琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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第1章 再会

10、知らない名前

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 薄暗い法堂の中は、さらにひんやりとしていた。天井は見上げるほど高く、清浄な空気に満たされた空間に、珠生は思わず溜息を漏らしていた。

 凛とした空気が、その中にはあった。
 奥には木造の仏像が安置されていて、その左右には一回り小さな仏像が二つ。きらびやかさはないが、重厚感の漂う立派な佇まいだ。その前にがっしりとした体躯をした和服の男が座っている。

「親父、連れてきたで」
 舜平の言葉に振り返った男の顔は、舜平とよく似ている。大きな目をしていて、その目は何にでも興味を持ちそうにきらめいていた。
 男は立ち上がって珠生に向き直ると、にっこりと微笑んだ。
「どうも、私はこの寺の住職で、舜平の父です。相田宗円そうえんと申します」
「初めまして。沖野珠生です……。今日は、よろしくお願いします」
 珠生は礼儀正しく、宗円と名乗る男に頭を下げた。

「若いのに礼儀正しい子やなあ、舜平、お前も見習え」
「へいへい」
 舜平は面倒くさそうにそう言うと、珠生に座布団を準備してやり、自分もその横に座った。
 宗円はじっと珠生の目を、観察するように覗きこむ。

「……君。変わった霊気を持ってるね」
「おい、いきなりか」
 唐突に頭を疑われそうなことを言い始めた父親に、舜平はぎょっとした。珠生は不安げな顔になると、舜平を見る。
「まぁ、聞いたってくれ。俺より見えるからな、このハゲは」
「ハゲと違う。俺は坊主やから丸坊主にしたんや」
と、わざわざ宗円はそう訂正した。舜平は面倒くさそうに父親を見ると、「はいはい。どっちでもええわい」と気のない返事をしている。

「……」
 珠生はきょとんとして二人のやり取りを見ていたが、向き直って自分を穴が空くほど見つめてくる宗円を見返した。
「霊気……微かに妖気の混じった霊気を持っている。何でやろうな、君の祖先には人ではないものがいたようや」
「……え」
「白い髪……白い着物、なんだろう、赤い色も見える。君とよく似た顔……」

 珠生はまた、舜平を見た。きっと昨日の晩のうちに、申し送りでもしたのではなかろうかと疑う目だった。舜平はそれに気づくと慌てたように首を振って、「俺、なんも言ってへんで」と言った。

「……それに、舜平。お前も」
「え?」
 突然父親の注意が自分へと向き、舜平は驚く。宗円はじいっと舜平の目を覗きこみ、少し眉を寄せた。

「……お前の霊気、以前と何かが違う。なんや……何でや」
「何言ってんねん。俺のことはいいねん。珠生くんのこと、もっと見たってくれよ」
「いや、お前ら二人、どうも繋がりがあるらしい。同じような……空気を感じる。何かは分からんが……」

 二人は、桜の木の下で同時に見えた白い影のことを思い出した。じわじわと恐怖の表情を滲ませ始めた珠生の変化に舜平ははっとすると、思わずその肩に手を添えた。

「そんな顔せんでいいよ。大丈夫や」
「……」
 珠生の大きな目が、恐怖や不安のために揺らいでいる。

 舜平はおもむろに、父親の坊主頭をべしっと叩いた。いい音が響く。
「いって! 何すんねん!」
「アホ、もっとマイルドに言わんかい! 怖がってるやろ!」
「ボケぇ、殴ることないやろ! そんなこと言ってもなぁ……。父さんもこんな子、見たこと無い。妖気が入り混じってるなんて……」
「……どういうことですか」
 珠生は目を瞬かせながら、二人を交互に見た。宗円は腕組みをして、何ごとかを考えこむような姿勢を取る。


「ようやく来たか、千珠」
 法堂に、男の声が響いた。三人が弾かれたようにそちらを見ると、法堂の入り口に、淡いグレーのブレザーと黒いスラックスに身を包んだ、すらりとした長身の少年が立っていた。

 その少年はずかずかと許しも得ずに法堂に入ってくると、切れ長の瞳をきらめかせて珠生を見つめた。

 近くで見ると、その顔は珠生とそう歳の違わない少年のものだ。細面の顔に、切れ長の瞳と高い鼻、細い唇……整った容貌ではあるが、まるで狐のように見える顔立ちをしている。

「君の匂いがしたから、すぐさま来たんだ。待ちくたびれたよ、千珠せんじゅ
 どこか見覚えのある制服を身に付けたその少年は、唇に笑みを湛えてそう言った。
「誰だ、君は」
 宗円は用心深くそう尋ねた。
「君にも、なにかおかしな気を感じるが……」
「……いやだなぁ。せっかく迎えに来たのに。千珠、僕のこと覚えてないの?」
 少年は宗円を無視して珠生の前にしゃがみこむと、ずいと自分の顔を近寄せてくる。珠生は怯えたように顔を歪ませ、さっと身を引いた。

 そこへ舜平は割って入ると、突然現れた狐の化身のような少年を睨みつけ、シャツの襟をぐいと掴みあげた。
「おい、お前誰や。せんじゅって、何や」
「……あれ? 君……。あはははは!!」
 その少年は舜平の顔をまじまじと見ると、いきなり声高に笑い始めた。舜平はぴきりとこめかみに青筋を立て、その少年の襟を掴んだまま立ち上がり、更に襟を締め上げる。
「おい! 何笑うてんねん! 気分悪い奴やな」
「……いや、そのまんまだなと思ってさ……。でも、君も覚えてないんだ、僕のこと」
「はぁ? お前みたいなガキ、会うたこともないわ」
 舜平はぎらぎらと怒りのこもった眼で、じっとその少年の鋭い目を睨みつける。少年はさも楽しげに笑い、ばしっと舜平の手を払いのけた。

「君もまぁ見事に、千珠のそばに転生を果たしたというわけか。さすがだよ」
「何やと?」
「悪いけど、君はちょっと黙っててくれる?」
 その少年は舜平のみぞおちの間に手をかざし、にやりと笑った。

 直後、舜平の身体がぶわりと浮かび上がったかと思うと、見えない手で鋭く投げ飛ばされたかのような荒々しさで法堂の壁に激突した。どぉん! と低い音が響いて、背を強かに打ち付けた舜平がずるずると床に崩れ落ちる。珠生は目を見開いた。

「舜平さん……!」
「舜平!!」
「動かないでくれるかな?」
 その少年は珠生の前に改めて座り込むと、ぐいと顎を掴んで目を覗きこんでくる。珠生は震えながら、その得体の知れない少年を見上げていた。

「……まだ、何も思い出してないんだね。夢も見ていないのかな?」
 少しばかり淋しげな翳りを見せたその少年に抗うこともできず、珠生はされるがままになることしかできないでいた。
 怖くて怖くて、一体自分の身に何が起こっているのか分からなくて、ただただ混乱していたのだ。

業平なりひら様、まだ時間がかかりそうですね」
「ああ、そうだな」
 狐目の少年の背後に、もう一人男が立っていた。四十路に入ったあたりだろうか、黒いスーツに身を包み、穏やかながらも隙のない雰囲気を漂わせた一人の男が一歩珠生に近づいてきた。
「……千珠さまの妖気、まだまだ覚醒には程遠いようだ」
 スーツの男が頷くと、狐目の少年は手を離して珠生を自由にした。珠生は後ろに座っていた宗円にぶつかり、肩を支えられる。

「しょうがないな。しばらく待とう」
「そうですね、千珠がいないと、あの術は使えない」
 立ち上がって何やら相談している二人を、珠生と宗円は呆然として見上げた。珠生は尚も怯えた顔のまま、二人を見上げてわなわなと唇を震わせている。
「千珠、可愛くなっちゃって。震えてるの? 僕達が怖い?」
 狐目の少年は、眉をハの字にして憐れむように珠生を見下ろす。スーツの男も、どことなく困惑しているような様子だ。

「……おい、何をごちゃごちゃ抜かしてんねん……」
 音もなく、二人の背後に舜平が立っていた。狐目とスーツは、はっとして舜平を振り返る。
 舜平は手近だったスーツの男のジャケットを掴むと、思い切りその頬を拳で殴りつけた。不意打ちを食らったスーツの男が、もんどりうって板張りの床に倒れた。 
「あ、何てことを……!」
 次はお前だと言わんばかりに、自分を燃えるような目で睨みつけている舜平に気づき、狐目の少年ははたと黙り込んだ。そして、降参するように両手を顔の前に上げる。

「……分かった、分かったよ。今回は、一旦退こう」
「……やるな、君。そうか、舜海か。覚えがなくとも、千珠さまを守っているんだね」
 スーツの男は切れた唇を拭いながら、ゆらりと立ち上がった。そして、舜平と珠生をじっと見据えると、こんなことを言い放った。

「君たちは、もうすぐ前世の夢を見始めることだろう。そして思い出して欲しい。今世で我々が成すべきことを」
「はぁ? 何を訳分からんことをごちゃごちゃと。もういっぺん殴ったろか」
 舜平がずんずんスーツの男の方へ歩み寄るのを、狐目が遮った。
 さっきまで薄く浮かべていた笑みを全て引っ込めて鋭い目線を舜平に向け、スーツの男を守るように前に立ち塞がっている。

「君は相変わらず血の気が多いらしい。まぁ、そう焦らずともまた会えるさ」
「……てめぇ」
「今は、珠生くんといったかな。僕はいつでも君のそばにいる。何か変化があったら、すぐに分かるから安心してくれ」
「え……?」
「現世でも、君はとても美しいね。明日から楽しみだ」
 狐目はすっと目を細めて、不気味に笑った。そして二人は踵を返し、靴音を響かせて法堂を出て行った。

「その内全て思い出すさ。そうすれば自ずと分かる。君がこの国にとってどれだけ重要な存在かということが」
 法堂の扉の辺りで一度振り返り、スーツの男はもう一度そう言い残した。
 そして、二人は消えた。

 珠生は呆然としたまま、自分を守るように立ちはだかっている舜平を見上げる。そして、はっとして立ち上がった。
「舜平さん、背中……。さっき何……されたんですか?」
「いや、それは大丈夫や」
「でも……」
「何や、あいつら。俺らのこと、違う名前で呼びよった」

 せんじゅ、しゅんかい。聞き覚えのない名前だ。珠生の胸の中に、どす黒い不安が沸き起こる。

「舜平、お前たち……きっと転生者だ」
 宗円の張りのある声が、背後から聞こえた。二人が振り返ると、宗円は難しげな顔をして二人を見ていた。
「二人が輪廻転生など信じるかわからないが、あの二人は、お前たちの中に蘇っているであろう誰かを探していた」
「そんな、オカルト番組じゃあるまいし」
と、舜平は吐き捨てるようにそう言う。
「さっきのおかしな術、食らったお前が一番分かるやろ。ありゃただの人間じゃないぞ」
「……」
 舜平は険しい顔だ。珠生は困惑した表情で、二人を見比べる。

「何か起こりそうや。二人共、気をつけるんやで。あまり一人にならんほうがええ」
「……そんな」
 怯えた表情の珠生の肩を、舜平は無意識に抱き寄せていた。小柄で華奢な珠生の身体は、あっさりとその腕の中に閉じ込められ、ゆらりとよろけて舜平にもたれかかる。
「大丈夫や、俺が一緒にいてるから」
「……はい……」
 珠生は舜平に寄りかかり、恐怖と困惑、そして不安といった感情に押しつぶされそうになる自分を何とか保っていた。宗円も、顎をなぜながらじっと目を閉じてなにか考え込んでいるようだ。

——明日から高校生活が始まるというのに。平和に暮らしたくて京都に来たのに、何でこんな目に……?


——幽霊騒動の次は、輪廻転生? 魂ってなんのことだよ……。
 

 重くのしかかってくる正体不明の不安をどうすることもできず、珠生は目を閉じてため息をついた。
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