琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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第9章 護られた空

4、過去を想う

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 彰は葉山に自宅へと送ってもらいながら、窓を開けて朝の空気を吸っていた。
 晴れ渡った空を見上ていると、不意に佐々木藤之助のことを思い出す。

 猿之助の弟。彼の、たった一人の肉親だった男だ。
 かつて、猿之助は業平によってその命を絶たれた。そして、今世では彰がその魂を、完全に消滅させた。

 藤之助の魂は、どこにいるのだろう。
 こんな行いをした自分を、彼は一体どんな目で見るだろう。
 彰はふと、目を伏せた。

 佐為は、両親を村の住人達に殺されてからずっと、心を閉ざしていた。
 地主のもとで、身体を弄ばれていた数週間の間に、その心は更に身体の奥深くへと潜っていってしまった。

 肌に触れられても、何も感じないようにするために。汚いものが、身体の穴という穴に入れられるおぞましい感覚に、気を狂わせないために。

 佐為の目は、どんどん鋭く、暗い色へと変貌していった。

 そして、心が全て凍りついたあの日、佐為は地主の首を食いちぎり、そこにあった刀と爆発した妖力を使って、屋敷にいる人間すべてを殺害した。

 その地獄から佐為を救い上げてくれたのは、佐々木猿之助の弟・藤之助だった。佐為の爆発的な妖気を察知した陰陽師衆が、彼の地を検分に来ていたのだ。

 佐為の荒んだ妖気、体中の傷と暗い虚ろな表情、真っ白で華奢な手足と美しい顔立ち。血にまみれながら、じっと藤之助を見上げる佐為の目には、一切の表情もなかった。

 藤之助は惨劇の起こった屋敷の中を見回して、もう生存者がいないことを確認すると、佐為の前に座り込んでその目を見つめた。

 この頃の藤之助は、齢にしてまだ二十と少し。若いながらに穏やかで、優しい目だった。佐為は、こんな目をした大人は、今まで見たことがなかった。

「刀を置いて行きなさい。そんなもの、もうお前にはいらないよ」
 指が白くなるほどに握りしめた刀の柄は、小さな佐為の手には大きすぎる代物だった。藤之助はその手を取って、指を一本一本はがしていく。

 がしゃん、と木の床に血濡れの刀が転がって、佐為はぼんやりとそれを見下ろした。

「……僕を、処刑しますか。たくさん人を殺したんだ」
「そんなことはしない。君はまだ小さい。それに……つらい目にあったんだろう」
「でももう、生きてても死んでても、一緒ですから」
「そんなこと言うもんじゃない。君はまだ小さいんだ。これから先、生きていれば素敵なことはきっとある」
「……嘘だ」
「そう思うなら、私と一緒においで。その力の使い方を教えてあげるから。君はきっと、素晴らしい使い手になれる」
 佐為は藤之助を見た。藤之助は、佐為を安心させるようににっこりと笑った。

「名は?」
「……言いたくない」
「そうか。じゃあ……私がお前に新しい名をつけようか」
「え?」
「そうだな、これからお前には、私の仕事を助けて行ってほしい。だから、佐為、というのはどうだろう」
「さい?」
「佐という文字は、誰かの傍らで助けるという意味。為という字は、それを成すという意味だ。誰かのために、助けになるという意味だよ」
「佐為、ですか……」
 藤之助は外に連れだした佐為に説明するために、地面に指で文字を書きながらそう言った。

 新しい名前。自分を拾い上げ、育ててくれようとしている、穏やかな大人の存在。
 大らかで強い気を感じて、佐為は安堵していた。この大人は、自分を裏切ることがないと、直感的に理解していた。

「……美しい名ですね」
 そう言って、佐為は一筋の涙を流した。


 陰陽師衆に加わってからも、佐為は積極的に汚れ仕事、つまり人命を奪う仕事をこなしてきた。
 粛清という大義名分があったとしても、それが業平の指示だったとしても、自分が犯した罪は消えない。

 でもそうすることでしか、佐為は自分の居場所を見いだせずにいた。

 汚れた血、汚れた身体を持つ自分は、汚れた仕事を行うのが合っていると、そう思っていた。




「……疲れた?」
 気遣わしげに、葉山の声がした。彰ははっとして、顔を上げる。
 きらきらと明るい朝の日差しは、今の自分の気持とはかけ離れている。しかし、葉山の声が、ほんの少し彰の心をしっかりさせる。
「……いいえ」
「彰くんが静かだと、気持ち悪いものね」
 葉山は前を向いたままで、そんなことを言った。彰はちょっと笑う。
「なんだそれ」
「何を考えていたの?」
 葉山の問に、彰はまたなにかふざけたことを言ってやろうと思った。しかし、頭はいつもの百分の一も回転せず、何も思いつかない。
 彰はため息をついて、本当のことを言った。

「……ちょっと、前世で犯した罪について、考えていた」
「罪……か」
「かつて死んだはずの自分が、今こうしてここにいるということは、僕が奪ってきた命もまた、どこかに存在しているってことだ」
「……そうなるわね」
「僕は神なんか信じていないけど、よくもまぁ……何のお咎めもなく平和に暮らせているもんだと思ってね」
「私から見れば、あなたの人生、とても平和には見えないけどね」
「……そうかい?」
 葉山の言葉に、彰は彼女の横顔を見た。

 丸二日眠っていない葉山の顔は疲れていたし、眼の下にくまもできている。少し肌も乾燥しているようだし、土煙に汚れて髪もぼさぼさだ。
 それでもその目は、真っ直ぐで揺らぎがない。

「過去からの罪を背負って今も苦しんでるのに、いつもいつもにこにこしている高校生の、どこが平和だっていうの」
「……」
「魂の安寧を捨てて、現代に蘇ってまであんな戦いをして……それは何のため? この国を護るためでしょ?」
「……うん」
「充分よ。それ以上何をすればいいかなんて、考える必要もないわ」
「……」
 彰はじっと葉山の横顔を見つめた。

 凍りつき、動かないはずの心が、少しずつ溶けていくような感覚が彰の中に沸き起こる。
 彰は、葉山の言葉を、胸の中で何度も反芻した。

「……ありがとう」
 彰は心から、そう言った。人の言葉にここまで心を動かされたのは、初めてだった。
 葉山はゆっくりと首を振って、彰を見つめる。
「やめて。私は思ったことを言っただけよ。あなたの罪も、あなたの本当の気持ちも、私には分からないんだから」
「そうだね……。でも……嬉しかったよ」
「なら、いいけど」
「五百年経って、葉山さんみたいな人に出会えるとは思ってもみなかったな」
 葉山はちらりと、彰を見た。彰は再び前を向いて、いつもの笑みを唇に載せていた。
 
「ねえ、葉山さん」
「なに?」
「キスしようか」
「しません」
 即座にきっぱりと断る葉山が面白く、彰は楽しげに笑った。葉山は仏頂面で、車を彰の家のそばの公園前に停める。
 葉山はサイドブレーキをひいて外へ出ると、うーんと呻きながら伸びをしている。彰も車から降りると、少しひんやりとした空気の中、朝の空気を胸いっぱいにを吸い込んだ。
 肺の中が、清浄な空気で満たされていく。
 心が、いつになく軽い。彰は微笑みを浮かべて、空を仰いだ。

「……美しい空だ」
「そうね。あなたのおかげね」
「そう思うなら、キスしようよ」
「しません。……まったく、術式の前後はとても素敵だと思ったけど、普通に戻るとただのいやらしいガキね」
「素敵? ありがとう、嬉しいな」
 彰は都合のいい所だけ聞き取って、にっこりと笑ってそう言った。
「……調子いいんだから」
 葉山はそう言って笑った。いつもの憎たらしい彰に戻ってきたことが、嬉しかった。
「まぁいい。人生は長い」
 彰はそう言うと、ふっと笑ってポケットに手を突っ込み、自宅の方向へと歩き出した。
「葉山さんも、お疲れさま。美容のために、早く寝たほうがいいよ」
「大きなお世話よ」
「はは、じゃあまたね。後処理の件、よろしく」
「了解」

 彰はひらひらと手を振って、そのまま歩き去って行った。すらりとした背中が、朝の光に照らされている。 

 葉山はそんな彰の背中を見送りながら、笑顔を浮かべてひと息をつくと、再び車に乗り込んだ。
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