琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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第4幕『恋煩いと、清く正しい高校生活』

16、別れの儀式

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 彰は結局、少しうとうとしただけでほとんど夜通し起きていた。
 母親の眠る棺の安置されているひんやりとした部屋の隣には、家族が過ごすための座敷の部屋がある。彰と父親は、揺れる蝋燭の炎を見つめながら、座敷でぼんやりと過ごしていた。

 告別式は十六時から予定されているが、先に身内だけでひっそりとお骨を拾うことになっていた。父親がそう希望したこともあったし、彰もそうして欲しかったからだ。
 夜が明けて、ぼうっとする頭で父の背中を眺めていると、あの日仕事から戻った時に身につけていたワイシャツを、父親がそのまま着ていることに気がついた。

「父さん……」
「……なんだ?」
「シャツ、替えなよ。そんなよれよれの格好で、母さんを見送るつもり?」
「あ、そうやな……」 
 父親はようやく自分の格好を見下ろす余裕が出来たのか、どっこらせ、と呟いて立ち上がった。父親はなんということのない中小企業に勤めるごくごく普通のサラリーマンだが、穏やかで、小さな事には頓着しないおおらかな男だった。
 母親も、父親に負けず劣らずおっとりした女性であった。そんな二人の間に、こんなにも優秀な子どもが産まれたことを、周りの人間が訝しむほどであった。

 ついでにシャワーを浴びているのか、備え付けの浴室で水を使う音がした。あとで自分も使おうと彰は思った。
 いくらかこざっぱりとして戻ってきた父を見て、彰は少し微笑む。

「やれやれ、世話が焼けるな」
「うるさいな。ほら、お前も浴びてこい」
「うん。……ねぇ、父さん」
「なんだ」
「僕のこと、気味悪いって思ったことないの? かなり変わった子どもだったと思うけど」
「え? 何言ってんだ。そんなん思ったことないわ」
「本当?」
「俺みたいなうだつの上がらないサラリーマンの子どもやのに、こんなに賢い子に育ってな……誇らしくて、仕方ないわ。外ではお前の自慢ばかりしてんねんで」
 父親は、あぐらをかいている彰の頭をがしがしと不器用に撫でた。こんな風に父に触れられるのは、一体何年ぶりだろう。

「お前は何でもできるやろ? 未来も明るい。俺はなーんにもしてへんのになぁ」
「……お寺に連れてってくれたろ? あちこちさ」
「ああ、チビのくせに寺社仏閣巡りが好きだなんて、渋いガキやなとは思ってたけど。最初に行ったのはどこやったっけ? ……ああそうだ、三歳の頃、”東本願寺に連れて行って下さい”って言うたんや。あれは可愛かった。やれアニメを見せろだおもちゃを買えだ言わへんし、親としては助かる子どもやったよ」
「あはは……そうか」
 父親とこんな話をする日が来るとは思っていなかった。彰は暖かくなってくる胸とともに、また目元が熱くなってくるのを感じていた。

「母さんもお前のこと、よく自慢してた。優しくて、賢くて……きっと素晴らしい大人になるってな」
「……そう、なんだ」
「しかもお父さんに似ず、男前だって」
「……はは、馬鹿だな」
 ぽた、と彰の目から再び涙があふれた。父親もずずっと鼻をすすって、棺の方を見やる。

「僕は、二人の子だよね……間違いなく」
「当然やろ、何を言うてんねん」
「そうだよね……」
 ぐい、と彰は涙を拭い、シャワーを浴びようと立ち上がった。

 父親が鼻を啜る音を聞きながら、彰もまた、ぐすんと鼻をすすった。


 + +


 告別式は恙無く執り行われた。
 珠生たちは、挨拶のために入口のあたりで頭を下げている制服姿の彰を遠くから眺めている。

 彰は昨日よりは顔色もよく、父親も身なりを整えていて、こざっぱりとしている。
 きちんと夏服を着た珠生、湊、亜樹と、黒いスーツを着た舜平は、帰るでもなくそこに立っていた。

「……こんなことになるなんてな」
と、舜平がポケットに手を突っ込んで彰を見つめている。背の高い舜平は、黒いスーツもよく似合っていた。

 珠生と湊は、昨日よりは多少張りのある表情をした彰を見れたことで、少しばかり安堵していた。それもこれも、葉山さんのおかげなのかな……と珠生は思った。

「君たち、来てたのね」
 喪服姿の緑川文世教諭が、珠生たちに気づいて歩み寄ってきた。彼女は生徒会の指導教諭でもあり、珠生や湊とは関わりの多い教師でもある。その後ろには、同じく喪服姿の若松太一教諭の姿もある。同じく生徒会担当の若松は、舜平の姿を見てぎょっとしたように顔を歪めた。

「あ、君は……。一体君たち、どんな知り合いなんだ」
「あぁ、先生。いつぞやは失礼しました」
 舜平は丁寧に一礼すると、若松に非礼を詫びた。
「親戚みたいなもんですよ」
と、湊が適当なことを言う。
「斎木くんはしばらく学校休むと思うから、学園祭と修学旅行の件は、君たちでしっかり進めてね」
と、緑川教諭は副会長である湊の肩をポンと叩いて、足早に去っていった。いつでもせかせかした先生なのだ。

「じゃあ俺も帰るから。……君たちも、あんまり遅くならないようにな」
 若松もそう言い残して、いそいそと緑川の後を追っていく。
 そんな太一の背中を見ていた舜平は、「小さい先生やな」と、太一のことを言った。
「世話焼きで、いい先生ですよ」
と、珠生はかばう。
「授業はおもんないけど」
と、亜樹。
「緑川のお付きみたいなもんや」
と、湊も言った。
「あ、藤原さん……」
と、珠生はこちらへ近づいてくる黒いスーツの男に気づく。いつも黒いスーツの藤原であるが、普段と違うことといえば、数珠を携えていることくらいだろうか。

「葉山に聞いたよ。なにかおかしなことがあったらしいね」
「そうなんです。今、話せますか?」
 珠生は藤原を見上げてそう尋ねた。藤原はしっかりと頷きつつ、「いつものようにホテルでいいかな。舜平くんは車?」と舜平を見る。
「はい」
「じゃあ、皆を乗せってってくれ。向こうで会おう」
「分かりました」

 きびきびとした動きで告別式会場を出ていく藤原について、皆はぞろぞろとその場を後にした。結局、彰とは今日は話せずじまいだった。
 


 + +


 珠生たちの話を聞いて、藤原修一は顎に手を当てた。考え事をするときの彼の癖だ。
「ふうん……そんな人物がね」
 グランヴィアホテルのいつもの一室で、珠生たちはソファに腰掛けて藤原と向かい合っていた。舜平はデスクに寄りかかり、腕組みをしている。

「宮内庁特別警護担当課の北陸支部からは、そういった報告は上がっていないが……念のため確認しておこう」
「よろしくお願いします」
「救急車で運ばれた男にも、誰かやって事情を聴かせるよ」
「そんなこともできるんですか?」
と、珠生が目を丸くする。
「京都府警に、私の知り合いがいるものでね」
と、藤原はにっこりと笑った。さすが、中央省庁にいると顔も広いらしい、と珠生は思った。

「直接やれば君たちの敵ではないかもしれないが、そのおかしな術……。気をつけないといけないね。それに、相手は生身の人間だ、無茶はできない」
「……やりづらかったな、確かに」
と、舜平が言う。
「陰陽道とは違った術式でしたね」
と、珠生が傷を負った腕に触れながらそう言う。
「北陸の祓い人たちは、独特な術を使うことでも有名だったからね」
 藤原は湊の入れたコーヒーを一口飲んで、息をつく。ワイシャツから、ふんわりと香の香りがした。

「また連絡するよ。君たちはもう帰りなさい」
「分かりました」
「ああ、亜樹さん。霧島の件、どうもありがとう」
 藤原は立ち上がり、亜樹に目を留めてそう言った。亜樹ははっとしたように動きを止める。
「あ、いいえ……。私は何も」
「見事な神事だったと聞いている。これからも、何かあったときは力を貸して欲しい」
「もちろんです」
「ありがたい。もう、宮尾さんには慣れたかな?」
「はい、良くしていただいてます」
と、亜樹は笑ってそう言った。藤原は安心したように微笑むと、満足げに頷く。

「何よりだ。舜平くん、帰り道も皆のこと頼んだよ」
「了解です」
 舜平はポケットからキーケースを取り出して、ちゃら、と鳴らして微笑んだ。

 
 +


 ぞろぞろとグランヴィアホテルの廊下を歩きながら、珠生は前を行く亜樹の背中を眺めつつ「天道さんも敬語使えるんだな」と、言った。
 亜樹は横顔で振り返ると、ちょっと頬を膨らます。
「当たり前やろ。うちを何やと思ってんねん」
「別に。純粋にちょっと驚いただけ」
「……ナメてんのか」
 エレベーターに乗り込みながら、亜樹は珠生に凄んでいる。珠生は素知らぬ顔で階数ボタンを押した。

「お前ら、明日も学校やろ。はよ帰って寝るんやで」
 地下駐車場に靴音を響かせながら、舜平がそう言った。スラリとした黒いスーツ姿の舜平は、まるで藤原の部下のようにも見える。そのスマートな後ろ姿に、珠生はうっとり見惚れてしまった。

「舜平かて学校やろ? あれ、進路どうなったん?」
 湊はポケットに手を突っ込んで歩きながら尋ねた。
「ああ。進学に決めた。我が家で高学歴なんは俺だけやから、両親も大喜びやったわ」
「へぇ~舜兄頭いいんや。すごい」
と、亜樹が純粋に尊敬の眼差しで舜平を見上げた。舜平は少し照れたように笑うと、「そうでもないて」と謙遜する。

「お前らの方が絶対賢いからな。名門校の学年一位と二位がここにおんねんから」
「まぁな」
と、湊。
「高校と大学はまた違うやろ」
と、亜樹。
 湊と亜樹に比べれば成績もそこそこの珠生は、苦笑するしかない。黙って三人の背中を追う。

 京都の夜道を走る車内は、しんとしていた。助手席に座った亜樹も、考え事をしているのか静かだった。

 皆、彰のことを考えているのだろう。

 次に彼が皆の前に現れるとき、一体どんな顔をしているのだろうか。あの余裕たっぷりの笑顔が、しばらくは曇っているのだろうか。

 カーラジオから静かな音楽が流れる涼しい車内。珠生は物思いにふけりながら、対向車線を走る車のライトをぼんやりと眺めた。
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