【完結・R18】結婚の約束なんてどうかなかったことにして

堀川ぼり

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再会と約束

1-2.第一印象

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 商談を終えたハウバンが客室にやってきたのは、ダニスに城への滞在を持ちかけられてから数十分後のことだった。
 ルビリアの城へ訪れるのは今日が初めてではないし、ハウバンとダニスは顔見知りなのだろう。親しげに挨拶を交わす二人を前に、リーシャは逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
 しかしそんな願いが天に届くはずもなく、「すぐに帰ることもないでしょうし、どうぞゆっくりしていってください」というダニスの言葉によって、リーシャの隣にハウバンが腰を下ろす。
 新しく三人分の紅茶まで出されてしまい、すぐに帰れるような状況ではなくなってしまった。

(……どうやってお父様に話を切り出せばいいんだろう)

 ティーカップに口を付けながら、テーブルを挟んだ正面のソファに座るダニスを盗み見る。目が合った瞬間に柔らかく微笑みかけられ、リーシャの手のひらに汗が滲んだ。
 相談すると言った手前、何も話さないでやり過ごす事はできない。
 しかし、話をする場はダニスの目の前なのである。幼い頃に結婚の約束をしたことや、再会してプロポーズをされたことはこの場で話せたとしても、自分にそんな記憶が全くないなんてことはさすがに話せない。
 いや、求婚されたこと自体が大ニュースではあるし、相談の前にとりあえず報告をしなければいけないことは変わらないのだ。それでも、このままトントンと話が進んでしまったらどうしようという不安が消えず、最初の言葉に迷ってしまう。
 せめて父と二人きりになれないかと、そんなことを考えている最中だった。ダニスと談笑していたハウバンが、自然な流れで話題を切り替える。

「私の商談中、まさかお忙しい殿下がリーシャの話し相手になってくださっていたなんて、使用人の方に聞いた時は驚きましたよ。名前で呼び合うほど仲良くさせていただいたみたいですが、一体どんなお話を?」
「ああ、そうですね。ねぇ、リーシャ」

 急に話を振られ、二人分の視線が一気にリーシャに向く。
 この質問に回答をするなら、もう報告は避けられない。王太子殿下の前で嘘を吐くわけにもいかず、リーシャは諦めて口を開いた。

「あ……実は子供の頃に、結婚しようって誓約書を書いたことを殿下が覚えていてくれて……それで、その、再会したし結婚しようかって話を」
「え、は……? 結婚……?」
「あ、でも違うの! 今日いきなり結婚を決めるって話ではなくて、返事はすぐにじゃなくてもいいってことだから」
「とりあえず改めて仲を深めるために、ルビリアに滞在する間は宿ではなくここを使ってはどうかと。そう提案したところです」

 リーシャの説明に割って入ったデニスの言葉に、ハウバンは「ああ、はぁ、なるほど?」と曖昧な返事をした。
 どうやらまだ、話の展開の早さに脳の処理が追いついていないらしい。当の本人であるリーシャでさえ、現状をまだ飲み込めていないのだ。その反応は当然である。
 浮いた話の一つもなかった娘が、急に他国の王太子と結婚しようと言い出したのだから、何を言われているのか分からないだろう。
 しかしハウバンは、急な話に混乱しながらも、なんとか現状を飲み込んだらしい。話の続きを促そうと、ハウバンが一度リーシャに視線を戻した。
 そこでようやく、リーシャの様子が普段とは違うことに気付く。
 何か言い辛いことがあるのか口を噤み、不安そうに表情を硬くしている。娘のその様子を見て、いろいろと察してくれたのだろう。
 本当はなにか粗相でもしたのではないかと不安を覚えながらも、ハウバンは改めてダニスに向き直った。

「ああ、申し訳ない。いろいろと急なもので驚いてしまった。一旦、娘と二人だけで話をさせていただいてもよろしいですかな」
「ええ、もちろん。それでは俺は少し席を外しますね。リーシャ、また後で」

 優しい声と共にふわりと笑いかけられ、リーシャはどういう反応をすればいいのか分からなかった。
 ダニスが席を外してくれることに安心していると悟られないように、とりあえず愛想笑いを貼り付ける。父の仕事を手伝う中で覚えた営業用の笑顔だ。その表情のままで、「はい、また後で」と返事をする。
 ダニスが部屋を出てから数秒後、先に口を開いたのは父であるハウバンの方だった。

「リーシャおまえ……はぁ、いつの間に結婚の約束なんてしていたんだ。しかも相手はダニス殿下だなんて、幼い頃にした約束とはいえ、王族を相手にそんな大それたことをおまえは……」
「それが、その……実は何も覚えていなくて……」
「はぁ?」

 記憶はないけれど、契約を交わすという行動に心当たりはあること。
 子供の交わした契約なんて無効にしても問題ないだろうけど、他国の王族を相手になんと説明したらいいのか分からなかったこと。
 先ほどの報告よりも詳しく、今度は自分の気持ちを織り交ぜながら、順を追ってダニスとの会話を父親に説明していく。
 一通りの話を終えたリーシャを前に、ハウバンはまた小さく溜息を落とした。

「まあ……殿下も結婚を望まれる年齢だ。周りにいろいろ言われていて煩わしくなり、タイミングよく城に来たリーシャにただ声をかけてみただけだという可能性も」
「約束した相手がいるから結婚の申し出は全て断っているって、そう言ってた」
「その約束した相手がリーシャと?」
「まあ、うん……。そういうことだと思う」

 そこまで話をしたところで、しばしの沈黙が訪れる。
 何かを考えるようにしたあと、ゆっくりと口を開いたのはハウバンだった。

「あまり興味がないのかと思って話してこなかったが、リーシャも、もう結婚を考えておかしくない年齢だと思っている」
「うん。そうね」
「恋人を作るような環境になかったのは、私の仕事を手伝ってあちこち飛び回らせている所為だとも思っていた。おまえが望むなら見合いの席を用意するつもりだったし、近いうちに私の方から話をしようとは思っていたんだが……。まず、リーシャはそういったことに興味はあるのかい?」
「それは、結婚願望ってこと?」

 肯定するように頷かれ、リーシャも改めて考えてみる。
 まだ恋もしたことがないのにと嘲笑されるかもしれないが、正直、いつかは自分も結婚するものだと思っていたのだ。
 家庭を築く憧れも、誰かを好きになって愛されてみたいという欲も普通にある。
 友人の恋の話を聞いて羨ましいと思ってしまうことだってあったし、巷で人気の恋愛小説や演劇にも心を動かされた。
 いつか自分も同じような経験ができたらいいなと、年相応の夢や憧れはある。
 もちろん、誰かと想い合って結婚に至ることが出来たらそれが理想だが、たとえお見合いで出会った相手でも構わないのだ。信頼できる人と生涯添い遂げることが出来るなら、それは素敵なことだと思う。

「その……私だって興味はあるし、憧れはしていたの。幸せそうな顔で手を繋いで歩く恋人同士とか、ずっと互いを支え合ってきて信頼し合っているご夫婦とかたくさん見てきたから、私もいつか誰かとそういう関係になれたら素敵だなって……」
「ダニス殿下とは今日が初対面だったか? 実際に話してみてどう思った?」
「どうって言われると……」

 第一印象は、素敵な人だと思った。
 客室に入ってきた時の佇まいは洗練されていて、急に現れた美丈夫にリーシャは一瞬目を奪われたくらいだ。
 低い声なのに話し方は柔らかく、凛々しい顔つきなのに始終穏やかな表情をしていて、相手に威圧感を与えない。
 この国の王族の悪い噂を聞いたことがないし、ダニスが貴族からだけでなく、平民からも人気があるのは知っている。
 そもそも悪い人間だったら、ハウバンが大切にする顧客とはなっていないだろう。
 直接の顧客は現国王でありダニスではないのだが、先ほどの会話を見ている限りでは、父とダニスは親しげであった。おそらく、父が気に入るくらいにダニスは性格も良いのだろう。

「……すごく、素敵な人だと思う」

 子供の頃に遊んだだけの女に結婚を申し込むところは、少し変な人だなと思うけれど。心の中でそう付け加え、ハウバンの返事を待つ。
 リーシャが口にした今の回答は決して嘘ではない。
 世間一般的に見ても、リーシャの主観で見ても、ダニスは本当に素敵な人だと思う。しかし、だからこそ身構えてしまったのだ。
 幼い頃に約束した相手をずっと想っているだなんて、そんなの物語の中でしか聞いたことがない。それも、ずっと会っていなかった人間が相手なのだ。
 今まで誰にも相手をされなかったような人が、縋るように過去の思い出の子に夢をみていたというならともかく、ダニスはそうではないだろう。
 それなのに、子供の時に約束しただけのリーシャを「待っていた」と迎えたのだ。色々とおかしい。
 本当に幼い頃の約束を守りたいだけだというのなら、少々ロマンチストを拗らせていると思う。

「いつか誰かと結婚をと考えているのなら、ダニス殿下以上のお相手はそうそういないぞ」
「え……」
「結婚に全く気が乗らないのならともかく、そうじゃないなら城への滞在はいい機会じゃないか。お互いを知るために時間を作りたいというのが殿下の提案だろう?」

 果たしてそうなのだろうか。
 ただ逃げ道を塞がれるだけの選択のような気もするけれど、実際に「返事は今すぐにじゃなくてもいい」と言われている。返事をする前に、互いのことを知る機会を設けてくれただけなのかもしれない。
 それに、プロポーズ紛いのことを言われたとはいえ、ダニスだってリーシャのことを知る機会は必要だろう。
 その結果、結婚を断られるのはリーシャの方かもしれないけれど。

「まあ、うん。確かに貴重な機会ではあるよね……」

 リーシャの零した独り言のような声に、ハウバンも一度大きくうなずく。
 城での滞在なんて、滅多にできるものではないのだ。
 貴重な機会への興味に押し潰され、いつの間にかリーシャの中からは、不安な気持ちが搔き消されていた。
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