琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

文字の大きさ
96 / 535
第8章 決戦

2、彰の動揺

しおりを挟む
 猿之助と対峙している業平と佐為は、一見可憐な容姿の梨香子をじっと見据えていた。
 彰は藤原の前にすっと立つと、小声で藤原に言う。

「幽体剥離の術を。僕が時間を稼ぎます」
「頼む」
 彰の背後で、藤原は印を結んだ。ここまで深く生身の人間と結びついてしまった猿之助の幽体だけを剥がす術となると、かなりの集中力と時間が必要だ。

「ふん……幽体剥離の詠唱か? まぁ、この状況、それが一番妥当だろうな」
 黒城牢の中で小首を傾げ、猿之助はそう言った。
 今日の梨香子は、ピンク色のふんわりとしたミニスカートに、透け感のある白いブラウス、ベージュのサンダルという女性らしい格好をしている。
 仕草だけ見ていれば、可愛らしい女子大生に見えなくもない。

「大人しくしていろ」
 彰は印を結んだまま、冷たい声でそう言った。猿之助は微笑む。
「黒城牢か……なかなかに難しい術を易しげに使うじゃないか。人間よりも、術の扱いが上手いようだな。褒めてやる」
「黙れ」
「俺が何も知らないと思っていたか? 藤之助がお前を拾ってきた時から、何もかも分かっていたさ。うまく隠していたつもりだろうが、俺の目は誤魔化せない」
「……」
「下等な妖の血が混じっているな。千珠殿や夜顔のような高名な妖の血ではなく、汚らわしい、忌まわしき妖の血が」
 彰の眉が、ぴくりと動いた。
「そんなお前に、どうしてこんな力が宿ったんだろうなぁ。あ、そうか……恐怖がそれを引き摺り出したんだったか」
「……黙れって言ってるだろう」
 猿之助は楽しげに微笑んだ。彰のこめかみを、つうと汗が伝う。

「可愛らしい子どもだったものなぁ、初めて陰陽寮にやって来た頃のお前は。そりゃあ、あの薄汚い地主に何をされても不思議ではない」
「……やめろ」
 彰の呼吸が乱れる。藤原は、背後から彰の背中を見上げながら、焦りを感じていた。


 ——佐為……もう少し、こらえてくれ。頼む。心を揺らすな、それは前世の過去だ。今のお前とは違うのだから……。


 藤原は、詠唱を続けながら佐為に向かってそう念じ続けた。


「血は穢れ、肉体までも汚れているなど……ふっ、薄汚い餓鬼だ。お前のような餓鬼を後生大事に抱え続けるとは、陰陽師衆も」
「……もう、やめろ……黙れ」
 すっと、彰が印を解いた。がらがらと、黒い檻が瓦解していく。猿之助の細く微笑んだ顔が、崩れ去る牢の向こうに見え隠れしていた。

 彰はすぐに違う印を結ぶと、目を見開いて猿之助を睨みつけた。
 その目の瞳孔が、縦に細く裂ける。

「猿之助……殺す……!!!」
「はっははは!! いい目だ、佐為!! 殺せ殺せ、この女ごとな!!」
「陰陽・黒槍こくそう!! 急急如律令!!」

 佐為の身体から紅蓮の炎が燃え上がった。
 炎はみるみる黒炎に色を変え、鋭い槍のような形をとって猿之助に鋭く突き進む。
 猿之助はそれを避けるでもなく、笑みを浮かべたままその槍を見据えていた。

「佐為! 駄目だ!」
 背後で術の詠唱を中断した業平の声が、彰を我に返した。彰は咄嗟に印を解いたが、術の速度が早すぎてもう止まらない。

 梨香子に黒い槍が突き刺さろうとした瞬間、珠生の宝刀が光の如く突っ込み、黒い槍の横面を弾く。

 皆がはっとしてそちらを見ると、影龍と対峙している最中の珠生が、じっと彰を見つめていた。

「佐為、お前らしくないな。しっかりしろ」

 珠生は引き締まった表情をした顔で微笑み、彰にそう言った。
 彰は、ゆっくりと瞬きをして、珠生の静かな瞳を見つめている。

「……千珠」
「こんな奴の言葉に、惑わされるな」
 珠生は再びくるりと身体の向きを変え、影龍に向き直った。
 彰は、唇を歪める。

「は……ははは……そうだな。その通りだ」
「佐為、私と替われ。今のお前じゃ無理だ」
 立ち上がった業平が、彰の肩を引いた。しかし彰は、その手を振り払う。

「いいえ、もう大丈夫です。業平様は、術の続きを」
「しかし……」
「早く!」
 断固とした彰の声に、藤原は再び幽体剥離の詠唱を始めた。

陰陽閻矢百万遍おんみょうえんしひゃくまんべん!! 急急如律令!!」

 梨香子の声が、鋭く佐為に突き刺さる。数千の破魔矢が、まっすぐに彰と藤原に向けて飛び掛ってきた。彰の目が、ぎらりと光った。

「陰陽五行、反射鏡!!」

 ふたりの前に、透明な鏡のようなものが生まれ、その矢を全て跳ね返す。猿之助はひらりと身を交わして、とん、と土塀の上に立った。目標を失った矢が、霧散して消えていく。

「はっ、今更お前に何ができる。この程度の言葉に、心を惑わす貴様ごときが!」
「……いい気になるなよ」

 彰は、そう呟いて、怒りにぎらつく鋭い目を、猿之助に向けた。
しおりを挟む
感想 49

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

敗戦国の王子を犯して拐う

月歌(ツキウタ)
BL
祖国の王に家族を殺された男は一人隣国に逃れた。時が満ち、男は隣国の兵となり祖国に攻め込む。そして男は陥落した城に辿り着く。

隠れヤンデレストーカーのクール系執事が傷心金持ち生意気DKを騙して番にしちゃう話

Nes(ネス)
BL
クール系執事×傷心生意気DK意地の張り合いからの甘々番契約♡ 深川緑郎 30代後半(見た目) 190cm 黒川家の執事。滅多なことでは動じないクール系。黒髪で紺碧の瞳という珍しい容姿。だいぶ長く黒川家に仕えているらしいが…。 黒川光生 DK 179cm 黒川家の跡継ぎ。獅子雄の幼なじみ。外では優しく振舞っているが、本当は意地っ張りで寂しがり屋。 今どきの長めの黒髪でイケメン。女性にモテるが、何故か交際までは至らない。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/236578036/314939827 上記とシリーズ物となります!

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

処理中です...