現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

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第2章

第39話:マンション管理組合との死闘……というか事務作業

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 代々木公園を見下ろす、一等地の超高級タワーマンション。その最上階にある会議室は、重苦しい沈黙と、どこか場違いなほど無機質な空気に包まれていた。

「……さて。改めて、本日のアジェンダを確認させていただきます」

 テーブルを挟んで、久我良平は静かに書類を広げた。
 対面に座るのは、マンション管理組合の理事長を務める田辺という初老の男性と、その取り巻きの役員たちだ。彼らは高級な時計やスーツを身に着けてはいるが、その表情には隠しきれない焦燥と、久我に対する侮蔑の色が混じっている。

「久我さん、とおっしゃいましたかな。わざわざご足労いただいたが、我々には非はない。公園のネズミどもが騒がしいから、少し『対策』をしただけだ。資産価値を守るのが我々の職務でしてね。それとも何か? ギルドでもないフリーランスの事務屋が、我々に文句でも言いに来たのかね」

 田辺は鼻で笑い、高級な革椅子に深く背を預けた。
 久我は眼鏡を指先で微調整し、表情一つ変えずに答える。

「いえ、文句などという主観的なものではありません。私はただ、貴殿らが締結している『都市環境保全特別協定』および『電波法』、ならびに『動物愛護管理法(魔物特例条項)』に対する明白な違反行為を、事務的に是正しに来たに過ぎません」

「……何だと?」

 久我が合図を送ると、会議室の大型モニターに、佐藤からのデータが転送された。
 そこには、公園のスプリンクラー制御ボックスに仕掛けられていた「違法パッチ」のコードと、それを遠隔操作していたマンション内IPアドレスのログが、残酷なほど鮮明に映し出されていた。

『……久我さん、接続完了。この違法デバイス、購入ルートまで追跡済みです。海外のダークウェブ経由ですけど、決済に使われたカード番号の末尾、そちらの理事長さんのものと一致しましたよ』

 会議室のスピーカーから、佐藤のけだるげな、しかし確信に満ちた声が流れる。
 田辺の顔がみるみるうちに土気色に変わった。

「そ、それは……! 捏造だ! そんなはずは――」

「佐藤君、次のスライドを。……田辺理事長。貴殿が使用した波形は、ウィング・ラットの生殖機能と神経系に過度なストレスを与えるものです。これは『環境負荷の不当な増大』に該当します。もし彼らが暴走し、近隣の住民に被害が出ていた場合、過失致死傷罪、さらにはマンション全体の『資産価値』を毀損する法的リスクが生じていました」

 久我は淡々と、しかし逃げ場を塞ぐように言葉を重ねる。

「現在、新宿区役所および再建委員会は、この件を『テロ行為に準ずる重大な規約違反』として調査を開始しようとしています。……ですが、我々『久我ソリューションズ』は、対話による解決を重んじます。今ここで、私の提示する和解案に署名されるのであれば、本件を『個人的な機器操作のミス』として処理する余地を残しましょう」

「……わ、和解案だと?」

 久我が差し出したのは、厚さ三センチはある分厚いバインダーだ。
 表紙には『近隣住戸魔物共生ガイドライン・代々木特別版』と記されている。

「内容は至ってシンプルです。第一に、違法デバイスの即時撤去。第二に、ウィング・ラットたちの栄養状態を改善するための、オーガニック・ナッツ類十キロの定期的な提供。第三に、マンションの空きスペースを、災害時の魔物一時避難場所として登記すること。……以上です」

「バカな! そんなことをすれば、マンションの格が落ちる!」

「逆ですよ、理事長」

 久我の口元に、微かな、しかし冷徹な笑みが浮かぶ。

「『魔物との共生に成功している安全な高級住宅地』。これからの時代、それが最もプレミアムな価値になる。……署名しますか? それとも、今すぐギルドの査察官と警察を呼びますか? 彼らは事務手続きが非常に遅いので、貴方の身柄が解放されるまで、数ヶ月はかかるでしょうが」

 ペンを差し出す久我。その姿は、契約書で魂を奪いに来た悪魔のようでもあった。
 田辺は、震える手でペンを取り、地獄に落ちるような思いで署名欄を埋めた。

 数時間後。久我ソリューションズのプレハブ事務所。
 ソファの上で、コトが扇子を叩いて快哉を叫んでいた。

「いやぁ、お見事! あの理事長はんの顔、まるで『仁義なき戦い』で組を潰された親分みたいやったわぁ。正論いうのは、毒を盛るより効くもんどすなぁ」

「コト。あまり映画と現実を混同しないでくれ。……佐藤君、事後処理の報告書を作成。報酬の振込確認も忘れずに」

「はいはい、わかってますよ。……でも、久我さん。あの陽菜のやつ、さっきから現場で何してるんすか? GPSがずっと公園の隅っこで円を描いてるんすけど」

 佐藤が眉を潜めた瞬間。プレハブの扉が勢いよく開いた。

「ただいま戻りましたぁー! 久我社長、佐藤さん! 見てください、この子!」

 陽菜が満面の笑みで抱えていたのは、一匹のウィング・ラットだった。
 しかも、高級なナッツを頬張って、すっかり彼女に懐いている。

「この子、群れの中で一番小さくて、まだ羽がうまく動かないみたいなんです。さっきの音で怖がっちゃって……。社長、和解案に『福利厚生としての保護』って項目、追加できませんか!? 事務所の隅っこでいいんです! 私が責任を持って育てますから!」

「……却下だ」

 久我は即答した。

「結城さん。ここは事務所であり、動物園ではない。魔物との共生とは、適切な距離感を維持することだ。その個体を即座に元の群れへ戻してきなさい。……佐藤君、彼女のセキュリティレベルを一時的に下げて、不法投棄……失礼、魔物返却の指示を」

「マジかよ、また俺っすか……。おい、陽菜。それ、放せよ。キーボードに毛が付くだろ」

「えぇー! 佐藤さんまで! あ、待って、クラ君! 食べちゃダメだよ! 仲良くして!」

 クラがラットに興味を示して近づき、陽菜が叫び、コトが笑い、佐藤が毒を吐く。
 静かだったプレハブ事務所は、久我が求めていた「完璧な秩序」とは程遠い、しかし不思議と活力に満ちた騒がしさに包まれていた。

 久我は深く溜め息をつき、眼鏡を拭き直した。
 第ニ部の「足場固め」は、どうやら事務作業だけでは済まないようだった。
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