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しおりを挟むレンリの涙が止まるまでランジは強く抱きしめ続けた。
背を撫でる手が温かくて優しい。
「もう平気」
ようやく涙が止まり体を離す。
黄金の瞳と視線が絡んだ。
元々整った造形だったが、森で別れた時よりも精悍さが増したように感じられた。
「どうした?」
頬に筋張った彼の指が触れ涙の後を拭った。
大泣きしてしまったことが急に恥ずかしくなる。
「座ってて。ハーブティー淹れてくるから」
なにか手を動かして羞恥を誤魔化したかった。
店の奥で手早く準備して彼の元に戻る。
「どうぞ」
ランジの前にカップを出す。
「カモミールか」
ランジは優しい笑みを浮かべ、ひと口含み感慨深げに視線を落とす。
「美味しい」
レンリも彼の向かいに腰掛けハーブティーを楽しむ。
森の奥の家で過ごした記憶が蘇ってきた。
楽しく穏やかだった日々と、別れた日のこと。
レンリの思考は一気に現実に引き戻された。
ランジと再会できたことは嬉しいが、このまま一緒に過ごしていいのだろうか。
身分の違いなどで彼に迷惑がかかるのではないか。
『足枷』
森で男に言われた言葉がよぎる。
レンリ自身が嫌われるだけで丸く収まるなら、と考えていたがランジは今も変わらず自信を想い続けてくれていた。
そのことが素直に嬉しい。
「レンリ」
彼の声にあからさまに肩が跳ねてしまう。
「そう警戒しないでくれ。レンリが危険にさらされることはないから」
眉を下げ困ったように彼が笑う。
「レンリの家を出てから父のもとに帰ったんだ」
一番心配だった部分だ。
不当な扱いを受けていないか気が気ではなかった。
「以前のような嫌がらせや命を狙われるようなことはなくなったよ。父が俺を後継者にと言った言葉は相当力を持っていたらしい」
ひとまず安堵する。
「ただ、俺は家を継ぎたいわけではなかったから」
カップを見つめるランジの顔に影が落ちた。
その表情だけで様々な苦悩があるだろうことが窺える。
「それに、妹が家を継ぐための勉強に励んでいたんだ。女性という理由で後継者としては認められていなかったが、俺なんかより次期当主としてよほどしっかりしていた」
ふわりと笑うランジの表情から妹を可愛がっていたことがわかる。
「妹は家を継ぎたい、俺は継ぎたくない。利害が一致していた。だから結託して妹が当主の座に着けるように動いた」
「っ、ならランジは? 今は安全なの? また狙われたりしていない?」
レンリは身を乗り出し問う。
彼の身を案ずるあまり話を遮ってしまった。
「大丈夫。穏便に終わったよ」
レンリの手にランジが触れた。
掌から温かさがじんわり伝わってくる。
「俺は家から独立して今は自分で商いをやっている。これが意外と性に合ってたみたいでやっと軌道に乗ってきたんだ」
指が絡め取られた。
「もう家のしがらみはない」
手が引かれ、指先にランジの唇が触れる。
「本当に? あんな奥まった森にまで追って来たくらいなのに」
「そこは大丈夫」
ランジはやけに自信のある顔をした。
「うちの妹はなかなかの策士でね。俺がいない間に色々と手を回していたみたいだよ」
レンリの手を握ったまま彼がおかしそうに笑った。
「本当に頭が切れるよあの子は。味方でよかったと心底思うよ」
表情を引き締めたランジのまっすぐな視線とかち合う。
「もう俺は家に縛られていない。追われることもない」
彼が緊張した面持ちで唇を引き結んだ。
「もう一度、俺と暮らさないか。レンリと一緒にいたいんだ」
真摯な瞳にとくりと胸が高鳴る。
本心では嬉しい。
だが、別れ際のことが気がかりだった。
「ッ……私、ランジにひどいこと言ったし」
「あれは本心だったのか?」
俯きかけた頬が彼の両手で包まれる。
強制的に彼と目が合う。
「あの時言った通り、全部嘘だったなら諦める」
ランジの表情が悲痛に歪む。
こんな顔をさせてしまうくらい傷付けたのだと思うと、胸が苦しくてレンリの瞳もうるみ始めた。
「……違う」
浅くなる呼吸を抑え込み、やっとの思いで声にする。
「ランジとの生活は本当に楽しかった。お金の為なんかじゃない。でも私と一緒に居ることでランジが穏やかな生活を送れなくなることが耐えられなかった」
堪えきれなかった涙が溢れる。
「事情を知らされた時、一緒に逃げることも考えた。でも逃げきれる自信が無くて、このままじゃランジを不幸にしちゃうと思って……」
言えなかった当時の葛藤が溢れる。
嗚咽で最後まで言うことはできなくなっていた。
「ありがとうレンリ、俺のために。たくさん悩ませてすまない」
溢れる涙を彼の親指が拭っていく。
「ランジ、好き。こんなこと言う資格ないかもしれないけど、ずっとずっと一緒にいたい」
ランジが席を立ち隣に立った。
腕を引かれ、そのまま抱き締められる。
触れ合う体温が心地いい。
「俺も、ずっとレンリと一緒にいたい」
喜びが込み上げ彼の背中を強く抱きしめた。
「大好きだ、レンリ」
◇
「本当によかったの?」
レンリは商品を陳列しながらランジに話しかける。
あれからランジはレンリの住んでいた店舗兼住居に引っ越してきた。
元々レンリの住まいより広い家を持っていたようだが、そちらは別邸扱いにしたらしい。
「あの森で過ごしてた時みたいで俺は楽しいよ」
想定外の無邪気な笑顔を向けられレンリは動揺する。
ランジは森で暮らしていた時よりも表情が豊かになったがする。
彼の家へレンリが移ることも提案されたが、どうも華美な暮らしは性に合わない。
一度彼の住まいへ行ったことがあるが、執事もいてなかなかに優雅だった。
「ここだと執事さんもいないし、その……」
不便はないかと聞こうとしたが、使用人なんているわけもないこの家の方が不便に決まっている。
途中まで言葉にして後悔した。
「俺は」
急に引き寄せられ驚く。
「レンリと一緒に居られるならどこだって幸せだ」
黄金の瞳が柔らかく細められている。
「もうひとりで悩んで俺の元から消えたりしないでくれ」
ゆっくり頷く。
頬に手が添えられ、彼の顔が近付く。
唇が重なった。
体を離し互いに笑い合ったところで店の入り口のベルが鳴る。
「っいらっしゃいませ!」
慌ててランジを押しのけ接客へ向かう。
後ろで笑うランジの声が聞こえる。
振り返れば目尻を下げて楽しそうに笑う彼。
にっと笑顔を返す。
これからもいろんな困難があるかもしれないけれど、もうひとりで悩むことはしない。
ランジと共にあるために最大限の努力をする。
ひとりでは難しくても、ふたりなら新たな道が見えるはず。
「ありがとうございました」
客を見送るレンリの隣にランジが寄り添った。
そっと手を握られる。
「これからもよろしくね、ランジ」
「ああ、こちらこそ」
応援ありがとうございます!
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