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第2章
第48話:佐藤と、佐藤
新宿のビル群が切り取る空は、今日も無機質な灰色をしていた。
その足元、再開発から取り残されたような路地の奥に、不自然なプレハブ小屋が建っている。かつては工事現場の詰め所だったその場所が、今は久我良平が代表を務める「久我ソリューションズ」の事務所だ。
薄い壁一枚隔てた外は都会の喧騒だが、中には静謐な業務時間が流れている。
久我は愛用のコーヒーミルで豆を挽きながら、事務所内の平和な光景を眺めた。
デスクの端では、CTO(最高技術責任者)の佐藤が、三枚のマルチモニターに向き合っている。彼の指は目にも留まらぬ速さでキーボードを叩き、画面には緑色のコードが滝のように流れていた。
そのメインサーバーの上には、透き通った青いスライムが鎮座している。
「佐藤さん、スラちゃんの調子はどうですか」
「最高ですよ、久我さん。見てください、このCPU温度。高負荷の並列処理を行っているにもかかわらず、摂氏三十度台で安定しています。空冷ファンでは到底不可能な冷却効率です」
佐藤はモニターから目を離さずに答えた。
彼のPC冷却担当である「スラちゃん」は、クイーンスライムの分身だ。言葉こそ発しないが、佐藤のPCが熱を持つと「プルプル」と震えて表面積を広げ、効率的に熱を吸収してくれる。まさに、現代ダンジョンが生んだ究極の水冷システムと言えるだろう。
ソファの方に目を向けると、現場調査担当の結城陽菜が、一心不乱にブラッシングをしていた。
「クラちゃん、じっとしててね。ほら、背中の毛も綺麗にしましょう」
「キャン!(いいぞ、もっとやれ」
元気な声で応えたのは、ケルベロスの幼体であるクラだ。
伝説上のケルベロスといえば三つの頭を持つ魔獣だが、このクラはまだ幼く、頭は一つしかない。見た目は少し足の太い柴犬の子犬そのもので、尻尾を千切れんばかりに振って陽菜に甘えている。
その愛らしい姿は、事務所の殺伐とした空気を和らげる精神安定剤(メンタルケア)としての役割も果たしていた。
そして、事務所の最奥、一番日当たりの良い場所には、ケットシーのコトが座布団に座り、優雅に煙管をくゆらせている。
「……ニャア(……ふむ。今の若者は『仁義』っちゅうもんを知らんのですなぁ。久我はん、この映画の主人公、なかなかええ顔してはるわ」
彼の手元にあるのは、最新式のタブレット端末だ。最近のコトは、動画配信サービスで昭和の任侠映画を鑑賞するのが日課になっていた。
「コト、感化されるのは構いませんが、来客時にはドスではなくお茶を出してくださいね」
(わかってます、わかってます。事務屋の流儀っちゅうやつですやろ? コトは物分かりがええんです)
そんな、いつもと変わらぬ穏やかな午前十時。
平和な均衡は、たった一つの乱暴な音によって破られた。
ドォン!
ノックというよりは、扉の耐久テストのような衝撃音が響く。
「おい、兄貴! いるんだろ! 出てこいよ!」
返事を待たずにドアが乱暴に開かれた。
なだれ込んできたのは、季節外れの熱気と、微かなプロテインの匂い。
そこに立っていたのは、佐藤とは似ても似つかぬ、健康的に日焼けした筋骨隆々の青年だった。
二十代前半だろうか。スポーツブランドのTシャツ越しでもわかる厚い胸板。背中には大きなエナメルバッグを背負っている。
彼は土足のまま事務所に踏み込み、まるで敵地を視察するかのような鋭い視線で室内を見渡した。
佐藤の手が、ピタリと止まる。
彼はゆっくりとヘッドセットを外し、深いため息をついてから振り返った。
「……信二。なぜここがわかった」
「ネットだよ! 兄貴のIPアドレスだか何だかを辿れば一発だって、詳しい奴に聞いたんだ。それよりなんだよこのボロ家は。親父とお袋が泣いてるぞ。兄貴はまた、暗い部屋で引きこもって、怪しいプログラムでも組んでるんじゃないかってな」
信二と呼ばれた青年は、鼻を鳴らして笑った。
その視線が、陽菜に抱かれているクラや、サーバーの上で震えるスラちゃんに向けられる。
「なんだ、ただのペットショップか? 兄貴、パソコンなんてカタカタ叩いてるより、ダンジョンで汗流したほうがマシだぜ。時代はパワーだ。筋肉は裏切らないが、データなんて停電すれば一瞬で消えるだろ」
佐藤の眉間に、深い皺が刻まれる。
彼は論理的でない暴論を最も嫌う。だが、目の前の男に対しては、怒りよりも諦めに似た感情が勝っているようだった。
「信二、ここは僕の職場だ。不法侵入はやめろ。それから、僕は現在、正当な法的手続きに基づくコンサルティング業務に従事している」
「コンサル? 笑わせるなよ。こんなプレハブで、詐欺の片棒でも担いでるんだろ。そこのスーツの男が親玉か?」
矛先が、久我に向いた。
久我は手にしていたコーヒーミルを静かに置き、淀みのない動作で懐から名刺入れを取り出した。
相手が誰であろうと、ビジネスの場においては適切な手続きが必要だ。まずは名刺交換、それが社会人の基本動作である。
「初めまして。久我ソリューションズ代表の久我良平です。信二さん、とお呼びすればよろしいでしょうか」
「……あ? ああ、佐藤信二だ。大学のダンジョン攻略部で主将をやってる」
「それは素晴らしい。ですが信二さん、まずは名刺をお受け取りください。当事務所は新宿区の条例に基づき、適正な登記を行っている法人です。あなたが仰った『怪しい商売』という指摘は、客観的事実に反する名誉毀損に該当する可能性がありますが、今は身内のご挨拶ということで処理させていただきます」
流れるような動作で名刺を差し出す。
信二は毒気を抜かれたように、反射的に名刺を受け取った。
「……な、なんだよ。ずいぶん丁寧な詐欺師だな」
「詐欺師ではありません。事務屋です」
久我は眼鏡の位置を直し、冷静に告げた。
「佐藤氏は我が社のCTOであり、その技術力は現代のダンジョン運営において不可欠なものです。あなたが誇る『筋肉』を効率的に運用するためにも、彼の構築するシステムや情報解析は大きな恩恵をもたらしているはずですが」
「役に立たねえよ! ダンジョンなんて、魔物を見つけて、ぶっ叩いて、素材を持ち帰る。それだけだろ! 小難しい理屈なんて必要ねえんだ」
信二は持っていたエナメルバッグを、床にドサリと放り投げた。
「俺はこれから、大きな『ヤマ』に参加するんだ。これに成功すれば、兄貴の年収なんて一撃で超える。親父たちにも、兄貴を連れ戻したって報告してやるよ」
彼がおもむろにスマートフォンを取り出し、画面を突きつけてくる。
そこには、SNSのタイムラインで流れてきたと思われる、派手な配色の募集広告が表示されていた。
【緊急募集! 高額報酬・新種魔物討伐モニター。未踏層の安全なルートを完全保障。参加資格:レベル30以上の物理職。選ばれた強者のみに、伝説の武具を貸与】
「どうだ、これだよ! ネットで見つけた限定募集だ。兄貴みたいなハッカーには一生縁のない、本物の強者のための仕事だ」
信二は得意げに笑ったが、佐藤の目は一瞬で冷徹なプロフェッショナルのそれに変わった。
「……信二。その広告、どこで拾った」
「あ? 攻略情報の裏掲示板だよ。DMで直接案内が来たんだ。選ばれた奴しか見られない特設ページだぞ」
佐藤が無言でデスクに向き直る。
キーボードを叩く音が、機関銃のように室内に響き渡った。数秒後、彼自身のモニターに、信二が見せているのと同じサイトが表示される。
「……脆弱性が酷すぎる。バックエンドの構成が、一昨年に摘発された海外のマネーロンダリングサイトと同じテンプレートだ。久我さん、これを見てください」
久我は佐藤の指差すモニターを覗き込んだ。
一見すれば、勇壮な音楽が流れる豪華な募集ページだ。だが、プロの目は誤魔化せない。
利用規約の欄がテキストではなく画像データになっており、検索エンジンからのクロールを避けている。さらに、背景色と同じ文字色で記述された隠しテキストには、恐ろしい文言が並んでいた。
『本事業における一切の損害、行方不明、死亡等に関し、運営側は法的な責任を負わないものとする。また、参加者は自身の魔力波長データを運営の指定するサーバーに完全委託することに同意する』
「信二さん、一つお聞きします」
久我は極めて事務的なトーンで問いかけた。
「この『伝説の武具の貸与』を受ける際、あなたの生体認証や、ギルドの登録IDの提供を求められませんでしたか?」
「……なんでわかるんだよ。機密保持のために必要だって言われて、さっき送信したところだ。明日、現地で受け取りなんだよ」
佐藤が、ガクリと項垂れて頭を抱えた。
「……信二。お前、自分が何を売ったかわかってるのか。それは『なりすまし』のための生体鍵(バイオ・キー)だ」
「はあ? 何言ってんだよ兄貴。難しい言葉で煙に巻くなよ」
事態は、単なる兄弟喧嘩の枠を超えつつあった。
久我は手帳を開き、現状の法的問題を脳内で整理する。
「佐藤君。通信事業法第九条の『通信の秘密』の侵害、およびダンジョン資源管理法における個人情報の不正利用。さらに、募集内容の虚偽記載(優良誤認表示)。これは組織的な『魔物なりすまし詐欺』の入り口ですね」
「間違いありません、久我さん。おそらく、彼のような体力自慢を集めて、実際には魔物討伐ではなく、別の『違法な作業』に利用するか、あるいは彼らの身分を乗っ取ってギルドの倉庫を襲うつもりでしょう」
「……おい、勝手に決めるなよ! 俺は選ばれたんだ!」
信二が吠える。だが、その声には少しずつ不安の色が混じり始めていた。兄と、その上司らしき男の空気が、あまりにも真剣だったからだ。
「信二さん。あなたのパワーを否定はしませんが、現代のダンジョンは力だけで支配されているわけではありません。規約とデータが、あなたの命を縛ることもあるのです」
久我は彼を見据え、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「弟さんの不始末、及びこの悪質な規約違反者。久我ソリューションズとして、事務的に処理させていただきます」
陽菜がクラを抱き上げ、佐藤の隣に立つ。
「佐藤さんの弟さん、騙されてるなら助けなきゃ。ね、クラちゃん?」
「ワン!(まかせて! 」
コトも映画の再生を止め、煙管の灰をコンコンと落とした。
「(……ふむ。身内の不始末を正すんは、組織の筋っちゅうもんやな。久我はん、書類の準備はええか?」
「ええ、万端です。まずはこの特設サイトの運営者に対し、利用規約の矛盾点と通信事業法違反に関する『是正勧告書』を送付しましょう。佐藤君、サーバーの特定を。一分で終わらせてください」
「了解です。裏口(バックドア)はもう見つけました」
佐藤の指が、光速を超えて動き出す。
それは「根暗な兄」の姿ではなく、一国のデジタルインフラを支配下に置くトップエンジニアの背中だった。
口をあんぐりと開けて固まっている信二を放置し、久我ソリューションズの反撃が静かに始まった。
次の仕事は、身内の救済と不当な契約の破棄。
事務屋の夜は、これからが本番である。
その足元、再開発から取り残されたような路地の奥に、不自然なプレハブ小屋が建っている。かつては工事現場の詰め所だったその場所が、今は久我良平が代表を務める「久我ソリューションズ」の事務所だ。
薄い壁一枚隔てた外は都会の喧騒だが、中には静謐な業務時間が流れている。
久我は愛用のコーヒーミルで豆を挽きながら、事務所内の平和な光景を眺めた。
デスクの端では、CTO(最高技術責任者)の佐藤が、三枚のマルチモニターに向き合っている。彼の指は目にも留まらぬ速さでキーボードを叩き、画面には緑色のコードが滝のように流れていた。
そのメインサーバーの上には、透き通った青いスライムが鎮座している。
「佐藤さん、スラちゃんの調子はどうですか」
「最高ですよ、久我さん。見てください、このCPU温度。高負荷の並列処理を行っているにもかかわらず、摂氏三十度台で安定しています。空冷ファンでは到底不可能な冷却効率です」
佐藤はモニターから目を離さずに答えた。
彼のPC冷却担当である「スラちゃん」は、クイーンスライムの分身だ。言葉こそ発しないが、佐藤のPCが熱を持つと「プルプル」と震えて表面積を広げ、効率的に熱を吸収してくれる。まさに、現代ダンジョンが生んだ究極の水冷システムと言えるだろう。
ソファの方に目を向けると、現場調査担当の結城陽菜が、一心不乱にブラッシングをしていた。
「クラちゃん、じっとしててね。ほら、背中の毛も綺麗にしましょう」
「キャン!(いいぞ、もっとやれ」
元気な声で応えたのは、ケルベロスの幼体であるクラだ。
伝説上のケルベロスといえば三つの頭を持つ魔獣だが、このクラはまだ幼く、頭は一つしかない。見た目は少し足の太い柴犬の子犬そのもので、尻尾を千切れんばかりに振って陽菜に甘えている。
その愛らしい姿は、事務所の殺伐とした空気を和らげる精神安定剤(メンタルケア)としての役割も果たしていた。
そして、事務所の最奥、一番日当たりの良い場所には、ケットシーのコトが座布団に座り、優雅に煙管をくゆらせている。
「……ニャア(……ふむ。今の若者は『仁義』っちゅうもんを知らんのですなぁ。久我はん、この映画の主人公、なかなかええ顔してはるわ」
彼の手元にあるのは、最新式のタブレット端末だ。最近のコトは、動画配信サービスで昭和の任侠映画を鑑賞するのが日課になっていた。
「コト、感化されるのは構いませんが、来客時にはドスではなくお茶を出してくださいね」
(わかってます、わかってます。事務屋の流儀っちゅうやつですやろ? コトは物分かりがええんです)
そんな、いつもと変わらぬ穏やかな午前十時。
平和な均衡は、たった一つの乱暴な音によって破られた。
ドォン!
ノックというよりは、扉の耐久テストのような衝撃音が響く。
「おい、兄貴! いるんだろ! 出てこいよ!」
返事を待たずにドアが乱暴に開かれた。
なだれ込んできたのは、季節外れの熱気と、微かなプロテインの匂い。
そこに立っていたのは、佐藤とは似ても似つかぬ、健康的に日焼けした筋骨隆々の青年だった。
二十代前半だろうか。スポーツブランドのTシャツ越しでもわかる厚い胸板。背中には大きなエナメルバッグを背負っている。
彼は土足のまま事務所に踏み込み、まるで敵地を視察するかのような鋭い視線で室内を見渡した。
佐藤の手が、ピタリと止まる。
彼はゆっくりとヘッドセットを外し、深いため息をついてから振り返った。
「……信二。なぜここがわかった」
「ネットだよ! 兄貴のIPアドレスだか何だかを辿れば一発だって、詳しい奴に聞いたんだ。それよりなんだよこのボロ家は。親父とお袋が泣いてるぞ。兄貴はまた、暗い部屋で引きこもって、怪しいプログラムでも組んでるんじゃないかってな」
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その視線が、陽菜に抱かれているクラや、サーバーの上で震えるスラちゃんに向けられる。
「なんだ、ただのペットショップか? 兄貴、パソコンなんてカタカタ叩いてるより、ダンジョンで汗流したほうがマシだぜ。時代はパワーだ。筋肉は裏切らないが、データなんて停電すれば一瞬で消えるだろ」
佐藤の眉間に、深い皺が刻まれる。
彼は論理的でない暴論を最も嫌う。だが、目の前の男に対しては、怒りよりも諦めに似た感情が勝っているようだった。
「信二、ここは僕の職場だ。不法侵入はやめろ。それから、僕は現在、正当な法的手続きに基づくコンサルティング業務に従事している」
「コンサル? 笑わせるなよ。こんなプレハブで、詐欺の片棒でも担いでるんだろ。そこのスーツの男が親玉か?」
矛先が、久我に向いた。
久我は手にしていたコーヒーミルを静かに置き、淀みのない動作で懐から名刺入れを取り出した。
相手が誰であろうと、ビジネスの場においては適切な手続きが必要だ。まずは名刺交換、それが社会人の基本動作である。
「初めまして。久我ソリューションズ代表の久我良平です。信二さん、とお呼びすればよろしいでしょうか」
「……あ? ああ、佐藤信二だ。大学のダンジョン攻略部で主将をやってる」
「それは素晴らしい。ですが信二さん、まずは名刺をお受け取りください。当事務所は新宿区の条例に基づき、適正な登記を行っている法人です。あなたが仰った『怪しい商売』という指摘は、客観的事実に反する名誉毀損に該当する可能性がありますが、今は身内のご挨拶ということで処理させていただきます」
流れるような動作で名刺を差し出す。
信二は毒気を抜かれたように、反射的に名刺を受け取った。
「……な、なんだよ。ずいぶん丁寧な詐欺師だな」
「詐欺師ではありません。事務屋です」
久我は眼鏡の位置を直し、冷静に告げた。
「佐藤氏は我が社のCTOであり、その技術力は現代のダンジョン運営において不可欠なものです。あなたが誇る『筋肉』を効率的に運用するためにも、彼の構築するシステムや情報解析は大きな恩恵をもたらしているはずですが」
「役に立たねえよ! ダンジョンなんて、魔物を見つけて、ぶっ叩いて、素材を持ち帰る。それだけだろ! 小難しい理屈なんて必要ねえんだ」
信二は持っていたエナメルバッグを、床にドサリと放り投げた。
「俺はこれから、大きな『ヤマ』に参加するんだ。これに成功すれば、兄貴の年収なんて一撃で超える。親父たちにも、兄貴を連れ戻したって報告してやるよ」
彼がおもむろにスマートフォンを取り出し、画面を突きつけてくる。
そこには、SNSのタイムラインで流れてきたと思われる、派手な配色の募集広告が表示されていた。
【緊急募集! 高額報酬・新種魔物討伐モニター。未踏層の安全なルートを完全保障。参加資格:レベル30以上の物理職。選ばれた強者のみに、伝説の武具を貸与】
「どうだ、これだよ! ネットで見つけた限定募集だ。兄貴みたいなハッカーには一生縁のない、本物の強者のための仕事だ」
信二は得意げに笑ったが、佐藤の目は一瞬で冷徹なプロフェッショナルのそれに変わった。
「……信二。その広告、どこで拾った」
「あ? 攻略情報の裏掲示板だよ。DMで直接案内が来たんだ。選ばれた奴しか見られない特設ページだぞ」
佐藤が無言でデスクに向き直る。
キーボードを叩く音が、機関銃のように室内に響き渡った。数秒後、彼自身のモニターに、信二が見せているのと同じサイトが表示される。
「……脆弱性が酷すぎる。バックエンドの構成が、一昨年に摘発された海外のマネーロンダリングサイトと同じテンプレートだ。久我さん、これを見てください」
久我は佐藤の指差すモニターを覗き込んだ。
一見すれば、勇壮な音楽が流れる豪華な募集ページだ。だが、プロの目は誤魔化せない。
利用規約の欄がテキストではなく画像データになっており、検索エンジンからのクロールを避けている。さらに、背景色と同じ文字色で記述された隠しテキストには、恐ろしい文言が並んでいた。
『本事業における一切の損害、行方不明、死亡等に関し、運営側は法的な責任を負わないものとする。また、参加者は自身の魔力波長データを運営の指定するサーバーに完全委託することに同意する』
「信二さん、一つお聞きします」
久我は極めて事務的なトーンで問いかけた。
「この『伝説の武具の貸与』を受ける際、あなたの生体認証や、ギルドの登録IDの提供を求められませんでしたか?」
「……なんでわかるんだよ。機密保持のために必要だって言われて、さっき送信したところだ。明日、現地で受け取りなんだよ」
佐藤が、ガクリと項垂れて頭を抱えた。
「……信二。お前、自分が何を売ったかわかってるのか。それは『なりすまし』のための生体鍵(バイオ・キー)だ」
「はあ? 何言ってんだよ兄貴。難しい言葉で煙に巻くなよ」
事態は、単なる兄弟喧嘩の枠を超えつつあった。
久我は手帳を開き、現状の法的問題を脳内で整理する。
「佐藤君。通信事業法第九条の『通信の秘密』の侵害、およびダンジョン資源管理法における個人情報の不正利用。さらに、募集内容の虚偽記載(優良誤認表示)。これは組織的な『魔物なりすまし詐欺』の入り口ですね」
「間違いありません、久我さん。おそらく、彼のような体力自慢を集めて、実際には魔物討伐ではなく、別の『違法な作業』に利用するか、あるいは彼らの身分を乗っ取ってギルドの倉庫を襲うつもりでしょう」
「……おい、勝手に決めるなよ! 俺は選ばれたんだ!」
信二が吠える。だが、その声には少しずつ不安の色が混じり始めていた。兄と、その上司らしき男の空気が、あまりにも真剣だったからだ。
「信二さん。あなたのパワーを否定はしませんが、現代のダンジョンは力だけで支配されているわけではありません。規約とデータが、あなたの命を縛ることもあるのです」
久我は彼を見据え、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「弟さんの不始末、及びこの悪質な規約違反者。久我ソリューションズとして、事務的に処理させていただきます」
陽菜がクラを抱き上げ、佐藤の隣に立つ。
「佐藤さんの弟さん、騙されてるなら助けなきゃ。ね、クラちゃん?」
「ワン!(まかせて! 」
コトも映画の再生を止め、煙管の灰をコンコンと落とした。
「(……ふむ。身内の不始末を正すんは、組織の筋っちゅうもんやな。久我はん、書類の準備はええか?」
「ええ、万端です。まずはこの特設サイトの運営者に対し、利用規約の矛盾点と通信事業法違反に関する『是正勧告書』を送付しましょう。佐藤君、サーバーの特定を。一分で終わらせてください」
「了解です。裏口(バックドア)はもう見つけました」
佐藤の指が、光速を超えて動き出す。
それは「根暗な兄」の姿ではなく、一国のデジタルインフラを支配下に置くトップエンジニアの背中だった。
口をあんぐりと開けて固まっている信二を放置し、久我ソリューションズの反撃が静かに始まった。
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物事を組み立てる、という訓練のため三部作長編を予定しております。