琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第二幕

序 深春と薫

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「おーい、こっちこっち!」

 深春が大きく手を振る先に、きょろきょろと不安げに周囲を見回す青年の姿がある。

 季節は春。
 桜の季節となり、京都駅の構内はいつも以上に混雑している。様々な国の観光客、初々しい学生たち、緊張の面持ちで早足に歩くビジネススーツの男女など、様々な人々が行き交っている。

「おいおい、こっちだって」
「あ……深春……!」
「おー、よく一人で来れたな、薫」
「そ、それくらいできるよ。……ていうか、久しぶり。五年ぶり、だね」
「おう! よく来たな! すぐにお前だって分かったよ」
「へへ……」

 深春はにこやかに、青年の頭を撫でている。
 くすぐったそうに目を細めるその少年の名は、水無瀬薫。
 かつて祓い人として、陰陽師衆と敵対していた一派の一人である。

 薫はこの四月から、京都の私立大学に進学することになっている。
 若い祓い人の中では抜きん出て霊力が強く、そして京都の陰陽師らにも親和性の高い薫を京都で育てるべく、藤原が便宜を図ったのだ。

 宮内庁の制圧を受け、祓い人らの生活は一変した。
 かつては薄暗い因習にがんじがらめだったその里にも、今は現代の光が差し込んでいる。


「すごい人だなぁ……何かお祭りでもあるの?」
「祭? いやいや、京都駅なんて普段からこんなもんだぜ?」
「えっ? そうなの?」
「そーだよ。ま、今は桜のシーズンだからなぁ、普段よりちょっとは多いか」
「へぇ……僕、やっていけるかなぁ……」
「だいじょーぶだって! あ、そうだ。荷物置いたら桜見物にでも連れてってやるよ」
「えっ、ほんと?」

 薫のキャリーバッグを引っ張りながら爽やかな笑みを浮かべる深春を見上げて、薫はぱっと表情を明るくした。そうしてよそ見をしていると、すぐに外国人観光客にぶつかって、「あ、ごめんなさい!」と謝っている。それを見て、深春は笑った。

「背、伸びたな。俺とそんな変わんないじゃん」
「そう? ……あ、ほんとだ。あんまり目線変わんないね」
 そう言って照れ臭そうに微笑む薫の頭を、深春はわしわしと荒っぽく撫でた。

「だからって調子乗んなよ! 宮尾家では上下関係に厳しい姐さんがいるんだからよ」
「えっ……だ、誰?」
「お前は会ったことなかったっけ? 亜樹ちゃんていう、前世がすげぇ巫女だった転生者なんだ。今は幼稚園の先生やってるけど、怒らすとすげぇ怖ぇから、礼儀にだけは気をつけろ」
「う、うん……分かった」

 薫は、天道亜樹と深春の暮らす宮尾邸で暮らすことになっているのだ。祓い人は制圧されたとはいえ、薫は、宮内庁内では今も要注意人物の一人。この大学進学話は、その監視という意味合いもある。そして、藤原が薫と接触しやすくなる、という利点もあるのだ。

 常に人材不足を抱える特別警護担当課だ。霊力に長ける薫は、貴重な戦力になる。そして、祓い人と、陰陽師との貴重な架け橋にもなりうる人材となりうる——藤原は薫にそんな期待を持っており、直々に修行をつける予定でいる。

 藤原からそんな話をすでに聞かされている深春は、ちらりと横目で薫の様子を窺った。

 当時はいたいけな中学二年生だった薫も、今は立派な大学生だ。
 背も伸びて、身長が176センチある深春とも、さほど背丈は変わらない。短く切られた黒髪は相変わらずさらりとしていて、白い肌とのコントラストがいかにも清楚だ。
 白いカッターシャツと濃いグリーンのセーターに、ベージュのチノパン(丈が若干短めである)、そして妙に存在感のあるスポーティな白いスニーカーといういでたちは、アパレル業界に身を置く深春の目から見ると、やや(いやかなり)野暮ったさが否めない。

 だが、目鼻立ちは優しげに整っており、手脚は長くすらりとしている。素材はいいようだ。深春は薫の全身をチェックし、似合いそうなブランドを脳内でピックアップしながら、混雑した京都駅構内を滑らかに歩いた。

「腹減ってない? 飯でも食う?」
「うーん……いい。人酔いしそう……」
「しょーがねーなぁ。そんなんで平気か? お前の行く大学、マンモス校だろ? 昼の学食なんて、きっと駅なんて目じゃないくらい混んでんぞ?」
「えっ……そうなの? うう……今から胃が痛い……」
「やれやれ、相変わらず気が小せーな」
「うるさいなぁ……」

 恨めしそうに深春を睨む薫の表情は不安げだが、都会での新生活を夢見てか、目はキラキラと輝いている。物珍しげにあちらこちらに視線をやり、「うわ~」「へ~」などと独りでつぶやいている姿からは、あの薄暗い祓い人の気配をまるで感じられなかった。

 五年前の、水無瀬楓真討伐の一件以来、深春と薫は折に触れて手紙を送り合う仲になった。薫がスマートフォンを手にするようになってからは、ちょくちょくLINEを送りあっていたものである。だが実際に面と向かって再会するのは、五年ぶりだ。

 勢力の中心人物・水無瀬楓真のすぐそばにいた薫は、あの事件の後しばらく、宮内庁特別警護担当課北陸支部に留め置かれ、色々と事情を聞かれる身となった。

 当時、中学二年生だった薫だが、楓真のやり口に疑問を感じていたこともあり、宮内庁への協力は積極的だった。
 これまでずっと、狭く歪んだ世界の中で成長して来た薫であるが、年若く性根が純粋であったためか、陰陽師衆らに故郷を『改変』されてゆくさまを、抵抗することなく受け入れていた……と、文通を通して深春はそう感じていた。

 だが、実際のところはどうなのだろうかと、深春は今でも思う。
 薫が慕っていた水無瀬拓人は、今も宮内庁の監視下に置かれている。今は大人しくホテルマンとして生計を立てているようだが、通信は全て傍受され、霊力を使うことがないかどうか常にモニターされている状態だ。

 そして薫も、この五年間の間、拓人と同じような状況下にあった。
 中学、高校と地元の学校に通い、勤勉かつ品行方正な姿勢を見せ続けていた薫だが、宮内庁内部では、拓人よりも薫を危険視する意見も出ているのだと聞いた。
 いつかまた、楓真のように、陰陽師衆に牙を剥くかもしれない。従順そうに見えるけれど、その腹の内は何人も窺い知ることはできない……と。

 藤原と高遠からそういった話を聞かされてはいるが、今隣にいる薫からは、不穏な気配はまるで感じ取れなかった。深春はちょっとホッとして、ふわふわ京都伊勢丹に吸い込まれそうになっている薫の腕をぐいと掴んで引き寄せた。

 ハッとした表情を浮かべる薫の頬に、さっと朱が差している。

「おい、どこ行くんだよ。こっちこっちから地下鉄乗ろうぜ」
「あ……ごめん。つい」
「観光なら、またゆっくり付き合ってやるから。服も買いに行かねーとだな。その格好はいくらなんでもダセェわ」
「ええっ……!? これ、一番おしゃれだと思って着て来たのに……」
「まじかよ……。ま、俺ら体型そんな変わんなそうだし、とりあえず俺の服貸してやっからさ。ほら、帰るぞ」
「うん……」

 すっかりしょぼんとしてしまった薫の手を引いて、深春は人ごみをすり抜けてゆく。


 やや霞みがかった青空に、桜の花弁が淡く映える、四月はじめのことである。
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