百魔の魔法士の伝説

紳士

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第10話

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暗闇。

一筋の光すら届かない暗闇の中。

夥しい数の魔物達が押し寄せてくる。

顔を陥没させ潰れた目玉を垂らすゴブリン。

首を失いヨロヨロと千鳥足で歩くコボルト。

顔面に大穴を開け、崩れた顔で憎らしげに睨み付けてくるグレムリン。

光の射さない暗闇にもかかわらず、マコトにはそれらの全てが見えていた。

血塗れの身体で這うように近寄ってくる魔物達。

恐怖のあまり逃げ出そうとするが、何故かマコトの足は石のように固まってしまっていた。

ゴブリンのナイフが。

コボルトの牙が。

グレムリンの槍が。

近付く。近付く。近付く。

怨敵を殺す為に。

受けた屈辱を晴らす為に。

憎悪が集い、形を成す。

マコトの目には、魔物の軍勢が地獄からの使者、あるいは無慈悲な死神のように見えていた。

虚ろな眼窩を覗かせたゴブリンがマコトの眼前にたどり着く。

ゴブリンは見えていないはずの目を歪め、醜悪な笑みを浮かべた。

マコトは逃げる事も、戦う事もできなかった。

ーーーあぁ、これは報いだ。

迫りくる錆びだらけの汚いナイフを眺めながら、マコトは思った。

魔物を殺した。

ただそれだけのことだ。

だが魔物も生物だ。

生物を殺してしまった。

虫を殺しても何とも思わないマコトが、魔物を殺した事を"罪"だと思ってしまった。

他の誰でもないマコトが、そう感じてしまったのだ。

魔物が人の形を取っていたからか。

血の通った生き物であったからか。

忘れていたはずの、考えないようにしていたはずの考えが甦り、マコトは嘔吐し、涙を流した。

撒き散らされた吐瀉物がゴブリンにかかるが、ゴブリンは気にした様子も見せず、逆手に持ったナイフを振り下ろした。

マコトの下腹部にナイフが刺さり、強烈な痛みがマコトを襲う。

魔物達の怨嗟それ自体が、痛みを伴って内部に入ってくるような気がした。

苦悶の表情を浮かべ身を捩る。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

声を上げる事もできず、マコトは心中でただひたすらに謝っていた。

しかし魔物達は止まる気配も見せず、マコトの身体を蹂躙した。





「ーーーーーやめてくれっ!!!」

勢いよく身体を捩りながら、そう叫んだ。

と同時に、マコトはベッドの下へと落ちた。

「がっ………いっつぅ……………」

顔面を強かに打ち付けたマコトは鼻を擦りながら立ち上がる。

キョロキョロと周りを見る。

宿屋の借り部屋であった。

「…………夢、か。」

寝ぼけた頭を振り、脳を覚醒させる。

昨夜、クレイグの誘いで娼館へ行ったマコトは朝帰りをしていた。

リカバリーとヒールをフル活用し、朝まで娼婦のリサとノンストップで燃え上がったのだ。

経験豊富なリサも流石に疲れきって最後は気を失ってしまった。

ちょっと乱暴にしすぎたか、と後悔しつつも支配人に挨拶をして娼館を後にしたマコトは、宿屋に戻ってきてすぐにベッドで深い眠りについた。

窓から外を見れば、太陽は空高く上っており時刻は昼を過ぎているようであった。

マコトはクリアウォーターで水を飲むと、ベッドに横たわり、溜め息をこぼした。

「………何を後悔しているんだ、俺は。」

覚悟を決めたはずの自分があのような悪夢を見た事に、やるせない気持ちを抱いていた。

夢で見た光景が頭の中を駆け巡る。

「俺は、探索者だ。魔物を殺す、探索者なんだ。」

目を閉じ、自分に言い聞かせるように繰り返しそう呟いた。

数分ほどそうして心を落ち着かせたマコトは、ベッドから降り立った。

「よし、風呂に入ろう。」

娼館でシャワーは浴びたが、悪夢のせいで冷や汗をかいていたマコトは、まだ明るい時間であるが大衆浴場へ行く事にした。





昼間の大衆浴場は、夕方ほどではないがそれなりに人がいた。

マコトは受付を済ませ、脱衣所で服を脱ぎ、袋に入れて棚に置いた。

タオル代わりの布を持って浴場へ入る。

先にシャワーを浴びて汚れを落としながら自分の身体にクリーンアップをかけ、綺麗にした。

大きな浴槽に入り、深い溜め息を吐いたところで、後ろから声をかけられた。

「よぉ、昨日ぶりだな。お前も来てたのか。」

振り替えると、にやりと笑みを浮かべたクレイグがいた。

何の断りもなくマコトの隣に入ってくる。

「クレイグさん、こんにちは。昨日はありがとうございました。」

「おう、気にすんなよ。随分と楽しんだらしいじゃねぇか?」

「はい、お陰様で久し振りに良い思いできました。」

「はっはっは、そりゃ良かった!俺は朝まで寝てお前より後に出たんだが、支配人が言ってたぜ。お前の相手した娼婦は今日は働けそうにないってよ。」

からかうように笑うクレイグに、マコトは申し訳なさそうな顔をした。

「久々だったので、つい………悪いことしてしまいましたね。」

「いや、支配人も感心してたぜ。うちの娼婦に勝つなんて………ってな。」

「勝ち負けではないような気がしますが。」

「まぁ、細かい事はどうでも良いんだよ。生きて帰ってきたら旨いもん食って酒飲んで、女を抱いてまた迷宮に挑む。それが探索者ってもんだろ。」

「………そう、ですね。」

クレイグの言葉にやや俯き、顔を暗くするマコト。

「どうした、何かあったのか?」

「いえ、そういう訳じゃないんですが………」

マコトの様子に心配するクレイグだが、マコトは首を振って否定した。

しかし、クレイグはそれでも追及した。

「いいから話してみろ。弟子の悩みを聞くのも師匠の務めだ。」

どや顔のような笑みを浮かべるクレイグに、マコトは苦笑しつつも話すことにした。

「そう、ですね。………では師匠、私の話を聞いてくれますか?」

「おう、言ってみな。」

胸を張って答えるクレイグに、マコトは滔々と語り始めた。





最後まで口を挟まず聞いた後に、クレイグは口を開いた。

「お前は探索者になった事を後悔しているのか?」

「いえ、後悔はしていません。本当です。私には他にできる事もツテも知識もありませんでしたから。」

「そうか。」

「魔物を殺す覚悟だってしていたんです。……していたつもりでした。でも、彼らの死ぬ寸前の怯えた表情や、痛みに顔を歪めたりしてるのを見ると…………。」

「お前、そんなのわかるのか?」

クレイグが少し驚いたように目を見開いた。

「はい。私の目は、普通より良いですから。」

天眼は見たくないものすら見せてしまう事がある。

この場合がそうだった。

普通は魔物の表情の変化など、よほど見慣れないとわかるものではない。

だが天眼を持つマコトには見えてしまう。

故に、人より強い罪悪感、嫌悪感を抱いてしまう結果となっていた。

「そうか………まぁ、だとしたら確かにきついかもしれねぇなぁ。」

クレイグはマコトの気持ちを慮るように言葉にした。

「この程度で弱音を吐くなんて、って思いますか?」

「いや、そうは思わねぇよ。戦うのが怖いってんならまだしも、感情を持つ生き物を殺すのが怖いってのは、俺にも経験があるしな。」

「え、クレイグさんも?」

「俺の場合は魔物じゃなく、人間だったけどな。」

「に、人間を?」

クレイグが人を殺した事があると聞いて驚愕する。

「殺したくて殺した訳じゃねぇさ。昔は探索者として色んな街の迷宮に潜る為に旅してた事もあってな。街の外には盗賊共がいる。命を狙われたら、反撃しない訳にはいかねぇ。」

「盗賊……ですか。」

マコトは盗賊について『街の外を移動する上で注意すべきこと10選』という本で読んだ事があった。

飢餓のせいで村を追い出された元農民や、迷宮で活動できなくなった元探索者などが、街の外で盗賊になる事が度々あるようだ。

「初めて盗賊を殺したのは俺がまだ21の時だった。戦ってる時は必死だったが、いざやってしまえば身体が震えて、腰抜かして吐いたもんだぜ。」

「………想像できませんね。」

「はっはっ、まぁ俺にもそんな時代があったってことだな。お前は何も、間違ってねぇよ。」

「………ですかね。」

「あぁ、お前は間違ってねぇ。感情を持たねぇ生き物、理解できねぇ奴を殺すのは簡単なんだ。そこに生命いのちがあるって想像できねぇからな。」

虫を殺しても何も思わないのはその為だ。

一寸の虫にも五分の魂とは言うが、それを真に想像できる人間がどれほどいるだろうか。

「だが、そうじゃねぇ生き物を殺すのには勇気と理由がいる。勇気を持たねぇ奴は殺せねぇ。理由を持たねぇ奴はただの屑だ。」

「勇気と理由、ですか。」

「勇気と言っても色々だがな。そいつの命を背負う勇気。憎しみを受け止める勇気。自分もやられるかもしれねぇという覚悟を持つ勇気。色々ある。」

「………なるほど。」

自分にその勇気があるだろうか、マコトは考えた。

「お前には理由がある。探索者だから魔物を倒す。今の世の中、大抵の道具には魔石が使われてる。その魔石を供給するのは探索者の仕事だ。その為に魔物を殺すんだ。」

「そしてその道を進むには、それ相応の勇気がいる……って事ですね?」

「その通りだ。お前はどうだ?感情があるとわかってなお、魔物を一方的に殺す勇気がお前にあるか?」

「私は……………」

マコトは知ってしまった。

魔物も恐れ、怒り、生にしがみつく意思を持つ事を。

そんな生き物を殺す事を正当化するつもりはない。

倫理的に正しい事ではないのかもしれない。

その答えをマコトは持ち合わせていない。

だが。

マコトは探索者だ。

魔物を殺す事しかできない。

そしておそらく、自分は周りの人以上に魔物を多く殺す事ができるようになる。

そうなるだけの力は与えられている。

神は言った。

自由に生きろと。

醜悪な魔物にも感情があり、理性がある。

彼らの命を奪う事は、彼らにとっては悪魔の所業だ。

それでも。

「それでも私は…………探索者ですから。」

人間らしい自己満足的で自分勝手な答え。

しかしそれは、マコトが自分で考え、悩んで見つけた答えだった。

「そうか…………それでこそ俺の弟子だ。」

優しい瞳で柔らかく笑ったクレイグは、マコトの肩に手を置いた。
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