琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第一幕

十三、健介の反応

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「え? 子ども……? いや、いなかったけど……」
「ほんま? 俺よりちょっと年上っぽい、男がいただろ? まだ山に残ってるのかなぁ?」


 ——子どもが残っている? 気づかなかっただけなのか……? でももしもう一人いるなら、右水と左炎が何か言いそうなもんなのにな……。


 違和感と胸騒ぎを感じつつ、珠生はさらにこう尋ねた。

「その子、どんな子なの? 話をした?」
「え? うん……ちょっとだけ。えっと、『ここは居心地がいいよね』とか『つらいことも怖いことも全部忘れて、幸せな気持ちになれるだろ?』……って言われたことはある」
「そうなんだ」
「でもなんか、こっちからは話しかけづらい感じのやつだった。たまに俺のいるところに来て、ぼそぼそ右水たちと喋ってて……またすぐいなくなったりして」
「その子は君と同じように、そこに誘い込まれた人間……だと思う?」
「うーん……どうなんだろ。ちょっと、不気味な感じではあったような気ぃするけど……顔は綺麗やった。めっちゃ色白くて、なんか……病気の人みたいに細くて」
「……」

 その少年は、誰だ。右水・左炎と、何を話していたというのだろう。
 すぐに鞍馬寺にいる舜平たちに連絡をして、その少年の行方を追ってもらおうと珠生は思った。そして可能であるならば、右水・左炎たちとももう一度話をしなくては——

 そんなことを考えている間、宗喜はじっと珠生の顔を見つめていた。自分の難しい顔が宗喜に不安を与えているのではないかと思い、珠生は慌てて笑みを浮かべる。

「まぁ、その子のことは俺たちが調べるから。宗喜くんはゆっくり身体を休めてね」
「……うん。なぁ……俺、ほんまに右水たちとまた会える?」

 宗喜はとても不安そうな表情で、じっと珠生の目を覗き込む。珠生はゆっくりと手を持ち上げ、ややぎこちない動きで宗喜の頭をゆっくりと撫でた。すると宗喜はぽっと頬を赤つつ目を瞬く。

「大丈夫。全部落ち着いたら、俺が一緒に行くよ」
「ほんと……!?」
「うん、本当。だから今は、ちゃんと身体を回復させなきゃ」
「うん……!」

 安堵したのか、宗喜の目尻にはかすかに涙が浮かんでいた。それを拳でぐいと拭うと、宗喜ははぁ……と溜息をつく。

「……なんか、ホッとしたら眠くなってきた」
「ここは安全だからね。ゆっくり眠って」
「あの……ここに、いてくれるん? ええと……名前」
「あぁ、俺は沖野珠生っていいます。名前言ってなかったね」
「沖野さん……は、ずっとここにいてくれはんの……?」
「うん、今夜はずっとここにいる。だから、安心して」
「……」

 宗喜をそっとベッドに横たえさせ、珠生は静かな声でそう言った。素直に珠生の言うことをきき、ふわりと軽い羽毛布団の中に包まれた宗喜は、ようやく少し眠たげな表情になってきている。年相応に子どもらしい表情を見つけることができると、なんだかとてもホッとした。珠生がゆっくりと頭を撫でていると、宗喜は徐々に重たげな瞬きになり、いつしかすうっと眠りに落ちた。

「……おやすみ」

 宗喜がゆるやかな寝息を立て始めてもなお、珠生はしばらく、柔らかな髪を撫で続けていた。



 +


 その二日後、ようやく珠生は自宅に帰ることができた。

 あの後、宗喜の身柄は丸太町総合病院に移送され、そこで児童相談所職員との面談となった。宗喜自身の話と珠生らが記録していた全身写真が動かぬ証拠となり、宗喜はすぐに一時保護されることになった。

 その後は警察への説明や、児童相談所職員との話し合い等の場に呼ばれることもあり、珠生は丸一日あちらこちらに出ずっぱりだったのである。

 へろへろになって事務所に戻った珠生のことを皆は労ってくれたのだが、一番顔を見たかった舜平は、鞍馬山の検分の方へと出払っていた。佐久間と敦、そして湊も舜平と行動を共にしているようで、慣れ親しんだ顔ぶれが事務所にいないことにうっすらと寂しさを感じてしまう。

 警察対応に慣れた五條は『子どもがらみの事件に関わると、色々と後が忙しいねんなぁ~。ま、がんばって!』と珠生の肩をぽんぽんと叩き、また颯爽と捜査協力へ出かけて行った。ぽってりとした肉付きのいい後ろ姿を見送っていると、その逞しさに感服させられる。


 慣れない現場で、妖への対応ではなく人間への対応にすっかりくたびれた珠生は、自宅の玄関で深い深い溜息をついた。

「はぁ……疲れた」

 見ると、玄関にはすでに健介の靴がある。腕時計を見ると、時刻は午後九時半過ぎだ。こんな時間に父親が家にいるのは珍しく、珠生はふらふらとリビングの方へと向かった。

「ああ、珠生。おかえり」

 健介が、ダイニングに座ってコンビニ弁当を食べている。ここ最近すっかり忙しくなってしまった珠生は、まともに家で料理をしていないのだ。そんな父親の姿に若干の罪悪感を覚えつつ、珠生は父の向かいの椅子を引き、その背もたれにジャケットをひっかけた。

「父さん……早いね」
「そうだなぁ、最近は珠生の方が遅いことの方が多いしね。ご飯食べて来たのかい?」
「ううん……なんか軽く作ろうかなぁ」
「珠生のぶんも買って来たから、チンして食べるといいよ」
「あぁ、ありがとう」

 冷蔵庫の中に、豚の生姜焼き定食弁当が入っている。今はもっとあっさりしたものを食べたい気分だったが、自分で作るのも億劫で、珠生はそれを電子レンジに入れ、お茶を入れた。

「すまないね……父さん、せめてカレーくらい作れるようにならないとな」
「え? いや、いいよ別に」
「お前が高校生の頃頼りきりだったからなぁ……。今度、なにか簡単なものの作り方を教えてくれる? 僕の方が早い日は、なるべく作っておくようにするから」
「……うん」

 健介には、学食で夕飯を済ませるという手もあるのだから、自分のことは気を使わなくていいのに……と思ったけれど、何だかそういう話をすることにさえ疲れを感じ、珠生はこくりと頷いた。自宅に帰って、ほっこりとした父の笑顔を見ているとやはりふわりと気が緩む。

 その時ふと、舜平の顔が目の前にちらついた。
 もし舜平と暮らしを一つにするのならば、父と過ごす時間は格段に減るだろう。その時父は、ここで一人暮らしになる。

「……父さん」
「ん?」
「あ、いや……」

 向かい合ってコンビニ弁当を食べながら、珠生は小さく目を伏せた。珠生の入れた日本茶を美味そうに飲んでいる健介の穏やかな笑み……珠生と舜平の関係を知ったら、この笑顔はどう変わっていくのだろう。

「そういえば、相田くん、何か言ってた?」
「うぐぅっ……ごほっ、ごほっ!!」

 突然舜平の話題を振られ、珠生は盛大にむせてしまった。慌ててお茶を飲み干して、その熱さにまた目を白黒させている様子を、健介があっけにとられたような顔で見つめている。

「えっ? だ、大丈夫……?」
「だ、だいじょうぶ……で、舜平さんが、なんだって?」
「このあいだのことだよ。何か話があるって言ってたろ?」
「あぁ……うん」
「何だろうなぁ……」

 舜平のことをとても気にかけている様子だが、その内容を知ったら、健介は一体どういう反応をするのだろうか。
 手塩にかけた教え子が大学院に進学してまで就いた仕事を辞め、さらには息子である珠生と同棲まで考える仲だと知ったら……。


 ——そもそも父さんって、男同士の関係とか……そういうの理解あるのかな……。これまで関心なんて抱いたこともなさそうだけど……。


 研究にばかり没頭していた父のことだから、『男同士でも恋愛が成立することがある』ということについて、考えたこともないかもしれない。


 ——ちょっとだけ、聞いてみるか。


 珠生はごほんと咳払いをし、お茶をまた一口飲んだ。
 すると、同じタイミングで口を開いた健介が、こんなことを言う。


「結婚の報告とかかなぁ? この間も、卒業生を祝ったばかりなんだ」
「ごほぉっ、ごほっ!!」
「え? た、珠生大丈夫?」
「だ、だいじょぶ……」


 ——ど、どうしよう。あながち間違いではない……。ていうか結婚ではないし、相手は俺だけど……。


と、珠生が内心冷や汗をかいていると、健介はそわそわしながらこう言った。

「相田くんもちょうどいいお年頃だしなぁ。学生時代はまるで女っ気なかったけど……」
「そ、そうなんだ……」
「そうそう。女子学生にはすごくモテてたけど、全然関心ないって顔をしていたから……なんかびっくりだな」
「じゃあ……相手が女性とは、限らないかも……よ?」
「え?」

 さりげない口調でそう言いながら、父の表情を窺った。健介は、珠生が何を言っているのか分からないといった様子で目を瞬いている。


 ——うう……これ以上、なんて言えばいいんだ。どうしよう、なんか緊張してきた……。


 自分で振っておいて何だが、いきなり核心に触れるようなことを言ってしまった自分の浅はかさに、だらだらと冷や汗が止まらない。手が冷えて、割り箸を持つ手がかすかに震える。

「それってどういうこと?」
「ええと……それは、えっと」
「女性と結婚しないなら……あ」

 ようやく珠生の言わんとすることに気づいたのか、健介がわずかに目を見開いた。そして「え……? でも、一回生の頃は女性と付き合っていたよな、確か……」と難しい顔でぶつぶつ呟き始めたのを見て、珠生は居ても立っても居られないような気分になってきた。

「いや、わ、分かんないけど……さ。最近そういう人も増えてきてるしさ……」
「そういう人ってのは、同性同士で結婚する人、ってことか?」
「そ……そうだよ。よくニュースでも見るじゃん」
「……」


 焦りをごまかすためにもりもりとしょうが焼きを頬張るも、健介の沈黙が痛い。


 ——どうしよう。俺、絶対なんか間違えてる……!! 絶対なんか下手なこと言ってるよ……!!


 しょうが焼きの味など全く分からなかった。なぜ健介は黙り込んでいるのだろう。珠生はハラハラしながらも弁当をすべて平らげ、ちらりと健介の様子を盗み見た。そして、珠生は思わずぎょっとした。 


 健介が、見たこともないような表情を浮かべている。
 眉根を寄せ、硬い目つきでテーブルを見据え、固く唇を引き結ぶその表情からは、嫌悪のようなものを感じずにはいられなかった。


「父さん……?」
「えっ……?」
「どうしたの……?」
「い、いや……。何でもないよ」

 健介は取り繕うようにぎこちない笑みを浮かべ、空っぽになった湯呑みを口元に持っていく。そして中身がないことに気づき、ガタンと椅子を引いて立ち上がった。

「父さん……? ごめん、こんな話嫌だった?」
「いっ、いや……そんなことはないよ。うん……ま、まぁ相田くんがそうとは限らないし、そういう話でもないかもしれないし」
「……」

 『そうとは限らない』という言葉に、珠生の心はずきんと痛んだ。健介はどことなく強張った顔のままキッチンに立ち、湯を沸かそうとしていたようだが、すぐにケトルをシンクに戻す。

「……ごめん、父さん先に寝るよ」
「えっ? あ……うん。大丈夫?」
「な、なにが? あっ、お風呂湧いてるから……珠生はゆっくり入りなさい」
「うん……ありがと」
「おやすみ」
「うん……」

 珠生にひきつった笑みを見せた後、健介はすっと踵を返す。その時ちらりと見えた健介の横顔は、いつもの父のそれとは思えないほどに、ひどく険しいものだった。珠生は思わず目を瞠る。


 ——父さん、どうしてそんな顔、するの……。


 何だか急に、心がずしりと重たくなった。
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