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第5話「追いかけて」

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 橋川さんは高校を卒業するまでは、山岸郁人だった。
 そして、その名前は私の過去の恋人だった人の名前で。
 郁人って名前はそこまでは珍しくないから、今まで下の名前のことは気にしてなかったけど。
 だけど、もしかしたら、橋川さんは私が高校生だった時につきあっていた山岸くん?
 私の知っている山岸くんは、今の橋川さんみたいに背は高くなくて、顔もあどけなかったけど。
 でも、私の知っている山岸くんも確かにあどけない顔はしていたけど、今の橋川さんみたいに整った顔立ちはしていた。
 そう。つきあっていた時もいい顔立ちしてるなとは思っていて、将来、大人になった時にかなり整った顔になるんじゃないかなと思ったりもしていた。
 声は私の知っている山岸くんよりも、かなり低いけど、それは声変わりしたからかもで。
 もし、橋川さんが私の知っている山岸くんだったとしたら、橋川さんと最初に会った時から、ずっと何処かで会ったような気がしていたのも、食堂で橋川さんが言った、『嘘つき』という言葉に胸が締めつけられそうになったのも、私の知っている山岸くんだったとしたら、今までの私の橋川さんへの感情に全部、説明がつく。
 私がそう思って橋川さんを見ていると、
「悪い。今、家から連絡来て、急用ができたから、俺、先に帰らせてもらうわ。会費は先に払ってるし、大丈夫だよな?」
 席から立ち上がり、この親睦会の幹事の田辺拓夢の方を向いて言った。
「え? そうなの? うん、会費はちゃんと貰ってるから、いいぜ。あまり話せなかったのは残念だけど、今日は来てくれてありがとうな。お疲れ様」
 田辺さんが言った。
 田辺さんは今、調達課で研修中だけど、いずれは私と同じ営業部に所属する予定だ。
「こっちこそ、先に帰って悪いな。じゃあ、お先」
 橋川さんはそう言いこの場から去ってしまった。
 その後、私もすぐに立ち上がり、
「田辺さん、ごめんなさいっ! 実は私も急用ができて、もう帰らなくいけなくなって」
 そう言った。
「え? 戸田さんも? まあ、急用できたなら、仕方ないよな。戸田さんも会費もう貰ってるからこのまま帰ってくれていいよ」
 田辺さんが言った。
「うん、本当にごめんね。有希もごめん」
 田辺さんにそう言った後、隣の席の有希に言った。
「ううん、大丈夫。それより、この間のこともあるし、気をつけて帰るんだよ」
 有希が言った。
「うん、ありがとう。じゃあ、お先に失礼します」
 そう言い私もその場を去った。
 
 だけど、本当は私に急用なんてなかった。
 できることなら、先に帰ってしまった橋川さんを追いかけて、橋川さんが私の知っている山岸さんなのかを本人に聞きたかったから、皆には急用ができたと嘘をついて、あの場から去った。
 そして、店から出ると少し先に橋川さんの姿が見えたので、私は慌てて走って、橋川さんを追いかけた。
 何とか追いついた私は後ろから、
「橋川さんっ!」
 と声をかけた。
 すると橋川さんは立ち止まり、後ろを振り向き、私を見て、驚いた表情をした。
 だけど、すぐに無表情になって、
「何か用?」
 といつもの冷たい声と口調で言った。
 いつもなら、この冷たい声と口調に怯んでしまう私だけど、今はそれよりも、どうしても確かめたいことがあったから、気にはならなかった。
 だから、私は、
「急用があるのに呼び止めてごめんなさい。だけど、どうしても橋川さんに聞きたいことがあって。橋川さん、あなたはもしかして、高校生だった時に私の恋人だった、山岸郁人くんなの?」
 そう聞いた。
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