先を越されたファーストキス

あおなゆみ

文字の大きさ
1 / 14

十四歳の少女だった私

しおりを挟む
 息子が生まれて成長を見るたび、鮮明になる記憶がある。薄れる記憶については知っていた。鮮明になったその記憶だって、かつては薄れる記憶の一つだった。それなのに、息子の成長に合わせるみたいに、思い出は濃くなっていく。大切な今の心を邪魔しない、絶妙な距離感で── 

 十四歳の私が出会った一人の少年がいた。生まれ育った田舎の、誰かと遭遇することさえ珍しい寂れた公園。少年はベンチに座って本を読んでいた。季節は秋で、私は実家で飼っていたラフコリーという犬種のラッシー(名犬ラッシーをそのまま真似て名付けた)の散歩中だった。 
 私はまず、公園に人がいること自体に驚き、その人が近所のお年寄りではなく見知らぬ少年であったことにも驚いた。そして何よりも、少年の唇に赤いリップが塗られていることに驚いてしまった。遠くから見ても目立つほどの赤で、強い主張。私はゆっくりと近づき、少年を観察した。年下に見える少年は、言葉通り少年であるにも関わらず、唇の色だけが目立ち過ぎていた。どうして赤いリップを塗っているのかが気になって仕方がなかった。

「初対面なのに悪いとは思うけど、どうしてそんなに赤いリップを塗ってるの? 教えてくれない?」

 遠慮や配慮という言葉を知らない、酷い態度の私は少年に訊ねた。

「私、気になることは訊かないと気が済まないの」

 初対面の人間に対して、私は早々に喋りすぎの訊きすぎだった。少年は驚きの表情で私を見上げ、読んでいた本を閉じた。ブックカバーをかけたその本に栞を挟むこともせず、ベンチに置く。そして、こう言ったのだ。

「回りくどく言ったりしないで、ストレートに訊いてくれるんだね」

 まるで、私を褒めるような言い方だった。少年は優しく微笑んでもいた。何だか不意を打たれた気分になり、私は意味も意図もなく首を傾げたのだった。

 当時の私は、性格の悪い少女だった。頭と心が煩わしいほど多くの言葉で埋め尽くされていて、不満や文句や疑問ばかりが容易く思いついた。それだけなら同年代の少年少女と同じかもしれないが、私はそれらを心に留めることができずに、全てを吐き出すように生きていた。たとえば、短めの映画なら余裕で一本観ることのできる通学時間とか、元が汚いのだから磨いたって何の達成感もない教室の床とか、どうにかしてつまらない日常を盛り上げようとして作られる低劣な噂話とか。そういうものに嫌気が差すたび、私は誰かに対してや何かに対して当たっていた。言葉にしないと、反発しないと、やっていられなかったのだ。発散するというのは空っぽに近づく行為で、本当は発散せず残しておくべきこともあるはずなのに、私はしょっちゅう空っぽにしていた。

 少年の一言により、私が首を傾げたまま何も言えずにいると、ラッシーが少年に近づき尻尾を振った。
「この子の名前は何?」と少年が訊いてくる。

「ラッシー」

 仕方ないから教えてあげる、という態度で私が答えると、少年はそんな私の態度なんか気にならない様子で「名犬ラッシーか。良い名前だね。撫でてもいい?」と言った。少年はラッシーの前にしゃがみ、私が「いいよ」と許可を出すのを待っていた。おやつを前に「よし」と言われるのを待つ犬みたいだった。

「いいよ」

 また、仕方ないという態度で言ってあげると、少年は柔らかく微笑んだ。その微笑みを受けた私は危うく、もう一度首を傾げるところだった。少年の微笑みが、私の存在の対極にあるものに思えたのだ。

「ねえ、この辺の人じゃないよね?」と私は言う。また遠慮や配慮のない態度で。

「うん。遠くから来た」と少年はラッシーを撫でながら答えた。

「遠いから、ここに来たんだ」

「遠いから?」

「そう。できるだけ遠くが良かったから」

「家出?」

「違うよ。今日だけ逃げてきた」

「どうして?」

「親が──特に父親が厳しくて。できるだけ遠くで息抜きしたかった。こんな赤いリップを塗った息子に厳しくしたくなるのは分かるけど、勉強ばかりは嫌になるから」

 少年が思っていたよりも教えてくれたから、私も少し教えてみたくなった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

【完結】離縁されたので実家には戻らずに自由にさせて貰います!

山葵
恋愛
「キリア、俺と離縁してくれ。ライラの御腹には俺の子が居る。産まれてくる子を庶子としたくない。お前に子供が授からなかったのも悪いのだ。慰謝料は払うから、離婚届にサインをして出て行ってくれ!」 夫のカイロは、自分の横にライラさんを座らせ、向かいに座る私に離婚届を差し出した。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...