うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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 東の空がしらみ始めたころ、セシリアは工房の前につけた馬車から降り立ち、真っ黒に燃え尽きた骨組みが残るだけになった工房を見上げた。

あたりはくさい匂いが立ち込め、消火活動に当たった兵士達が顔をすすだらけにしてそこらじゅうに座り込んでいる。




 セシリアが工房の火災を知ったのは、真夜中だった。

人の行き来する物音で目を覚まし、扉の向こうに控えているオラフに声をかけた。

「何かあったの?」

「セシリア様、お目覚めだったのですね。」

答えたのはエウラリアだった。

部屋に入ってきたエウラリアは、セシリアに上着を羽織らせると、カーテンを開けた。

「工房が火事だと。」

「えっ───」

みっともなく言葉に詰まったセシリアに、エウラリアは小言こごとは言わずに手を引いて窓際に連れて行った。

屋敷の西翼せいよくの屋根のずっと向こう側が、ぼんやりと赤く染まっているのが見えた。


セシリアは部屋を飛び出して西翼の廊下まで一気いっきに走った。

オラフが後ろから灯りを持って付いて来るのが分かった。

途中で部屋履へやばきが脱げてセシリアは裸足はだしのまま、臙脂えんじ色の絨毯が引かれた廊下をとにかく走った。

本館から西翼に曲がる廊下の窓を開こうと手をかけると、後ろからオラフが手を伸ばし、窓を開けて鎧戸よろいどを開けた。

町の中心部から西に少し離れた馴染みの場所が赤く火を噴き上げている。

「はっ───」

セシリアは短く息を吸い込んで、両手で口元を押さえると言葉を発することも出来ず、水色の瞳に炎を映しながら、ただ赤い空を見ていた。

遅れて着いてきたエウラリアが、セシリアの震える体を力いっぱい抱きしめた。







 一部の壁と、数本の柱とはりを残して全てが黒く燃え尽き、足元に積み上がった元は何かだった灰の山から湯気がたちのぼっている。

色鮮やかに織り上げられて壁に飾られていたエルムンド織の絨毯も、積み上げられていたはずのたくさんの糸も、常に糸が張られ音を立てて動き続けていた織機も、どこにあったのかも分からない。


炭になった梁に、馬蹄ばていが黒くなってかたむきながらなんとか落ちずに残っている。

『これを飾っておくと、雷が落ちないんですよ。』

工房が出来てすぐの頃、雷を怖がるセシリアのために事務員のフリータが、がたつく椅子に登ってふらふらしながら釘で打ち付けたものだ。

『これでセシリア様も安心ですね。』

そう言って笑った頬には、そばかすがっていた。



セシリアが見渡すと少し離れた場所にフリータの姿が見えた。

よく見れば、工房の従業員達があちらこちらにいる。
皆、驚いてはいるが、どこか当然だと言いたげな冷たい目で、真っ黒に焼け落ちた工房を見ている。

それは従業員だけではなく、近隣の住民も、消火活動に疲れて座り込む兵士達も、工房とセシリアを、うらみがましい目で見ていた。




『ヒュドラをかばうようなやつらには、物は売れないって言われたんです!』

セシリアの耳に工房の織り師の寡婦の言葉が蘇った。




 少し前から工房周辺は不穏な空気が流れていた。

 一旦は収まったように見えた、“ヒュドラの呪い“騒ぎは、差別意識が高く、排他的はいたてきなエルムンドの領民達の間に、止めるすべもなく嫌悪感を増しながら蔓延まんえんしていった。

工房の従業員達は“ヒュドラ贔屓のセシリアの工房で働く者“と一括ひとくくりにされ、初めは誹謗中傷ひぼうちゅうしょうから始まり、しまいには買い物もままならなくなっていった。


『ヒュドラを追い出してください』

寡婦達は口々に言った。


『みんな呪いが怖いだけなんです。』

フリータはそう言って、セシリアと他の従業員達の間を取り持とうとした。


セシリアには目に見えない“呪い“よりも、まざまざと見せつけられる善人達の悪意の方が恐ろしかった。


トマをエルムンドから追い出せば、皆は幸せに安心して暮らすことができ、自分への評価が良くなるとも思えない。

そもそも、セシリアが輿入れしたこと自体『軍神と呼ばれるほどの人に子供を押し付けた』『伯爵様に恥をかかせた』そう感じ、いまだにセシリアを受け入れられない者も少なくはないのだ。






「セシリア様。」

ビョルンは声を聞かなければ、誰かわからないほど煤で汚れていた。

「もっと警戒しておくべきでした、申し訳ありません。」

ビョルンが膝をつこうとしたので、セシリアはその真っ黒に汚れた手を取って止めた。

「あなたは私の護衛だわ、工房のことはあなたの責任ではないでしょう?」

ビョルンは俯いたまま何も言わなかった。



「セシリア。」

振り向かなくても、低い声で誰なのかはすぐにわかった。

「ここは危険だ、屋敷に戻りなさい。」

セシリアが振り向くより先にニールスはそう言った。

「でも、工房の従業員の皆さんとこれからのことを話さなくては───」

答えようとした言葉は遮られた。

「それなら秘書官にやらせればいい」

ニールスは離れた場所にいてセシリアを見ているイニゴに目をやった。

「君がいても、出来ることはない。」

ニールスがセシリアの腕をそっと掴んだ。

セシリアは腕を大きく振るようにして、その手を払いのけた。

周りから「ひゃっ」というような、息をのむ音が聞こえた。

「伯爵様の手を払うなんて───」

男の声でぼそぼそと言う声も聞こえる。


「自分で帰れます。」

セシリアはニールスに背を向け、乗ってきた馬車に飛び乗った。




 セシリアが去った後には、焼け跡に立ったままセシリアが乗り込んだ馬車を見るニールスが取り残された。

その場にいた誰もが、セシリアを礼儀知らずの甘やかされた子供だと、さげすみのこもった目で見ていた。








 馬車の中では、エウラリアもマルタも誰も何も話そうとしなかった。 

セシリアはニールスの言った言葉を頭の中で繰り返した。

『君がいても何も出来ない』

ニールスの冷たい顔、兵士達のあざけるような目。



居心地のよかった工房は言葉の通り、もうなくなってしまった。

心を落ち着かせる機織はたおりの音も、にぎやかな話し声も、再び工房を建て直したとしても、セシリアにはもう縁のないものとなるだろう。

セシリアは体が急に重くなった気がして、背もたれに体を預けて車窓を眺めた。



「少し、異常な気がします。」

間もなく屋敷に到着するという頃になって、マルタが急に声を発した。

声に出している自覚がなかったのか、セシリアとエルラリアがじっと見ているのに気づいて、マルタは慌てて次の言葉を続けた。

「確かにエルムンドは古臭い考えの人が多くて、私も小さい頃から『子供のくせに』『女のくせに』そう言われましたし、異教徒を嫌がる人も多かったですけど───ここまで、窮屈きゅうくつな感じではなかったように思うんです。」

マルタが言い終わると同時に馬車が屋敷に着き、その話は置き去りのままになった。

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