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序章>はじめに

Log.1 悪夢

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 蝉の声が聞こえる。

 どこにでもありそうな日本の道路沿いに、並ぶ桜の木。そのうちの1本に留まっているアブラゼミが元気に鳴いている。

 そのすぐ側には、ある一軒家の窓があった。

 蝉の鳴き声は五月蝿く部屋の中まで響いている。その窓は開いていて、網戸越しに夏の青い風が内側のレースのカーテンを揺らす。

 そこにうっすら透けて見えたのは、小さな男の子の姿。

 見た感じはプレイルームと思われるその部屋。そこに貼られたカレンダーは、八月のページを開いていた。

 沢山の散らかったおもちゃの中で、黙々と積み木を積み上げる男の子。しかし彼の身長くらいまでいったところでバランスが崩れ、ガシャンと大きな音がたつ。

 彼が膨れていると、どこからか男の短い悲鳴が聞こえてきた。

 パパ?

 男の子は不思議そうな顔でそう呟いて部屋を出る。

 小さく軋む廊下を歩いて、ずっしりとした重い扉の前まで来ると、彼はその開きかけの戸の隙間から中を覗いた。

 どうしたの?……パ……?

 その部屋は書斎のようで、いくつもの本棚と頑丈そうなデスクがある。その真ん中で、白衣を着た彼の父親らしき男が倒れている。

 ただ男の子が口をつぐんだのは、そこにいるはずのないもう一人がいたからだった。

 ……だれ?

 恐る恐る尋ねる男の子。それもそのはず。そのもう一人というのは、死神のような黒塗りのフードマントをかぶり、背が高く、とてつもなく大きく見えて、それは彼の恐怖心を煽ったのだ。

 その時、もう一つの生き物が彼の目にとまった。

 ちょうちょ……?

 青白く光る蝶が父親の白衣の裾から現れ、フードをかぶった謎の人物の周りをひらひら飛び回る。そのフード男が細長く伸びる人差し指を出すと、蝶はその指にゆっくり留まる。

 優雅に美しく羽を広げる蝶は、真っ黒なフードの陰湿さをより一層際立てていた。

 男の子が怖さのあまり動けなくなっていると、フード男がゆっくりと振り向く。部屋の入り口にいる男の子からは顔がよく見えないが、不気味な笑みだけは確認出来た。

 …………っっ!!

 男の子は目を閉じられなくなっていた。

 一歩、また一歩と、フード男は近づいてくる。

 いつの間にか蝶は消えてしまっていた。

 フードの影に隠れたその顔がまさに見えるというその時になる。

 蝉時雨が聞こえてくる。

 段々と景色が惚けていく。

 男の子は困惑の表情に顔を歪める。

 そしてぎゅっと目をつぶった。

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