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君は秘密が好きだった

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 君が歌のテストの話をしてくれたのは、僕らがちゃんと知り合ってから半年くらい過ぎた頃だ。
僕らは馴染み、例の喫茶店でしょっちゅう会うようになっていた。

 君は中学時代、それなりに人気者だったらしい。
本人が言う事で、証拠も何もないから信じて良いのか分からないけれど、とにかくそうだったらしい。
友達もそれなりにいて、今よりも充実していたとか。
 ちなみに今、高校に行ってからはどちらかというと、クラスで浮いている方で、浮いている者三人で集まっているらしい。
僕らは他校だから、これも証拠も何もないから信じて良いのか分からない。
僕からすると、中学の君の方がイメージに合っているからだ。
君がクラスで浮いている?
こんなに堂々としていて、自分を持っていていて、話すのが上手な人が浮いている?
ん?
そっか。
そういう事か。
クラスという集団の中では、堂々とし過ぎているのも、自分を持ち過ぎているのも逆効果なのかもしれない。
それらの要素が僕にとっては全部良かった。
もちろん、NO NAMEな関係として。

 話は戻って、君の中学一年、音楽の授業での出来事について。
歌のテストという、そのワードを聞いただけで僕も緊張してしまう。
得意な人の方が少ないはずだ。

 君はその出来事を話す時、こう言った。
とびっきりの笑顔で。
あ、場所はもちろんあの喫茶店。

「私、歌うの大好きなの」

「へえ。今度、聞かせてよ」

「うーん。うん。いいよ」

まだ笑顔だ。

「じゃあカラオケでも行く?」

「うーん」

君の表情が少し曇った。
僕らはその当時、喫茶店以外で会った事がまだなくて、君はそれが気がかりなのかと思った。

沈黙。

君と知り合ってから半年経っていたその時の僕は、沈黙にも慣れていたから、待つ事にした。

「ねえ、ちょっと来て」

君は突然立ち上がり、僕の手を取った。
そして、マスターに

「マスター、ちょっとあの部屋お邪魔します!」

と言って、僕を引っ張りカウンターの横の扉を開いて奥に入っていく。

「え?なに?どこ行くの?」

「いいから」

さらにもう一つの扉を開き、君が慣れたように電気を点ける。
その部屋は少し古い匂いがする、物置のようだった。
電気をつけても、まだ少し薄暗い。
部屋はオレンジ色っぽく照らされて、雰囲気があった。

「ちゃんと見て?すごいでしょ」

僕はしっかりとその部屋を見る。
沢山ある棚に並んでいるのは全て、CDやレコードで、床に置いてある段ボールの中身もMDやカセットテープだった。
CDプレイヤーも、古そうなレコードプレーヤーも、名前も知らないけれど見た事がある音楽関連の機械も置いてある。

「うわ。ここ何?」

君は笑顔で

「常連の中でも常連の人だけが知ってる秘密の場所。私、秘密って大好き」

と言って、もう場所は分かってます!という雰囲気で棚からCDを出し、CDプレイヤーに入れた。
そして、再生ボタンを押す。

「この歌知ってる?」

僕は前奏を懸命に聴いてみたけれど、その曲を知らなかった。
知らないと言おうとしたら、前奏が終わり君が歌い始めた。
あまり大きな声ではなくて、遠慮気味な声で。
だけれど堂々とした姿で、優しい歌声で。
CDから聴こえる低い声の男性歌手の歌声に重なる君の声。
君は、一オクターブ上を歌っていた。
僕に馴染みのないメロディーを歌う、僕に馴染みのある君。
でも歌う姿の君は見慣れなくて、ドキドキした。


 歌い終わった君に、僕は拍手を送る。

「恥ずかしいからやめてよ」

「本当に、上手だね。歌」

「今のはまだ本気じゃないよ。でも、人前で歌うのは中学のテスト以来かな?入学式とか卒業式とか、そういう時は恥ずかしくて、口パクだし」

「こんなに堂々と歌ったくせに恥ずかしいの?」

君はちょっと気まずそうな顔をして、僕を見ながら、

「今は舞人だから、恥ずかしくない。なんでだろうね?」

と言った。
なぜか僕は気まずくて、

「NO  NAMEな関係だから?」

と目を大きくして、おどけた風に笑ってみせた。

「私、音楽の授業が好きじゃなくてね。高校は選択だから、音楽は取ってないし、恥ずかしい思い出もあるの」

「恥ずかしい思い出?」

僕らはその部屋にあったソファに自然と座った。

「中学の時の歌のテスト。私、歌は大好きなのに、それを知られたくない思いと、人前で歌うのは嫌だっていう思いがあったの。本当は単純に、音痴だって思われたらどうしようっていう不安な気持ちだったのかもしれない。だって、歌うのが本当に好きなのに否定されたらどうしようって不安じゃない?」

「あと、うまく歌ったら逆にダサいみたいな空気あるよね?」

「そうそう!それで私、一切歌わなかったの。三人ずつ歌うんだけど、私の声だけ聞こえなくて、先生に一人で歌いなさいって言われて。それでも歌わなかった」

「そういう子、クラスに数人いるよね。カッコつけたい男子にも、本当に嫌なんだろうなってこっちが心痛くなるような子も」

「うん。歌わない子は何人もいた。結局先生は諦めて、次の人!って言うのは分かってたんだけど、私は一人で歌わされてる時に、走って音楽室から出て行ったの」

「そんなに嫌だったの?」

「うーん。今となってはよく分からない。中学時代の私にしか分からない苦悩?きっと理由はあったはずなのに思い出せない。恥ずかしかったって事だけ覚えてて。もしかしたら、その思い出にさえ忘れてるシーンや詳細があるかもって思う時もある。なんか泣きそうになってちゃって、逃げたの。でもね、心のどこかで歌が好きな事を隠す自分が好き!って気持ちもあってね」

「どういう事?」

「意味分からないでしょ?ただ、私って秘密が好きみたい。中学時代も自分の話をあんまりしたくなかったし、聞き役に回ってたからこそ、友達が多かった気もするし。なんか、秘密こそ真実!って思っちゃう。だからって話すことが嘘ってわけじゃなくてね、言いたくないことが人より多い気がするの」

「秘密こそ真実か・・・」

僕はその言葉を理解しようと、必死に考えた。
でも、分かるような分からないような、そんな気がするだけだ。

「自分の事話すの好きじゃなかったのに。舞人には自分の事ばっかり話してるよね。変だね。思ってる事とやってる事全然違うしさ。過去の自分と今の自分も全然違うみたいだし」

君は立ち上がって、棚に並ぶCDの背を指で左から右になぞった。
そして僕の方を振り返って言った。
この後、君が言う言葉が、特に忘れられないものになる。

「舞人ありがと。自分の事話すのって結構楽しいね。どうしよう」

僕はただ、そんな君を見つめていた。
言葉は見つからなかった。
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