現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

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第2章

第68話:石像のプライドと、刻まれた雇用契約


 新宿の夜空を切り裂くように飛ぶ民間ヘリコプターのキャビン内は、ローターの轟音とは対照的に、深い安堵の静寂に包まれていた。

 陽菜の膝枕で毛布に包まれた聖女エレナは、長年の呪縛から解放された安心感からか、死んだように深い眠りに落ちている。その寝顔は、ギルドのポスターで見るような「作り物の微笑み」ではなく、年相応のあどけない少女のものだった。
 その傍らで、巨体を丸めるようにして座るガーゴイルが、じっと主(あるじ)の寝顔を見つめている。

 やがてヘリは、久我ソリューションズの事務所からほど近い、提携先のビルの屋上ヘリポートへと着陸した。
 プレハブ事務所に帰還した一行を待っていたのは、いつもの殺風景だが、どこか温かみのある空間だった。

「……ふう。とりあえず、エレナ様は奥の仮眠室のベッドに寝かせました。熱も少し下がってきたみたいです」

 陽菜が額の汗を拭いながら、居室に戻ってきた。

「ご苦労様です、結城さん。ポーションの離脱症状については、明日の朝、提携している回復術師(ヒーラー)に往診を頼んであります」

 久我良平は、ネクタイを少しだけ緩め、愛用のコーヒーミルで豆を挽き始めていた。
 深夜の事務所に、香ばしいコーヒーの匂いが漂う。
 佐藤は、自分のデスクに戻るなり、三枚のモニターに向かって猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。

「……久我さん。ギルド本部のサーバー内に残っていたエレナ氏の生体データと、ガーゴイルの管理ログ、完全に消去しました。これで奴らは、彼らを法的に追跡できなくなります」

「ありがとうございます、佐藤君。さすがの仕事の早さですね」

「ニャ~オ(ウチもええ汗かいたわ。久我はん、特別ボーナス期待してまっせ)」

 ケットシーのコトが、シルクハットを脱いでソファに寝転がり、尻尾をゆらゆらと揺らす。

「キャン!(ボス! 俺も活躍したぞ! あいつらのズボンをビロビロにしてやった!)」

 ケルベロスの幼体であるクラが、久我の足元に擦り寄って褒めてほしそうに吠えた。

「ええ、分かっていますよ。クラの攪乱がなければ、強行突破は難しかったでしょう。明日、特上の魔物用ジャーキーを手配します」

 久我が頭を撫でると、クラは「バウッ!(やったぜ!)」と嬉しそうに床を転げ回った。
 スライムのスラちゃんはまた「プルプル」と佐藤のPC付近の冷却ジェルにくっつき揺れていた。
 和やかな空気が流れる中、ただ一人――いや、一体だけ、居心地の悪そうに立ち尽くしている者がいた。

 ガーゴイルだ。

 彼は事務所の隅で、自分の巨体が邪魔にならないよう、石のように(元々石だが)固まっていた。
 久我はコーヒーを二つのマグカップに注ぎ、一つを自分のデスクに、もう一つをガーゴイルの前に置いた。

「……さて。エレナ氏の救出という『依頼』は、無事に完了しました」

 久我は椅子に座り、両手を組んでガーゴイルを見上げた。

「次は、あなたの番です。……約束通り、報酬を支払っていただきましょう」

 その言葉に、事務所の空気がピリッと引き締まった。
 ガーゴイルはゆっくりと頷き、自らの胸元――魔核(コア)が埋め込まれている部分に、太い爪を突き立てようとした。

「……承知、いたしました……。約束通り、わたしの命(コア)を……」

「ストップ」

 久我の声は冷たく、そして鋭かった。

「ガーゴイル様。あなたは私の言葉を聞いていなかったのですか? 私は『そんな石ころでは足りない。働いて返せ』と言ったはずです」

 ガーゴイルの手が止まる。その石の瞳が、戸惑うように揺れた。

「……働く、とは……? わたしは、ギルドの門を守るためだけに作られた、ただの石像です。エレナ様をお守りすること以外に、何の価値も……」

「価値を決めるのはあなたではなく、市場(マーケット)と、雇用主である私です」

 久我はアタッシュケースから、分厚いバインダーを取り出した。

「あなたはギルド本部の地下五階で、重装歩兵のファランクスを単機で突破しました。その圧倒的な質量と耐久力は、我が社のセキュリティ部門にとって喉から手が出るほど欲しい人材……いえ、石材です」

 久我は一枚の書類を、ガーゴイルの前に突きつけた。

「これは『久我ソリューションズ・雇用契約書』です。職種は『警備主任』。業務内容は、当事務所の防衛、および現場調査時の物理的障壁の排除。……給与は、あなたの魔力メンテナンス費用と、エレナ氏が安全に暮らすための生活費として支給します」

 ガーゴイルは、信じられないものを見るように、書類と久我の顔を交互に見つめた。

「……わたしを、雇う……? 道具としてではなく、社員として、ですか……?」

「当然です。我が社に『意志を持たない道具』を置くスペースはありません。……あなたは先ほど、ご自身の意志でギルドの命令に背き、エレナ氏を助けたいと願った。それは立派な『個人の意志』です」

 久我の言葉に、陽菜が大きく頷いた。

「そうですよ、ガーゴイルさん! 私たち、もう仲間じゃないですか。一緒に戦ったんですから!」

 佐藤もモニターから顔を向けずに言った。

「お前みたいなタフな盾役がいれば、僕も安心して後方支援に専念できる。……それに、お前のOS(思考回路)、結構面白そうだから、後でじっくり最適化してやるよ」

「ニャ~オ(ウチの後輩やな。仲良うしよか、デカブツ君)」

 コトがソファからウインクを飛ばす。

「キャン!(俺の方が先輩だかんな! ボスの次に偉いのは俺だ!)」

 クラが偉そうに胸を張る。

 ガーゴイルは、温かい仲間たちの声に包まれ、石の体が微かに震えるのを感じた。
 彼は作られてから数十年、ただ「そこに立つこと」だけを求められてきた。誰からも言葉をかけられず、ただエレナだけが彼を「友達」と呼んでくれた。
 それが今、彼は「社員」として、一つの居場所を与えられようとしている。

「……わたしのような、石の化け物が……本当に、ここにいても、いいのでしょうか……」

「化け物かどうかは関係ありません。法を遵守し、業務を全うする意志があるかどうか。それだけです」

 久我はボールペンを差し出した。

「さあ、サインを。……もっとも、あなたにこの細いペンは握れないでしょうが」

 久我が少し意地悪く微笑むと、ガーゴイルは静かに首を横に振った。

「……ペンは、いりません」

 ガーゴイルは、久我が提示した紙の契約書の隣にあった、ペーパーウェイト代わりの分厚い「大理石のプレート」を手に取った。
 そして、自らの鋭い石の爪を突き立て、ギリギリと音を立てて何かを刻み始めた。

 火花が散り、石の粉が舞う。

 数分後、彼が差し出した大理石のプレートには、力強い古代文字のような傷跡で、一つの署名が深く刻み込まれていた。

「……『ガル(Gar)』……。それが、エレナ様がわたしに付けてくださった、本当の名前です」

 ガーゴイル――いや、ガルは、誇り高く宣言した。

「久我殿。この命、いえ、この身と魂……労働力として、あなたに捧げます。我が主、エレナ様と共に」

 久我は刻まれた石板を受け取り、満足げに頷いた。

「……確認しました。確かに、魂の込められた署名です。これは金庫に厳重に保管しておきましょう」

 久我は石板をアタッシュケースにしまい、マグカップを手に取った。

「では、ガル主任。早速ですが、初仕事を命じます。……エレナ氏が起きるまで、仮眠室の前の警備を。誰も、彼女の安眠を妨げることのないように」

「……はっ! 命に代えましても!」

 ガルは力強く頷き、足音を忍ばせながら奥の仮眠室へと向かっていった。その背中は、もはやボロボロの石像ではなく、誇り高き久我ソリューションズの警備主任のそれだった。
 窓の外では、新宿の街に白み始めた朝日が差し込もうとしている。

 長い、長い夜が終わった。

 明日からは、いよいよ聖女エレナの「社会復帰」という名の、新たな日常(カオス)が始まる。
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