鬱々日記

ユア教 教祖ユア

文字の大きさ
上 下
16 / 21

16日目

しおりを挟む
今日は死生観について書こうと思う。
私なりの、今まで受けてきた苦痛によって考えた答え。
誰も理解されなくていい。
でも誰かに知ってほしいな。出来ればの話だけど。
私は根本的に、「生」は「苦」で、「死」は「楽」という考えで生きてる。
別に間違ってないって思ってる。
確かに反論はあると思う。
でもそう思うしかないこの世界で、私はちゃんと生きてるんだから文句を言われる筋合いはない。
私が一番「生」を感じなかったのは、良いことも起こらなければ悪いことも起こらなかった期間。
それと、私を作り出すとても大事な要素の「卓球」(私中学から卓球部にいる)を否定されて、卓球のやる気が0になった時。
最後に、「どうせ近い将来自殺するかもしれないのに、将来のことを考えることなんて無理ンゴ!」って思ってた時期。
まあ、退屈と呼べる時期だった。
生物的に生きているけど、人としては死んでた。
何も苦しんでいない「楽」な時期だったけど、何にも楽しくなかった。
じゃあ、私が「生」を実感していたのは、心が苦痛に蝕まれて息苦しかった期間。
自分が「死」を望む度に、死ぬことができない現実が私の心をグッサグサに刺した。
死にたいのに、生きている。
この状況は地獄だった。
私はさっさと部活を辞めようとした。せっかく逃げれるのだから逃げなきゃ損だって思った。
だけど、私は結局辞めなかった。
卓球をすることを決めて、地獄に足どころか全身肩までずっぷりと入る覚悟を決めた。
予想に反することもなくちゃんと地獄で、ストレスで体調を崩しまくったし、無駄に息をしている感がすごかった。

とまあ、私は誰よりも死を望んでいた時が一番生きていて、死ぬ気を起こさない時が一番死んでいた。
人は簡単に死ねないし、私もそれは同じ。
生物的に死ねないのは仕方ない。
だけど、人の心は死ぬものだと思う。
だから、どうか。私以外の全人類に言いたい。
「もう、私の人生の邪魔をしないで」
って。
じゃあね。
しおりを挟む

処理中です...