黒崎くんと佐藤さん

金魚

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第二章:再生編

​歪んだ帰巣本能

佐藤の診療所に、大学病院時代の同僚である医師が訪ねてきた。

​「佐藤、この前の症例報告の書類、預かってきたよ。……お前、最近ずいぶん顔色が良くなったな。
何か良いことでもあったか?」

​扉の向こうから聞こえる、活気のある声。

佐藤はいつもの穏やかで眉を下げた笑みを浮かべ、親しげに同僚の肩を叩いた。

​「ああ、ありがとう。
……そうかな? 毎日が充実しているだけだよ」

部屋の影、わずかに開いたドアの隙間から、黒崎はその光景をじっと見つめていた。

​(……あの人は、誰……?)

​佐藤が向ける、迷いのない信頼の眼差し。
それはこの数ヶ月、黒崎が「自分だけのもの」だと信じ始めていた、あの救いの微笑みだった。

​佐藤が自分以外の人間に向けている、屈託のない笑い。
自分には決して見せない、対等な男同士の、軽やかで乾いた友情。

その瞬間、黒崎の胸の奥で、どす黒く、粘りつくような感情が鎌首をもたげた。

​天童に徹底的に「所有物」として教育された黒崎の精神は、正常な愛し方を知らない。
彼にとっての愛とは、執着であり、束縛であり、自分だけがその人の視界を独占することだった。

​(佐藤さんは、私だけの……私を救った「ご主人様」のはずなのに……)

​佐藤が教えてくれた「対等」という言葉が、今の黒崎には呪いのように響く。

対等。

それは、佐藤が自分以外の誰とでも繋がれるということ。
自分がいなくても、佐藤の世界は完成しているということ。

​黒崎の指先が、無意識に唇に残された銀のリングをなぞった。

天童の手によって刻まれたこの痛み、この重み。
それがある限り、自分は天童だけのものだった。

激痛と引き換えに、自分は主人の世界の中心にいられた。

​(優しさなんて、いらない。
……誰にでも優しいなら、私への優しさに価値なんてない……!)

​黒崎の瞳に、かつての虚無とは違う、ぎらついた危うい光が宿る。

───佐藤に愛されたい。

けれど、その愛が「友人」としての平穏なものなら、自分はまた、その他大勢の中に埋もれてしまう。

​「……っ、ああ……」

​黒崎は自分の腕を強く抱きしめ、爪が食い込むほど力を込めた。

佐藤が自分だけを見てくれるなら、またあの台座に戻ってもいい。
また銀を打ち込まれてもいい。
……いや、いっそ佐藤の手で、自分をめちゃくちゃに汚して、壊して、自分なしではいられないほど、佐藤の「罪」になってしまいたい。



​「ただいま、黒崎くん」

​同僚を見送り、佐藤が部屋に戻ってきた。

その表情は相変わらず優しく、黒崎を気遣うもの。

​「待たせてすまないね、黒崎くん。
……おや、どうしたんだい? 顔色が悪いけれど……」

​佐藤が心配そうに手を伸ばした瞬間。

黒崎は教え込まれた通りの動作で、佐藤の足元へ音もなく膝をついた。

​「……佐藤様。

……いえ、佐藤さん」

​黒崎は佐藤の裾を掴み、潤んだ瞳で下から見上げる。
その表情は、先ほどまでの「人間としての再生」を望む青年ではなく、主人の関心を惹くためなら何でも差し出す、かつての「愛玩物」のそれに戻っていた。

​「……さっきの人と、何を……。……私だけを、見てください。

私を、……もっと、痛くしてもいいんですよ……?」

​佐藤の手を自分の首筋、ガーゼの貼られた鎖骨へと導く黒崎。

その歪んだ独占欲に、佐藤は戦慄を覚える。

黒崎の魂を支配していた「天童の影」は、まだ完全に消えてなどいなかったのだ。

​黒崎の中に芽生えた、佐藤への異常な執着。

佐藤は、自分の裾を掴み、縋るような瞳で見上げてくる黒崎の姿に、胸を刺されるような痛みを覚えた。

その瞳に宿っているのは、信頼ではなく、相手を支配者に仕立て上げることでしか自分を定義できない、悲しい「奴隷の習性」だった。
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