Blindness

餡玉(あんたま)

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another story ー蓮ー

1、変えられない現実

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 自分の性がオメガだと分かった瞬間、感じたのは絶望だった。

 十五になる直前に受けた健康診断。その結果を蓮に告げる綾世清一せいいち医師の表情もまた、ひどく憂いを帯びていたことを覚えている。

 国城家は代々アルファが生まれることの多い血筋だ。国城の血の秀抜さを世界に誇示するかのように、代々の直系血族の者は皆、美しく秀でたアルファばかりだった。

 その頃にはすでに親はなく、蓮は幼くして国城家の当主であった。幼齢ゆえ、まだ事業に関わってはいなかったものの、蓮の存在はすでに社交界における華であり、蓮の顔と名前を知らないものはいなかった。
 両親の急逝、葵の失明のこともあり、蓮にまつわるエピソードはいつでも大人たちの涙を誘い、蓮の存在はより鮮やかに人々の心に印象付けられたものである。

 蓮自身、自分がどのような立ち位置にいて、どういった言動を期待されるかということを、すでに十分に理解している聡い子どもだった。だからこそ、自分がオメガだと分かった瞬間——蓮は文字どおり、目の前が真っ暗になり、足元が抜け落ちてしまったかのような落下感を感じたのである。

 ふらつき、倒れこみそうにある蓮をとっさに支えた綾世清一医師も、蓮と同じくオメガ性を持つ医師であった。国城家とは対照的に、綾世家は代々オメガの生まれやすい家系であり、清一の息子・綾世りつもまた、オメガである。

 綾世清一医師は、蓮の性については絶対に他言しないことを約束してくれた。しかし、蓮がカミングアウトをしたいというのなら、その選択を応援するとも言った。また同時に、もし、国城家のために、オメガ性を隠しながら生きていくという選択をするのならば、その意志を全力でサポートするとも。

 ぐらぐらと脳が沸き、まともな思考などできる状態ではなかったが、カミングアウトをするなどという選択肢は、蓮の中にはすでになかった。そのとき蓮の脳内に渦巻いていた感情は、『自分は何があってもアルファでなければならないのに。誰よりも秀でた、アルファでなければならないのに』という自責の念ばかりであった。

 他に選ぶ道などあるわけがない。
 目の見えない弟を守るためには、国城家が磐石であるということを世に知らしめておかねばらない。

 両親が事故死などではないことくらい、蓮はすでに知っていた。国城家の繁栄を妬むアルファたちが、この世にはごまんといることも、理解していた。


 蓮は決意した。


 自分がどうなろうとも、葵のことは守り抜く。国城家を、決して没落させるものか——と。



 +


 高等部に進学して、数ヶ月。蓮はまだ、高校生活に慣れてはいなかった。

 蓮が通うのは、この国の最高学府である名門私立である。幼稚舎から大学までエスカレーター式で、生徒の割合は九割方がアルファ、残りの一割はベータだ。そして数年に一度、オメガが入ってくることもある。

 しかし入学してきたオメガは、すぐに学校からいなくなる。
 番を見つけてさっさと学校を辞めてしまうものもいたらしいし、アルファの高い能力についていけずに、自主退学をするものもいたらしい。オメガ自身が退学を選択する場合はまだいいのだが、耳を塞ぎたくなるような事件が起こったことも一度や二度ではなかったようだ。

 第二次性徴が現れやすい中学、高校生時代というのは、まだまだオメガのフェロモンが安定しない。数ヶ月に一度と言われる発情期が突発的に始まってしまうということも起こりやすいのだ。
 そのため、オメガの生徒自身も制御できない発情によって、クラスメイトのアルファ達をヒートさせてしまうこともあったというのである。

 その年のころのアルファたちは、当然オメガフェロモンに耐性がない子どもだ。突然濃厚なフェロモンを嗅がされてしまえば、理性よりも先に本能が先に立ち、オメガを襲ってしまうという事態に陥ることもあった。
 また、一人のオメガを奪い合い、アルファ同士が流血沙汰を起こすこともしばしばで、学園ではオメガを入学させることをやめてはどうかという話も出ていたとか。

 しかし、「平等に開かれた学び舎」というイメージを保つため、今もこの学園では数人のオメガが在籍している。幼稚舎の頃から徹底的に性教育が施されるようになった成果か、ここ十年ほどはそういった事件は起きていない。

 だからといって、油断はできない。
 アルファは食うもの、オメガは食われるもの……世間に渦巻くそういったイメージは、蓮の中にも存在している。
 オメガ性が露見すれば、自分は一体どうなるのか。そんなものは、火を見るよりも明らかだ。

 学内のどこを見回しても、周りはアルファばかり。突然薬が効かなくなったら? 感覚の鋭いアルファに、嗅ぎつけられたら? ただでさえ、蓮は学園中の有名人だ。蓮の存在を疎んでいる者だっているだろう。そんな連中に、もしも孕まされでもしたら……。

 そういった恐怖を押し殺すように、蓮は毎日のようにフェロモン抑制剤を服用し、同時にアルファらしさを身に備えるため、アナボリックステロイド(筋肉増強剤)をも服用していた。それらを飲み始めてからまだ日も浅いこともあり、蓮は時折ひどい頭痛と吐き気に襲われる日々を送っていた。薬の影響で、授業中にぼうっとしてしまうこともしばしばだった。

 しかし、学力においてもスポーツにおいても、蓮は誰にも負けるわけにはいかなかった。幸い、身体に流れる国城家の血のなせる技か、蓮の知能と身体能力はアルファには劣らない。かといって、それに甘えていられるほど、周りのアルファたちは愚鈍ではない。蓮は毎日のように勉強に励み、なんとか学年トップクラスの成績を維持していたのである。


 がむしゃらにそんな生活を送っていても、不意にぷつんと糸が切れてしまう瞬間がある。


 蓮はまだ十五歳なのだ。肉体をどんなに酷使したところで、オメガはオメガ。そもそものポテンシャルが違うのだ。

 のうのうと学園生活を謳歌しているアルファ達を見ていると、無性に腹立たしくなった。そして同時に、自分の性が忌まわしくて忌まわしくてたまらない気持ちになり、自分自身をぐちゃぐちゃに傷つけたい衝動に駆られることもしばしばだった。

 しかし、何をどうあがいても現実は変えられない。蓮はひとり、唇を噛んで涙を流すことしかできなかった。

 そんな時、蓮は幼い弟に癒しと力をもらっていた。

 葵はまだ十歳だったが、素晴らしい知力をすでに開花させており、家庭教師達も眼を見張るような成長ぶりを見せていた。そんな弟が誇らしく、頼もしかった。

 幼い弟を見るたび、葵こそはアルファであれと、想わない日はない。


 そうでなければ、国城家の未来はもう——。


「にいさま……? 兄様、いるんでしょ? おかえりなさい!」
「ただいま、葵」

 葵の自室を訪ねてみると、付き人の女性ベータに付き添われ、ベッドの上で点字の本に指を走らせていた葵の表情が、目に見えて輝いた。
 声をかけてもいないのに、ドアの方へ白く曇った瞳を向け、ベッドからするりと降りて、まっすぐに蓮のほうへと駆けてくるのだ。葵は蓮の匂いと気配を敏感に察知するようなのである。

 蓮は飛びついてくる葵を受け止めて膝をつき、ぎゅっと弟の身体を抱きしめた。

「ねぇ、今日もお勉強があるの? 今夜は一緒に寝てくれる?」
「……んー……ううん。今日はもう、勉強はしない。明日は休みだからね」
「本当? じゃあ、一緒にいてくれる?」
「うん。一緒にいるよ。平日はなかなか一緒に過ごせないからな」
「わぁ……」

 葵の小さな手が、ぎゅうっと蓮のシャツを握り締める。すりすりと胸元に顔をこすりつけ、葵はくすぐったそうな笑い声をたてている。
 兄である自分の存在をこんなにも必要としていてくれる、こんなにも懐いてくれている弟が、可愛くないわけがない。蓮はひょいと葵を抱き上げ、付き人を部屋から下がらせて、兄弟水入らずの時間を過ごすのであった。

 ベッドの中で、その日学んだことを一生懸命話している葵を見つめていると、日々の疲れが溶けて消えていく。さらさらとしたブラチナブロンドの美しい髪に指を絡めながら、蓮はうとうとと葵の声に耳を傾けていた。

 しかし、自分を見上げる葵の曇った瞳を見つめていると、なんだか無性に悲しくなる。この目を、どうにか治してやりたい。そのためには一体何をすべきなのだろうと、ついつい思い悩んでしまう。
 こんなにも素晴らしい能力に恵まれているというのに、葵の目は一生塞がったままなのだろうか。葵の目が見えるようになりさえすれば、国城家の未来は今よりずっと明るいものになるだろうに……と。

「にいさま、くすぐったい。僕の目、どうかなってる?」
「……あ、ごめん」

 無意識に、葵の目元を指先で撫でていた。葵は長いまつ毛を上下させて蓮のほうへと瞳を向け、小首を傾げた。

「……葵の目、何とかして、見えるようにしてやりたいなって」
「あ……うん。……ごめんなさい」
「えっ? な、何で謝るんだよ。目が見えないのは葵のせいじゃないよ?」
「……そうだけど。兄様、僕の目を触りながら、いつも悲しそうなため息をつくから」
「……あぁ……そうか。ごめん」
「ううん。でも僕、見えなくても色んなことができるようになったよ?」
「あぁ、そうだね。葵は賢いから、僕の自慢の弟だよ」
「ふふふっ」

 蓮が頭を撫でながらそう言うと、葵は嬉しそうに頬を紅潮させ、ぎゅうっと蓮にしがみついてくる。やわらかなベッドの中で愛らしい弟を抱きしめていると、もうこのままずっとここにいたいと、甘えたことを思ってしまう。

 そのとき葵はふと顔を上げ、蓮の首筋をくんくんと嗅いだ。そして、うっとりしたような甘い声で、こんなことを言った。

「にいさま……いい匂い」
「……え?」
「なんだろう……すごく、甘くて、いい匂いがするの。僕、にいさまのにおい、すごく好き」
「っ……」


 ——やはり、嗅ぎ取っているのだろうか……葵は……。


 発情期を抑え込んでいる時に限って、葵は蓮の匂いを「甘くて好き」だと言う。葵はまだ幼いが、アルファとしての本能が、蓮のオメガフェロモンの香りを嗅ぎ取っているとしか思えない。

 葵がアルファであるということ自体は、蓮にとっては喜ばしいことだ。だが、今この段階で、葵に蓮のオメガ性を知られるのはとても具合が悪い。蓮はとっさに少し葵から身を離し、取り繕うように乾いた笑い声をあげた。

「あ、あははっ、入浴剤の匂いじゃないかな。さぁ、もう寝る時間だよ? 葵が眠るまで、ここにいるから」
「……うん……」
「いい子だね。葵、大好きだよ」
「ぼくも……にいさまが、好き……」

 背中を軽く叩いてやると、葵は素直に眠りに落ちていく。蓮は枕元に置かれたランプの明かりを消し、じっと暗闇を見上げてため息をついた。


「……僕は、葵にも近づけなくなるのか……」


 蓮は何だか悲しくなって、眠る葵に縋り付くように抱きしめた。

 ふんわりとした葵の匂いを深く深く吸いながら、蓮はまた少し、涙を流す。
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