うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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 屋敷に戻ったセシリアが煤で汚れたドレスを着替え終わった頃、綺麗に着替え、まだ髪を濡らしたままのビョルンが客人の来訪を告げにきた。

「クララが?」

今まで彼女が屋敷を訪ねることはなかった。


セシリアは屋敷の中を使用人達に余計なことを気取けどられぬよう静かに歩いた。


裏口から外を見ていたマルタが、セシリアに小さく手招きをした。

セシリアは急いで裏口から外へ出て、裏庭へ急いだ。





「クララ!」

日の当たらない裏庭の隅で、手編みのベストを身につけたクララが、茂みに隠れるようにしゃがんでいた。

「セシリア様。」

立ち上がったクララは、今にも泣き出しそうに眉尻を下げてセシリアを見た。

いつも陽気で強気なクララのその顔に、セシリアはなんの話か大体の見当がついた。

「トマさんが───」

そう言って、クララは何かを握った手をセシリアに差し出した。


セシリアが両手を出すと、その白い手のひらの上に小さな鳥の形をした木彫りの笛をそっと乗せた。



数日前、修道院で会った日に、トマがセシリアに渡そうとした物だった。

『いつも美味しいものを持って来て下さるお礼です───本当は綺麗に色を塗ってからお渡ししたかったのですが。』

セシリアの手にすっぽりと収まる、小さな手彫りの笛だった。

『じゃあ、綺麗に塗ってからちょうだい。』

セシリアは受け取らなかった。



トマは、自分の存在がセシリアを追い詰めていることに早くから気付いていた。

その日、帰り支度をするセシリアにトマが言った。

『楽しゅうございました、セシリア様。』

別れの言葉のようで怖かった。

『笛、楽しみにしているわ。』

セシリアの言葉に、トマはいつものように優しく微笑んだ。

あれからたった数日で、木彫りの笛には綺麗に色が塗ってあった。



「もっと、時間がかかると思ったのに───」


セシリアは手の上の笛につぶやいた。


「ゆうべの火事、修道院からも見えたんです、すごい火柱ひばしらが上がってて───トマさんも見てたんです、ずっと火が見えなくなるまで。」

クララは震える声を落ち着かせるように、大きく息をした。

「明るくなった頃には、もう姿はなくって、それが、置いてあって、“セシリア様に“って、書いてあって───」

クララはもう、泣かずにいるのが精一杯のようで、言葉は途切れ途切れになった。


水にもぐり魚をる時のように、体を真っ直ぐにした真鴨まがもの笛を、セシリアは唇に当てて息を吹きこんだ。

見た目の美しさとはちがい、「ポー」っとおかしな音がした。


「音は、まぬけですね。」

クララはそう言って、とうとう泣き出した。










 イニゴは火災現場から戻り、執務室で一番見たくない顔を見ていた。

「何かご用ですか?」

工房の従業員達の話を聞いて疲れていたイニゴは、いつも以上にれいしっした態度になった。

「自分の執務室に、用がなくては来てはならぬと?」

ニールスはイニゴの無礼をそれほど気にすることもなく、座って書類を片付け始めた。


「工房の従業員達とは話せたのか?」

ニールスは書類から顔を上げずに言った。

「話しましたよ、勝手なことばっかり言ってましたがね───の犯人は捕まっているのでしょう?」

イニゴも書類から顔を上げない。

「セシリアの護衛が現場で捕まえた。今は軍で取り調べを受けている。」

「死者が出なかったとはいえ、領主夫人直轄の事業を妨害したんです、それなりの罪になるんでしょうね。」

イニゴの言葉は質問ではなく、確認だった。

「それを今調べている。」

松脂まつやにの入ったつぼに布を詰め込んで、それに火をつけて工房に放り込んだ酔いどれに、何か酌量しゃくりょうする余地があるので?」

イニゴは顔を上げてペンを置き、ニールスを見た。

「まさか“ヒュドラの呪い“とかいうおかしな言いがかりをに受けて、これは当然の報復。なんて話にはならないですよね?」



ニールスが答える前に、執務室の扉が開いた。


執務室に入ってきたセシリアはニールスがいることに驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻して、軽く膝を折った。

「伯爵様。」

妻が夫にする態度にしては、あまりにもよそよそしいものだった。

「突然すまない。」

ニールスは自分が執務室にいることをまず詫びた、イニゴに言ったのとは正反対に。

「いいえ、ここは伯爵様の執務室です。場違いなのは私の方です、すぐに失礼いたします。」

セシリアはそう言って、イニゴを見た。

「セシリア、君と話したくて待っていたんだ。」

自分で言っておかしなことをと、ニールスは情けなくなった。
妻と話したいのなら、部屋へ行けばよかったのだ。

「工房の火災についてですか?」

セシリアは淡々と言った。
彼女も、ニールスと自室で話すという状況は想定していないようだった。

「ビョルンが付け火の犯人を現場で捕まえた、と聞きました。」

「ああ───」

ニールスはイニゴと他の事務官や自分の侍従に目をやって、席を外すように言おうとした。

「このままでよろしいでしょう?人がいては出来ない話なら、執務室でしなければいいのです。」

察したセシリアが冷たい声で言うと、ニールスの後ろにいた従者がひどく驚いた顔をした。

「ヒュドラの呪いが恐ろしかったと、その者がもうしていたのでしょう?」

「ああ。」

ニールスは急激な喉のかわきを感じた。

「でしたら、私のせいかしら───」

セシリアの言葉に、ニールスは椅子から腰を浮かした。

「君のせいなどでは…」

「散々言われていたのに。『ヒュドラ贔屓の生意気な女』『子供のくせに大人の言うことを聞かない頑固がんこ者』『呪いに加担する魔女』私の耳にも届いていたのに、私はトマをエルムンドから追い出さなかった。」

昨日食べたものでも話すように、セシリアは聞くに耐えない自分への誹謗中傷をサラサラと並べた。

「なぜあの者を、トマをそこまでして庇う?」

ずっと聞きたかったことがニールスの口を突いて出た。

「なぜ?トマは友人でエルムンドの民です、異教徒だからといって善良な領民を追い出すなんて、考えもしませんでした。」

その場にいた誰もが、目の前の十三歳の少女の真っ直ぐな言葉に胸ぐらをつかまれたような気分になった。

「それに、領民のご機嫌をうかがって一つ望みを叶えれば、次はもっと大きな要求をされるのではないですか?」

小首をかしげる姿は、無垢むくな少女そのもので、話の内容とあまりにもかけ離れている。

「次は誰かの命を差し出せ、と言われるかもしれません──領民が安心するならと、それも叶えてやるのですか?」

ニールスは言葉につまった。

「少し話が、飛躍ひやくし過ぎました。」

ふふ、と笑い出しそうな笑みをセシリアは浮かべた。

「ご安心ください、トマはもうエルムンドにいません。二度と帰っては来ないでしょう。」

「出て行ったのか?」

ニールスがそういうと、セシリアは黙って頷いた。

「これで、安心ですね。」

セシリアはそう言ってまた笑顔を見せると、付け火のけんはニールスに任せる、と言い残しイニゴを伴って、執務室を出ていった。



 ニールスは執務室の机に向かったまま、セシリアを部下のように立たせたままだったことをいながら、いつから自分のことを『伯爵様』と呼んでいたかを、必死に思い出そうとしていた。

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