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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第二幕
十七、珠生vs藍沢
しおりを挟む宮内庁京都事務所に出向いた薫たちを出迎えたのは、紺野知弦だった。
事務所には一切のひと気がなく、そこにいるのは紺野だけである。
「あれ、他の人どこ行ったんだ?」
「みんな道場にいるんだ。久々に事務所に来た珠生くん見て、墨田さんがちょっかい出しちゃって……」
「あー……いつもの感じね」
「うん。ほら、天之尾羽張のせいで珠生くんも好戦的だからさ、『そんなに暇なら可愛がってやる』とかなんとか言っちゃって、それで道場のほうに……」
「なるほど。じゃあ今頃墨田さんボッコボコだな」
「あはは、懲りないよねえあの人も」
親しげに言葉を交わす二人の背中を見つめつつ、地下へと降りるエレベーターに乗る。『故郷が同じ』と言ってくれた深春の言葉が心強かったけれど、こうしてすっかり陰陽師衆に馴染んでいる深春の姿を目の当たりにすると、ほんのちょっとだけ、寂しいと感じてしまう。だが、そんな自分の情けなさを振り払うように、薫は軽く頭を振った。
——いかんいかん、しっかりしなきゃ!! いつまでもビクビクしてたらダメだ!! 甘えてないで、自分から馴染んでいく努力をしないと……!!
「薫? どーしたんだ?」
「えっ……?! え、いや別に?」
「二人の気が済んだら会議を始めるって高遠さんも言ってたけど、きっとみんな楽しんじゃってると思うから、薫くんも気楽に見ててね」
「あっ、はい……!」
紺野は優しい笑みを浮かべて、薫にそう声をかけた。何かにつけて、薫にも気遣いを見せてくれる紺野である。薫はしゃきっと背筋を伸ばし、紺野に向かって笑顔を返した。
そうこうしているうちに、地下にある道場に着いた。道場のほうからは、わいわいと雄々しい歓声が聞こえてくる。
「いけ!! いけ!! ぶちのめせ!!」
「おおおすげぇ!! 見たか今の蹴り!! すげぇ!!」
「はぁはぁ蹴られたい……はぁはぁ」
「きゃぁぁぁ!! 珠生くんすごい!! カッコいい!!」
女性陣の黄色い声や猛々しい男たちの声援混じって、なにやら不気味な声さえ聞こえてくる。出入り口付近に群がっている職員らの頭の向こうを覗き込むと、道着姿で組手をしている珠生の姿が見えた。
だが、珠生とやり合っているのは墨田敦ではないようで……。
「うわ、藍沢さんと珠生くん!? すげぇ、超レアじゃん!!」
「藍沢さん?」
「ああ、北陸支部のエースなんだ。あの二人、あんまり仲良くないみたいでさ~」
「へぇ……」
深春は心底楽しげにそう言うと、薫の手首を掴んで人垣を掻き分け、最前列で組手を観戦している舜平らのそばまでやってきた。墨田敦は、すでに畳の上で伸びている。
「おう、来たか」
「墨田さん、もうやられてんの?」
「ああ、もうあっさりと」
「ふーん」
「物足りひんとか言うてな、珠生が藍沢さんを挑発したんや。前からあんま折り合いようないし、まぁ拳で語り合うのもええんちゃうかって、高遠さんがハッパかけはって」
「へぇ~。てか、高遠さんて意外とノリいいんだな」
「せやな。まぁ、ちょっと騒いでからのほうが士気も上がるやろし、そういうん狙てんちゃうか。なんせ、駒形がまた出てきたんやし……」
「……えっ、マジ?」
『駒形』という聞きなれない名を小耳に挟みつつも、薫はすでに珠生の動きを目で追うこと夢中になっていた。昨日、妖を相手にした珠生の戦い方は目にしたけれど、こうして肉体のみを駆使して戦う珠生の動きは初めて見る。
まるで舞だ。
ひらりひらりと身軽に身を翻し、軽やかに地を蹴る珠生の動きは、一分の無駄もなく美しかった。
藍沢という男は長身で体格も良く、突き出す拳や蹴りはいかにも重たげでスピードもある。だが、珠生はそれらを難なく交わし、唇には冷笑すら浮かべているのだ。
「っ……ちょろちょろと……!」
相手の藍沢も流石に焦れてきているのか、動きがさらに素早くなる。目つきに鋭さが増し、表情が明らかに攻撃的なものへと変貌してゆく。それを見て、珠生はにぃっと楽しげに笑うと、今度は自ら藍沢に攻撃を仕掛け始めた。
「……っ……!!」
それまでずっと攻めの姿勢を貫いていた藍沢が、途端に防戦一方になっている。素早い突きを繰り出しながら、すでに次の攻撃に備えて足を踏み込む。突きを受け流された珠生だが、すぐさま脚を高く上げ、軸足を踏み込んで身体を捻り、回し蹴りを炸裂させた。
「ぐっ……!!」
藍沢は咄嗟に肘を下げて珠生の蹴りが胴に入らぬよう防いだが、衝撃までは殺せなかったようだ。身体をくの字に屈めて受け身を取りつつも、壁際まで弾き飛ばされてしまった。
その隙をついて珠生が一瞬で距離を詰めてゆくが、そのまま素直にやられる藍沢ではないらしい。すっと体勢を低くして珠生の拳を避けたかと思うと、突き出された珠生の腕を掴んで懐に入り込み、そのまま背負い投げの姿勢をとった。
だが、腕を取られているというのに、珠生は超反応で体勢を整え、逆に藍沢の背後を取った。藍沢の首に腕をかけて後ろに引き倒すと、ぎりぎりと締め技を掛け始めたのだ。
藍沢が苦しげに顔を歪め、珠生の腕を引き剥がそうともがいている。が、珠生は容赦無く藍沢の首を絞め上げ、両脚さえも藍沢の胴に巻きつけて離さない。
「勝負あり!! 勝者、沖野!!」
そこへ、高遠の声が響き渡る。歓声を割って道場内に響いたその声を耳にするや、珠生はすぐさま腕を解いて藍沢から離れていった。
「……ちっ……」
いかにもクールな雰囲気の藍沢だが、立ち上がりつつも悔しげに舌打ちをしている。珠生は冷静な眼差しで藍沢を見据えつつも、唇には今も静かな笑みをたたえたまま、すっと手を差し伸べた。
「ありがとうございました」
「……参りました。分かってはいたが……くそっ、強いな」
「ええまぁ。俺、半分人間じゃないんで」
「……ふっ……シャレにならないね」
二人は握手をかわしつつ、好戦的な目つきで睨み合ったままである。藍沢はすっと手を離し、「今度は陰陽術含めて手合せ願いたいですね」と言った。
「いいですよ、俺は。でも、藍沢さんて結構エグい技使うからなぁ、俺もうっかり宝刀抜いちゃうかもしれません」
「構いませんよ。まぁせいぜい、僕のエグい技で死なないように気をつけてくださいね」
「ええ、あなたも」
社会人然とした愛想のいい笑みを浮かべつつも、二人の会話にはビリビリと殺気がこもっている。はたから見ている薫としてはまるで笑える雰囲気でもないのだが、周囲で見ている陰陽師らは、ワイワイととても楽しそうである。
すると、珠生がすたすたとこちらに向かって歩いてきたではないか。薫は思わず身構えた。
といっても、珠生は薫に向かってきたのはなく、タオルを持つ舜平のもとに戻ってきただけだった。「藍沢さん、どうやった?」という舜平の問いに、「墨田さんよりは強いね」とだけ答え、受けとったタオルで軽く汗を拭っている。といっても、ほとんど汗などかいていないのだが。
「……あ」
その時、珠生と目がバッチリ合ってしまった。
ここへ来てからずっと珠生の姿を目で追っているのだから致し方のないことなのだが。
「薫……くんも見てたんだ」
「えっ、あ、はい……!! すご、かったです!!」
「……」
あせあせと落ち着かない気持ちを抱えつつも薫が勢い込んでそう言うと、珠生はちょっと表情を緩めた。そして何やら思案するように目を伏せた後、珠生は少し離れた場所にいる高遠に向かって、こんなことを言った。
「高遠さん、薫くんともやらせてください」
「えっ、今から? もう会議始めないと……」
「すみません。会議は先に始めておいてください。すぐに行きます」
「……まぁ、仕方がないな」
——珠生さんが……僕と?
高遠に追い立てられて道場を去っていく職員らも、珠生と薫の組手には興味津々の様子だ。だが、高遠は穏やかながらも有無を言わさぬ声色で「はいはい~行くよ! 十分息抜きできたでしょ~!」と言いながら、部下を追い立てている。舜平や湊も一緒になって野次馬を押し出してゆく中、道場には珠生と薫、そして深春だけが残った。
ざわざわと喧騒が引いていく中、珠生はじっと薫のことを見つめている。
「……僕とで、いいんですか?」
「ああ、構わない。一度、君とは手合せしたいと思っていたし」
「……そ、うですか」
「全力で来い。俺を妖と思って、術を使ってもいい。俺は、ちゃんと薫の力を確認しておく必要がある。分かるだろ?」
「……ええ、分かります」
昨日とは打って変わって、珠生の態度には迷いがなかった。
薫が妖の心を読むと知りつつ、組手を申し出る珠生の目つきには、一切の揺らぎもない。
薫はするりと上着を脱ぎ、白いTシャツ姿になった。
そして、珠生に向かってまっすぐに立ち、深呼吸をする。
「よろしくお願いします……!」
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