琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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第4幕『恋煩いと、清く正しい高校生活』

19、またも襲撃

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 準備は順調に行われ、文化祭まであと数日と迫っていたある日、珠生は随分と帰宅が遅くなってしまった。
 今日は健介は出張で不在であるため、食事を作らねばならないということもなく、遅くまで外装の手伝いをしていたのである。外装担当は男が多いため、珠生も大して気を遣わずに作業をすることが出来た。

 空井斗真と笹部壮太とは、球技大会以来よく話をする間柄となり、湊や吉良佳史を含めたあのチームメイトで今日は放課後遅くまで作業をしていた。
 腹が減ったと言いだした斗真の声に時計を見ると、時刻はすでに十九時を回っている。そこで、学校近くのファーストフード店で簡単な食事を取ることになったのだった。

 自転車通学の壮太と、門限の厳しい佳史は、食べ終わるとさっさと帰って行ってしまったが、珠生と湊、そして斗真は店内に残り、とりとめのない話をしていた。斗真は『結局先輩にふられたんだ』という話を淋しげにしてから、氷しか残っていないコーラをずるずるとすすっている。そんな時、三人のテーブルの横に誰かが立つ気配があった。

「沖野珠生くんやろ」
 三人がそちらを見ると、大柄な男二人と、小柄な男が一人立っていた。見るからに堅気ではない、ガラの悪い男たちである。

 珠生はその目の中に、以前と同じ気配を見た。十六夜結界にまつわる事件の際、怨霊に憑依されていた時の梨香子や、千秋の目の色に似ている。何者かに憑依され、誰かに操作されている時の人間の目だ。しかし、猿之助らの術とは比べ物にならないほど、粗雑な術。珠生は目を険しくした。

「そうですけど、何か?」
「ちょっと話あんねん、一緒に来てくれるか」
「……いいですよ」
「お、おい、沖野……!」
 斗真が怯えたような顔で珠生の腕を掴んだ。湊は座席の下で携帯を素早く操作すると、すぐに立ち上がる。

「空井、お前は帰れ。俺も行く」
「ほう? お友達も一緒か。ええよええよ。なんならそのおっきい子も一緒にどうや?」
と、小柄な男は、どろりと濁った目で斗真を見た。やたらと英語の文字の入った黒いポロシャツに、じゃらじゃらしたアクセサリー、だぼぼだぼジーンズを履いた小男のその目つきに、斗真は怯えたように息を飲んでいる。

「駄目だ、空井くんは帰れ」 
 珠生が斗真を庇うと、小男は面白そうに高笑いした。
「おーおー、威勢のいい。ま、ケチケチせんでいいやん、こいつも連れて行こうや……ここで大騒ぎしたらまずいんちゃう? 制服姿でさ」
「……」
 すでに、店員やちらほらと座っていた客が、完全に珠生らに注目している。珠生は視線を巡らせて、奥歯を噛んだ。湊が落ち着いた声を出す。

「ほんなら、早う出ようや」
「そうだね……」
「よしよし、行くで」
 へっぴり腰の斗真を、大柄な男が立たせて引きずっていく。感じの悪い男たちが、名門校の制服を着たいたいけな男子高校生を連れて店を出ていくさまは目立っており、店員たちは不安げに顔を見合わせていた。

「警察、警察呼んどこう!」
「あ、そうですね!」

 ドアが完全に閉まってから、店員たちがあたふたと電話をし始める。残っていた客たちは、その声を聞いていくらか安堵した空気になった。


 +
 

 六人は暗い夜道をぞろぞろと歩き、御池通の橋の下へと連れてこられた。平日の鴨川は人気もまばらだ。

 まるで関係のない斗真まで連れてこられてしまい、珠生はどう動こうかと思案していた。湊と話し合うことも出来ず、ズルズルとここまで来てしまった。

「……いざとなれば、忘却術がある」
 ボソリと囁く湊の声に、珠生は頷いた。
「何勝手に話してんねん、オラ」
「やめろ!」
 大柄な男が湊の顔を乱暴に平手で叩き、珠生の鋭い声が響く。
 湊の眼鏡が飛んで、眼鏡が地面を滑る乾いた音が耳に入った。忌々しそうに男を見る湊の目つきに、男はにやりと笑い、ぐいと湊の襟首を掴み上げた。もう秋だというのに半袖のシャツを着ている男の太い腕には、細かな刺青が施されており、そこから見える筋肉はかなりの質量である。

「なんや、優等生にしてはいい目つきしてるやんか」
「……こいつは憑依されてるわけじゃないみたいやな」
と、その目をじっと見据えていた湊がそう言った。小男がふっと笑う。
「よう分かったな。このデカブツ二人は、金で雇われただけのただの人間や」
「誰がデカブツや!?」
 斗真と湊を捕らえている二人の男がいきり立つ。小男は手を上げて小うるさそうにその二人の声を遮った。

「で、何の用?」
 珠生の抑えた声に、斗真が目を瞬かせている。普段学校では見せない珠生の冷ややかな目つきに、怯えているようにも見えた。
「用事があるなら、あの女が直接来ればいいだろう。なんでこう周りくどい真似を」
「あの人は我々に活躍の場を与えてくださっているのさ。……俺は、血に飢えている」
 小男は、そう言ってニヤリと笑った。ぐるぐると、男の目に貪欲な光が見えた。

「……へぇ、お前は妖か。あの女の力で、憑依させてもらってる、ってことかな」
「ふふ、魂の腐った人間の腹は心地いい。おもろいことし放題や」
 珠生の目が鋭くなる。小男との距離を一瞬で詰めて首を片手で捉えると、木で出来た橋脚に押し付けて締め上げる。
 小柄な珠生がそんな動きに出ると思っていなかった大男たちは、仰天して目を見合わせた。斗真も呆気にとられ、声も出ない。

 そんな中、小男だけがにやにやと笑ったまま、珠生を見据えていた。

「……さすが千珠どの。お強い」
「その名を呼ぶな」
 珠生がさらに小男の喉を締めあげると、男は苦しげに息を吐いた。
「珠生! あんま手荒にすんな、肉体は人間や!」
 湊の声に、珠生ははっとした。小男はにぃと笑って、声を張り上げる。

「おいお前ら! そのガキどもの手足折れ!」
「へっ……」
 その声に、斗真の顔が凍り付く。スポーツ推薦でバスケットの選手をしている斗真にとって、手足は何よりも大切なものだ。大男達はにやにやと笑いながら、やめてくれと懇願する斗真の腕を更に強くねじり上げた。

 珠生が動くより早く、湊が動いた。
 湊はさっと身を屈めて男の腕から逃れると、脚で男の脚を払い、河原に引き倒す。どう、と重い音を立てて倒れた男のみぞおちに全体重を掛けて肘鉄を食らわせると、男は醜いうめき声とともに意識を失った。

 湊が動き始めた数秒後には、珠生は斗真を捕らえているもう一人の男の背後に立ち、その腕を背中の方へとねじり上げた。

 暗がりで珠生の動きなど見えていなかった男は仰天し、手を振り回して斗真を開放する。斗真が尻餅をついている目の前で、珠生はひらりと地を蹴り、後ろ回し蹴りで大男の首元を蹴り飛ばした。
 男は二メートルほど吹っ飛んでうつ伏せに倒れ、そのまま起き上がることはなかった。

 しかしぼんやりとそれを見ているだけの小男ではなかった。呆然としている斗真の背後に回ると、その首を腕で捉え、締め上げる。

 斗真の悲鳴に、湊と珠生ははっとした。

「……眼鏡、お前も転生者やったか……」
「霊力はないけどな」
と、湊はズボンの膝を払いながら立ち上がる。珠生も湊の横に立つと、尻餅をつく斗真を捕らえている小男を見下ろした
「このガキを喰われたくなかったら、水無瀬さまに下れ」
「……お前、今この状況分かってんのか? 二対一や」
「だが、俺が今このガキの首を斬れば、しまいだ」
 男の手には、小さなナイフが握られている。それを首に押し付けられている斗真の顔は蒼白だった。今にも泣きそうな顔で、珠生を見上げている。

「……沖野」
「やれやれ。やっぱり人間相手やと面倒やなぁ」
 湊が呑気な声を出しながら、制服のジャケットから何か取り出した。小さな札だ。
「ほれ、珠生」
 湊が珠生にそれを握らせる。珠生の手のひらにあるのは、いつぞや藤原の作った幽体剥離の札だ。小男はきょとんとして、のんびりとした湊の動きを見ていた。

 珠生はそれをぎゅっと握り締めると、ふうと煙のように姿を消した。小男が目を見開く。


「何度来ても無駄だ。そろそろ腹が立ってきた」


 小男の耳元で、珠生の声がした。
 振り返る間を与えず、小男の背中に札を貼り付ける。そこから鈍い金色の光が迸り、小男が恐ろしい悲鳴を上げた。


「ぎゃぁあああ!!!」
 幽体剥離はかなりの痛みを伴う術だ。珠生は暴れ狂い始める小男の腕から斗真を突き飛ばすと、湊に向かって怒鳴った。
「逃げろ!」
「おう!」
 湊は斗真の腕をひっつかんで走りだす。斗真は訳が分からないといった表情で湊に引きずられて走りながら、何度も珠生を振り返った。

 斗真は、珠生の手に何か光るものが生まれるのを見た。それは日本刀のような形をして、彼の手の中で薄ぼんやりと光っているように見えた。

 一瞬、その光が鋭く翻ったとき、もう一度男の悲鳴が聞こえた。

 再び暗闇になった橋の下が、どんどん視界から遠ざかる。腕を掴んで走る湊の足の速さになんとかついていきながら、何でこいつはこんなに脚が速いのに弓道部なんだろうという疑問が、頭の端をかすめた。


 +


 倒れた三人の男を見下ろして、珠生はじっと辺りの気配を伺っていた。あの水無瀬という女が、またどこかから出てくるのではないかと思っていたからだ。
 しかし、辺りには何の気配もない。珠生は苛立った。
 全く関係のない斗真を巻き込まれ、湊にも軽い怪我を負わせてしまった。湊の両親は、驚いてしまうだろう。

「……くそ」

 珠生がその場から去ろうとした瞬間、眩しい光が珠生に向けられた。

「君! なにしてるんだ!!」
「……えっ」
 懐中電灯の光の向こうにいるのは、警察官の制服を着た男だった。警官は懐中電灯で倒れている男三人を照らしてから、珠生の顔をじっと見た。
「これは、どういうことだ」
「え? ……こ、これは」
「おい! 救急車!」
 橋の上にパトカーがいるらしく、辺りが赤い光りに照らされている。珠生はきょとんとして、その警察官をただ見ていることしか出来なかった。こうもしっかり顔を見られては、逃げ出すことも出来ない。

「ちょっと署まで来てもらおうか。話を聞きたい」
「え……ええ?」
「ほら、来なさい」
 珠生は警察官に腕を掴まれて、ずるずると橋の上へと歩かされた。反対側から駆け下りてくる警察官二人が、下で伸びている男の方へと駆け寄っていくのが見えた。


 ——……あれ、これ……俺が悪者みたいになってる?


 珠生はぞっとした。男たちは怪我をしているが、珠生は無傷だ。


 ——やばい……やばいってこれは……!


「あの、俺……な、何もしてません」
 珠生は慌ててそう言った。何もしていないことはないのだが、とりあえずそう言ってみた。珠生をパトカーに乗せようとしている警官が、疑わしげな目で珠生を見る。そして、はっとしたように珠生の顔をまじまじと見つめてきた。

「……あれ、君の顔……」
「え?」
「君、去年のゴールデンウイーク、御所にいた……?」
「へっ?」

 警察官の岡本洋介は、かつて御所の警備にあたっていた時に見たあの美少年が、こうして目の前にいることに驚いていた。しかし少年は岡本の顔など覚えているはずもなく、ただ青白く強張った顔をしているだけだ。


 ——間違いない、あの子だ。


 特別警戒態勢壱式という、訳の分からない警備体制で、御所の周りを封鎖したあの時。この子は堂々と御所の中に入っていった。

「いったい、君は何なんだ……?」

 パトランプに照らされた珠生の美しい顔立ちを見つめ、岡本はそう呟かずにはいられなかった。
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