琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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第4幕『恋煩いと、清く正しい高校生活』

2、会いたい、会えない

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「相田くん、私と付き合ってくれませんか?」

 つい今しがたまで、目の前で映画の感想を楽しげに話していた安西美来の口から、そんな言葉が飛び出して来る。
 舜平は、一瞬彼女が何を言っているのか全く理解できず、しばらく無表情のまま美来の顔を見つめていた。

 美来は徐々に赤く染まってくる頬を隠すようにぱっと俯いた。ふわふわとしたおだんごにしてある茶色い髪が、かすかに揺れた。

「……え?」
「あ、いや、その……」
 舜平は口に咥えていたストローを離して、もう一度美来に聞き返す。美来はしどろもどろになって、手を膝の上でぎゅっと握りしめた。

 残暑の厳しい、九月上旬のある日、二人は三条河原町のカフェの中にいた。
 盆の終わりに催された小学校時代の同窓会で、舜平と美来は再び出会うこととなった。北崎悠一郎のクリスマス展示を見に行って以来の再会だ。

 美来は、その頃から舜平のことを強く意識していた。小学生から大学生へと姿を変えた舜平は、とても男らしく頼もしく見えたし、その爽やかなままの容貌にもドキドキした。
 アメリカに留学していると、悠一郎から聞いていた。帰ってきたら、勇気を出して一度くらい二人で会いたいと思っていた。

 心臓が口から飛び出そうになりながら送ったメールに、舜平はあっさりとオッケーをくれた。バイトのない日をいくつか挙げて、美来の都合を聞いてくれた。

 とてもとても、嬉しかった。あまり男慣れしていない美来にとって、自分から男性を誘うなど、天変地異の前触れのようなものなのだ。

 四条河原町で待ち合わせをして映画を見たが、その映画の内容など殆ど頭には残ってこなかった。隣に舜平がいるという事実がすでに、美来にとっては映画の中の出来事のようだった。

 映画の後にカフェに入った二人であったが、舜平は美来に気をつかうでもなく、楽しげに映画の感想を話していた。美来の心は躍った。舜平が自分といて笑っていることが、それだけで嬉しかった。

 そこでぽろりと口からこぼれた台詞に、舜平が呆気にとられている。

 平日であり、カフェの中に人が少なかったことを、美来は心から感謝していた。

「あ。ごめん……急に……」
「え、いや……。どうしたん、急に」
 舜平は苦笑しながら、美来を見ていた。美来は恐る恐る、舜平を見上げた。目があって、また直ぐにうつむく。
「……私、クリスマスに悠ちゃんの大学で会った時から、相田くんのこと気になってしまって……」
「あ、そうなんや……」
「ごめんね、勝手に……。でも、小学校の頃からかっこいいなって思ってて、再会して、あぁやっぱりかっこいいなって……」
「かっこいい? 俺が?」
 舜平は笑い出す。美来は更に俯いた。

「安西、そら同窓会効果やわ。俺はそんなええもんちゃうし、付き合ったりなんかしたらがっかりすんで」
「そんなことないよ。がっかりできるなら、がっかりしたいよ……」
 美来はぱっと顔を上げて、笑っている舜平を見つめた。その真剣な眼差しに、舜平ははたと黙った。

「……でも、ごめんね。急すぎるよね。だから……その、またこんな風に二人で会えたら嬉しいな……って」
「そりゃ、まぁ……でも、俺は、」
「本当? ありがとう」
 顔を上げて、困ったような顔で笑う美来に、舜平は困惑気味な笑みを浮かべた。

「安西も、おかしな趣味してんな」
「え、そうかな」
「そうやろ。北崎みたいないい男がそばにおんのに」
「悠ちゃんは兄弟みたいなもんやから……。それに、就活始まるし、今言わんと絶対言えへんと思って……」
「せやな。もうすぐ忙しくなるな」
「また、こうしてお茶したり、ご飯行ったり……してもいいかな?」
「お、おう……」

 困ったように頬を掻く舜平を見て、美来は少しだけ笑った。舜平が全く自分のことを意識していないということは分かったし、おそらく交際にまで発展するような望みがないということも伝わってきた。それでも、こうして舜平に少しでも近づくための、きっかけが出来たから。

 なかなか勇気が出ず、一歩を踏み出せず苦しんでいた今までの自分が、ほんの少しだけ前進できた。
 それは美来にとって、嬉しい出来事であった。


 
 +  +


 北崎悠一郎と珠生は、いつもの喫茶店で写真を選ぶ作業をしていた。
 あじさいの頃に撮った写真がようやく現像できたからと、悠一郎に連絡をもらった珠生は、夏休み明け一発目の試験が終わって直ぐに喫茶店へとやって来た。
 二ヶ月ぶりに会った悠一郎は、長い髪をバッサリと切ってえらくこざっぱりした頭になっている。珠生は一瞬どこに悠一郎がいるのか分からなかった。

「悠さん、髪切ったんだ」
 悠一郎の前に座りながら、珠生は目を丸くしていた。悠一郎は笑って、自分の頭を撫でる。
「長髪も飽きたしな。そろそろ就職先にバイトにいかなあかん時期でもあるから、ちょっとさっぱりしとこうかと思って」
「そうなんだ。忙しくなるんだね」
「そうやねん。でも、珠生くんのことは、これからも撮っていくから、頼むな」
「うん、いいよ」
 そう言ってにっこり笑う珠生のきれいな笑顔を見ていると、悠一郎の心がなごむ。マスターがアイスコーヒーを珠生の前に置き、皿の上に小さなマカロンを置いていく。

「サービスや」
「わぁ、ありがとうございます」
 いつの間にか気難しいマスターまで、珠生にはえらく優しくなっていることに気付き、悠一郎は苦笑する。
 悠一郎が出してきた写真をめくりながら、珠生はいつもの様に色使いや構図について良いコメントをくれる。最近少し辛口のコメントが出てくるようになったのも、いい傾向だと思った。

 大きな紫色の紫陽花の中で、赤い傘をさす珠生の姿が白く淡く浮き上がっている写真を見つめながら、悠一郎は気になっていたことをふと口にした。

「あのさ……美来ちゃんがな、舜平のこと、好きみたいやねん」
「え?」

 写真を手にしていた珠生の手が止まる。

「覚えてる? クリスマスに会ったやろ? 俺の幼馴染の」
「あぁ……あの優しそうな女の人……」
「あの時から、ずっと気になっとったみたいで……。盆の終わりに同窓会したんやけど、その帰り道にそんなこと言い出すから、びっくりしてん」
「へぇ……。もてるね、舜平さん」
 珠生は葉山美波や千秋の顔を思い浮かべながらそう言った。悠一郎は言いにくそうな顔のまま、珠生をちらりと見上げる。

「俺はまぁ、話聞いてるだけでな、応援とかはしてへんねんけど。美来ちゃんの中では、もうすぐにでも告白したいって思ってる感じやねんな」
「ふうん……。あの、それ、何で俺にそんなこと言うんですか? 悠さん、あの人のこと好きなの?」
「いやいや、幼馴染すぎて、俺はもうそんなふうには見られへんよ。……というより、珠生くんはさ、舜平が……その……」
 珠生は、悠一郎が言わんとしていることがようやく分かり、得心がいったように頷いた。そして、ちょっと笑う。

「舜平さんをあの人に取られていいのかって、言いたいんですね?」
「あぁ、まぁそういうことや」
「別に……俺がどうこういう問題じゃないし……」
「でも、ええんか?」
「……。ていうか、舜平さんの問題だもん、俺には関係ないよ」
「そっか、ならええねんけど……。美来ちゃんが舜平の話してる時、珠生くんの顔がちらちらちらちら俺の目の前をちらつくねんな。だから気になって……」
「そんな、気にしなくていいのに」
 珠生は苦笑してアイスコーヒーにささっているストローを口にした。悠一郎は尚もすっきりしない顔をしている。

「どうしたんですか?」
「舜平はどうすんねやろうな」
「さぁ……」
「最近舜平と会った?」
「え。えーと……最近、会ってないかな」

 霧島の一件に片が着いてからというもの、珠生は舜平と会っていない。
 盆の間は一人で千葉へ帰省しなければならなかったし、残っていた夏休みの宿題を済ませなければならなかったため、夏休み後半はあっという間に時間が過ぎてしまったのである。

 妖退治がらみの用事もなく、京都は日々平和なものだった。それはつまり、舜平に連絡するための用事もないということ。

 舜平は大学生で、アルバイトもあればフットサルという趣味もある。珠生からすると、彼は何だかとても忙しそうに見えるのだ。そんな舜平を、ただちょっと会いたいからというだけの理由で呼びつけることも憚られ、珠生は舜平になんのコンタクトも取れないでいた。

「……」
「会いたくなった?」
「……べ、別にそんなことないですけど」
「あのさ……ええと……前から聴こうかなと思っててんけど、君らさ、付き合うてんの……?」
「え? つ、付き合って…………はない、けど……」
「でも、舜平のことは特別、なんや」
「……うん」
「まぁ、ふたりの関係に、いちいち名前なんかいらんわな。会いたい時は、素直に会いたいって言ったらいいんちゃう?」
「……う、うん」

 珠生は曖昧に頷いて、マカロンを一口で食べた。
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