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素敵な衝撃
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その美しく儚い寝顔に、僕は物語を描いてしまった。
切なく目覚めるのではなく、心地よく目覚めるまで、彼女を寝かせてあげたい⋯⋯
人知れず小説家を目指していた僕は、遊園地内のカフェでアルバイトをしながら過ごしていた。
彼女を見たのは、バイトを始めてから四年目の夏。
その頃の僕は、慣れと諦めに囲まれ、“怠惰”という言葉がとても似合った。
こんな生活やめてやる、というようなモチベーションも消え、毎日何かしらは絶対に書くぞ、という決意も続かずにいたのだ。
そもそも自分が書きたい事とは何だったのか、という疑問さえ浮かび、浮んだからと言ってその何かを必死に探そうともしなかった。
でも、そのくせに。
努力もしていないくせに、こっそり希望だけは捨てずにいた。
もしも僕が、このまま生きていけるのなら。
僕はこのままだって別にいい。
だけど、素敵な何かが僕を待っているのなら。
僕は、これまでの“怠惰”がまるで存在しなかったかのように振る舞い、素敵な何かの為に生きられるはず⋯⋯
そして、必死に隠した“怠惰”を裏では憐れみ、こっそりと素敵な何かを見せてあげるんだ。
怠惰という君は、この素敵な何かに救われたんだよと、教えてあげよう。
怠惰は寂しがりながらも、自分の命の終わりを喜ぶ。
怠惰の終わりが僕の幸せだと知っていたからだ。
そんな素敵な何かが、彼女だった。
カフェの窓際に座った彼女は悲しい顔で、外の景色を眺める事と、スマホの画面を確認する事を繰り返した。
飲み物はほんの数口飲んだだけで、その後は存在すら忘れてしまったようだった。
彼女は明らかに、カフェでくつろいでいるようには見えない。
他の誰もが休みながら、緊張感など全くないように見えるのに、彼女だけは緊張感を漂わせながら存在し続けた。
戸惑い、焦り、そして悲しみ⋯⋯
早くここから出られる未来を夢見るような⋯⋯
切迫した感じもあったし、何かに祈るような雰囲気もあった。
しばらくして彼女は、そんな忙しない感情の末に⋯⋯
忙しない感情が、敢えて彼女をそうさせたかのように⋯⋯
突然何かの糸が切れたかのように⋯⋯
体から力が抜け、それなのに優雅に、眠りについた。
あっ、と僕はつい声を出してしまう。
もちろん、僕にしか聞こえない小さな声で。
突然過ぎた彼女の眠りが、本当にただの眠りなのか、心配になったからだ。
でも彼女は一度だけ薄く目を開け、優しく、そして可哀想に微笑んだ。
程よい室温と、程よく聞こえるクラシック音楽に、彼女は夢の世界へと誘われたのだ。
僕は彼女のコップに水を入れるふりをして、彼女の呼吸を確かめに行った。
眠りだともう分かっていたけれど、使える言い訳を見つけたずるい僕は、彼女にそっと近づいたのだ。
彼女のゆっくりと上下する肩、さっきまでの緊張感から逃れた寝顔を見て、妙な安心感を得た。
そんな事を何度か繰り返した。
安心感は次第に、違う感情へと変わっていく。
僕は今すぐ、全ての音を遮断し、彼女だけを見つめていたいと思った。
僕の中で生まれた感情を物語にしたい。
そんな衝動に駆られる。
だからと言って、理性を失うような衝動ではない。
それは、とても素敵な衝撃だった。
ついに、こっそりと捨てずにいた希望が叶う時が来たのだ。
恋かと聞かれれば恋だと答えるし、愛かと聞かれれば愛だと答える。
そんなの恋じゃないと言われればそれを認めるし、そんなの愛じゃないと言われればそれを認める。
彼女を見て感じた気持ちは、何か一つと断言できるものではなかった。
彼女との出会いは僕の創作意欲となり、僕が小説家の夢を諦めない為の動機になる。
幾つにも枝分かれして、どこまでも飛べる想像の翼を与えてくれる存在。
彼女が同じ世界に生きているという真実だけで、生きていけるような。
ついに、素敵な何か⋯⋯
素敵な衝撃に出会えたのだ。
眠る前の彼女が、何を求めていたのかを想像した。
何をそんなに焦り、何を祈っていたのか。
そして⋯⋯
彼女が誰を待っていたのかを想像した。
その相手は、どんな顔の、どんな姿の、どんな声の人なのか。
何という名前の、何歳の、何の肩書きを持つ人なのか。
どんな声で、彼女の名前を呼ぶのだろうか。
僕の中で、物語が続く。
彼女の本当の事なんて何も知らない僕が、それでも知った気になって、物語を描く。
あの可哀想な微笑みを、一生忘れられないだろう。
「ちょっと長いね。起こしに行ってくれる?」
先輩に頼まれ、僕は仕方なく彼女を現実の世界へと連れ戻す事になった。
彼女は連れ戻された現実に、何を感じるのだろう。
僕はまたそんな事を想像しながら、彼女にしか聞こえない声が存在するかのような丁寧さで、声を掛けた。
「お客様、大丈夫でしょうか?」
ゆっくりと目を開けた彼女は、こう言ったのだ。
「先生?」
僕は、簡単に想像できてしまいそうなその肩書きに、分かりやすく胸の痛みを覚えた。
「大丈夫ですか?」
心から、本当に、その言葉を掛けた。
本気で誰かに、大丈夫なのかを教えて欲しかったのは、人生で初めてだったかも知れない。
「大丈夫です。すみませんでした」
彼女は少しぼんやりとした後、期待と不安の両方をその目に宿した。
僕は、
「いいえ⋯⋯失礼します」
と、名残惜しくその場を去る。
僕がその名残惜しさから、ほんの一瞬、彼女を振り返った時。
彼女はスマホを確認し、僕だけではなく、他の誰かが見ても分かるような落胆を、体全体に滲ませた。
悲しみが伝染していく。
声を掛けたかった。
もう一度、大丈夫ですか? と聞いてみたかった。
でも僕は、何も知らない方がいい。
知ってしまった事も、まるで知らない事かのように錯覚していた方がいい。
だって彼女は僕にとって、創作意欲で、素敵な衝撃だから。
名前の知らない、いつかの幻となり、憧れの対象として僕の中だけに生き続けるのだ。
実像の彼女、さようなら。
その美しく儚い寝顔に僕は、物語を描いてしまったから⋯⋯
必ず書き上げてみせる。
虚像となった彼女は僕にとって永遠の、素敵な衝撃だ。
切なく目覚めるのではなく、心地よく目覚めるまで、彼女を寝かせてあげたい⋯⋯
人知れず小説家を目指していた僕は、遊園地内のカフェでアルバイトをしながら過ごしていた。
彼女を見たのは、バイトを始めてから四年目の夏。
その頃の僕は、慣れと諦めに囲まれ、“怠惰”という言葉がとても似合った。
こんな生活やめてやる、というようなモチベーションも消え、毎日何かしらは絶対に書くぞ、という決意も続かずにいたのだ。
そもそも自分が書きたい事とは何だったのか、という疑問さえ浮かび、浮んだからと言ってその何かを必死に探そうともしなかった。
でも、そのくせに。
努力もしていないくせに、こっそり希望だけは捨てずにいた。
もしも僕が、このまま生きていけるのなら。
僕はこのままだって別にいい。
だけど、素敵な何かが僕を待っているのなら。
僕は、これまでの“怠惰”がまるで存在しなかったかのように振る舞い、素敵な何かの為に生きられるはず⋯⋯
そして、必死に隠した“怠惰”を裏では憐れみ、こっそりと素敵な何かを見せてあげるんだ。
怠惰という君は、この素敵な何かに救われたんだよと、教えてあげよう。
怠惰は寂しがりながらも、自分の命の終わりを喜ぶ。
怠惰の終わりが僕の幸せだと知っていたからだ。
そんな素敵な何かが、彼女だった。
カフェの窓際に座った彼女は悲しい顔で、外の景色を眺める事と、スマホの画面を確認する事を繰り返した。
飲み物はほんの数口飲んだだけで、その後は存在すら忘れてしまったようだった。
彼女は明らかに、カフェでくつろいでいるようには見えない。
他の誰もが休みながら、緊張感など全くないように見えるのに、彼女だけは緊張感を漂わせながら存在し続けた。
戸惑い、焦り、そして悲しみ⋯⋯
早くここから出られる未来を夢見るような⋯⋯
切迫した感じもあったし、何かに祈るような雰囲気もあった。
しばらくして彼女は、そんな忙しない感情の末に⋯⋯
忙しない感情が、敢えて彼女をそうさせたかのように⋯⋯
突然何かの糸が切れたかのように⋯⋯
体から力が抜け、それなのに優雅に、眠りについた。
あっ、と僕はつい声を出してしまう。
もちろん、僕にしか聞こえない小さな声で。
突然過ぎた彼女の眠りが、本当にただの眠りなのか、心配になったからだ。
でも彼女は一度だけ薄く目を開け、優しく、そして可哀想に微笑んだ。
程よい室温と、程よく聞こえるクラシック音楽に、彼女は夢の世界へと誘われたのだ。
僕は彼女のコップに水を入れるふりをして、彼女の呼吸を確かめに行った。
眠りだともう分かっていたけれど、使える言い訳を見つけたずるい僕は、彼女にそっと近づいたのだ。
彼女のゆっくりと上下する肩、さっきまでの緊張感から逃れた寝顔を見て、妙な安心感を得た。
そんな事を何度か繰り返した。
安心感は次第に、違う感情へと変わっていく。
僕は今すぐ、全ての音を遮断し、彼女だけを見つめていたいと思った。
僕の中で生まれた感情を物語にしたい。
そんな衝動に駆られる。
だからと言って、理性を失うような衝動ではない。
それは、とても素敵な衝撃だった。
ついに、こっそりと捨てずにいた希望が叶う時が来たのだ。
恋かと聞かれれば恋だと答えるし、愛かと聞かれれば愛だと答える。
そんなの恋じゃないと言われればそれを認めるし、そんなの愛じゃないと言われればそれを認める。
彼女を見て感じた気持ちは、何か一つと断言できるものではなかった。
彼女との出会いは僕の創作意欲となり、僕が小説家の夢を諦めない為の動機になる。
幾つにも枝分かれして、どこまでも飛べる想像の翼を与えてくれる存在。
彼女が同じ世界に生きているという真実だけで、生きていけるような。
ついに、素敵な何か⋯⋯
素敵な衝撃に出会えたのだ。
眠る前の彼女が、何を求めていたのかを想像した。
何をそんなに焦り、何を祈っていたのか。
そして⋯⋯
彼女が誰を待っていたのかを想像した。
その相手は、どんな顔の、どんな姿の、どんな声の人なのか。
何という名前の、何歳の、何の肩書きを持つ人なのか。
どんな声で、彼女の名前を呼ぶのだろうか。
僕の中で、物語が続く。
彼女の本当の事なんて何も知らない僕が、それでも知った気になって、物語を描く。
あの可哀想な微笑みを、一生忘れられないだろう。
「ちょっと長いね。起こしに行ってくれる?」
先輩に頼まれ、僕は仕方なく彼女を現実の世界へと連れ戻す事になった。
彼女は連れ戻された現実に、何を感じるのだろう。
僕はまたそんな事を想像しながら、彼女にしか聞こえない声が存在するかのような丁寧さで、声を掛けた。
「お客様、大丈夫でしょうか?」
ゆっくりと目を開けた彼女は、こう言ったのだ。
「先生?」
僕は、簡単に想像できてしまいそうなその肩書きに、分かりやすく胸の痛みを覚えた。
「大丈夫ですか?」
心から、本当に、その言葉を掛けた。
本気で誰かに、大丈夫なのかを教えて欲しかったのは、人生で初めてだったかも知れない。
「大丈夫です。すみませんでした」
彼女は少しぼんやりとした後、期待と不安の両方をその目に宿した。
僕は、
「いいえ⋯⋯失礼します」
と、名残惜しくその場を去る。
僕がその名残惜しさから、ほんの一瞬、彼女を振り返った時。
彼女はスマホを確認し、僕だけではなく、他の誰かが見ても分かるような落胆を、体全体に滲ませた。
悲しみが伝染していく。
声を掛けたかった。
もう一度、大丈夫ですか? と聞いてみたかった。
でも僕は、何も知らない方がいい。
知ってしまった事も、まるで知らない事かのように錯覚していた方がいい。
だって彼女は僕にとって、創作意欲で、素敵な衝撃だから。
名前の知らない、いつかの幻となり、憧れの対象として僕の中だけに生き続けるのだ。
実像の彼女、さようなら。
その美しく儚い寝顔に僕は、物語を描いてしまったから⋯⋯
必ず書き上げてみせる。
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