確認する。
そこへ、一人の男が息を切らせて駆け込んできた。ギルドの制服を乱し、顔中を冷や汗で濡らした男――昨日、久我に解雇を言い渡したあの「コンプライアンス遵守委員会」の監査官だった。
「……久我、探したぞ……! こんなところで何を油を売っている!」
「監査官殿。おはようございます。本日の私は、ギルドとは一切の雇用関係にない『一般市民』です。……私のプライベートな時間に土足で踏み込むのは、不法侵入、あるいはハラスメントに該当する恐れがありますが、法的根拠はお持ちですか?」
「そんなことはどうでもいい! 地下三階が……いや、ギルド全体がパニックなんだ! 君がいなくなってから、魔物たちの契約更新がすべてエラーになり、今朝から都内の三箇所でアウトブレイクが発生した! Sランクのカイトたちも『久我がいない現場には出ない』とボイコットを始めたんだぞ!」
久我は、ゆっくりとメロンソーダを一口飲み、ストローを置いた。
「それは、管理体制の引き継ぎを怠った弊委員会の『管理不備』ではありませんか。私は昨日、明確にリスクを提示しました」
「……わかった、私の負けだ! 頼む、戻ってくれ! 解雇は取り消す。給与も二倍……いや、三倍に跳ね上げよう!」
「お断りします」
久我の即答に、監査官の顔が引き攣った。
「解雇通知という『公式な手続き』を一度発行した以上、それを簡単に覆すのは組織のガバナンスとして不適切です。……それに、私はもう『組織の一員』として働くことに、限界を感じていましてね」
久我は、カバンから一枚の、出来立ての「名刺」を取り出した。家庭用プリンターで刷られた安っぽさはあるが、そこには力強い文字でこう記されていた。
**『久我ソリューションズ:代表 久我良平 —— 現代ダンジョン不備対応・外部コンサルタント』**
「……これからは、個人事業主(フリーランス)として、ギルドと『BtoB(企業間取引)』の契約を結ばせていただきます。……再雇用ではなく、業務委託です」
「なっ、なんだと……!」
「私の提示する契約条件は以下の通りです」
久我はタブレットを操作し、用意していた契約書の草案を表示した。
* **月額の固定顧問料(ギルドの月次予算の二パーセント)**
* **一件ごとの『不備修正』に対する成功報酬(危険度に応じる)**
* **苦情係(佐藤さん含む)の完全な独立権限**
* **クラ君、およびコト君を『外部専門スタッフ』として正式に予算化すること**
「……ふ、ふざけるな! 事務員一人の報酬にしては高すぎる!」
「高いと思われるのであれば、結構です。……あ、ちょうど今、都内各地の有力な魔物たちから『窓口を独自に開設してほしい』との要望が十件ほど届いています。……彼らとの直接契約を進めることになりますが、その場合、ギルドは完全に蚊帳の外となりますよ?」
(ワンッ! おじさん、お仕事の話? 僕のオヤツ代も入れておいてね!)
「ボクの鑑定料も忘れないでよ。ギルドの隠し財産の想い出を、全部暴いちゃうんだから」
クラとコトが、監査官を値踏みするように見つめる。
監査官は、周囲の客が不審な目で見ていることにも気づかず、ガタガタと震えながら久我の名刺を掴んだ。
「……理事会に持ち帰る。……だが、今日中に現場を収めてもらわねば、ギルドは崩壊するんだ!」
「時間は金なり、ですよ。……契約が成立するまでの間、一次対応の『スポットコンサル料』が発生しますが、経費精算の準備はよろしいですか?」
久我は眼鏡の位置を直し、ノートパソコンを閉じた。
組織の鎖から解き放たれた事務屋のハックは、ここからさらに苛烈に、そして戦略的に加速していく。
フリーランスの苦情係。その第一歩は、かつて自分を捨てた組織を、顧客(クライアント)として支配することから始まった。
1
あなたにおすすめの小説
僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた
黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。
その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。
曖昧なのには理由があった。
『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。
どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。
※小説家になろうにも随時転載中。
レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。
それでも皆はレンが勇者だと思っていた。
突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。
はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。
ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。
※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。
ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜
平明神
ファンタジー
ユーゴ・タカトー。
それは、女神の「推し」になった男。
見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。
彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。
彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。
その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!
女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!
さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?
英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───
なんでもありの異世界アベンジャーズ!
女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕!
※不定期更新。
※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。
【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です
葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。
王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。
孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。
王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。
働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。
何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。
嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います
ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。
懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
アイテムボックスの最も冴えた使い方~チュートリアル1億回で最強になったが、実力隠してアイテムボックス内でスローライフしつつ駄竜とたわむれる~
うみ
ファンタジー
「アイテムボックス発動 収納 自分自身!」
これしかないと思った!
自宅で休んでいたら突然異世界に拉致され、邪蒼竜と名乗る強大なドラゴンを前にして絶対絶命のピンチに陥っていたのだから。
奴に言われるがままステータスと叫んだら、アイテムボックスというスキルを持っていることが分かった。
得た能力を使って何とかピンチを逃れようとし、思いついたアイデアを咄嗟に実行に移したんだ。
直後、俺の体はアイテムボックスの中に入り、難を逃れることができた。
このまま戻っても捻りつぶされるだけだ。
そこで、アイテムボックスの中は時間が流れないことを利用し、チュートリアルバトルを繰り返すこと1億回。ついにレベルがカンストする。
アイテムボックスの外に出た俺はドラゴンの角を折り、危機を脱する。
助けた竜の巫女と共に彼女の村へ向かうことになった俺だったが――。
無属性魔法しか使えない少年冒険者!!
藤城満定
ファンタジー
「祝福の儀式」で授かった属性魔法は無属性魔法だった。無属性と書いてハズレや役立たずと読まれている属性魔法を極めて馬鹿にしてきた奴らの常識を覆して見返す「ざまあ」系ストーリー。
不定期投稿作品です。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる