本物でよければ紹介します

便葉

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出逢いは必然

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 私の実家は五十年以上続く、ひなびた小さな温泉旅館。

 その昔、この地域は自動車工場の街として有名だった。
 自動車生産台数が飛躍的に伸び続けた1970年代、手狭だったこの地域の工場は、都会へアクセスのいい新しく埋め立てられた広大な土地に、あっという間に移転した。
 工場が移転してからというもの、この街に全く活気がなくなった。たくさんあった旅館やホテルも次から次へと潰れていった。でも、過疎が進むばかりのこの街なのに、私の実家は今でも踏ん張って生きている。

 そして、この旅館は私の祖母が仕切っている。祖父は十年前に他界した。長男で一人息子の父とその父の一人娘の私と祖母との三人で、この旅館で暮らしている。
 父は私が一歳にもならない赤ん坊の時に、私の母と離婚をした。だから、私は母をあまり知らない。風の噂では、父以外の他の男を作ってこの街から逃げたとか、他の噂では旅館の仕事が性に合わず祖母とぶつかってばかりいたとか。ま、私にとっては、別に大した問題ではない。
 だって、物心がついた時にはすでに母はいなかったし、私の母は祖母だった。それに、寂しいと感じた事もない。それが我が家の当たり前で我が家の風景だったから。


「多実ちゃん、例のお部屋…
 明日から入るお客様は、もう面接は終わったの?」

 祖母は未だにこのイベントには乗り気ではない。
 何のイベントかと申しますと、「古い旅館の開かずの間に一晩泊りませんか?」という夏の風物詩、お盆の期間限定の肝試しツアーみたいなもの。
 ここ最近、この手の企画書を旅行会社はこぞって持ってくる。でも、旅館の評判を気にする他のオーナー達は中々首を縦に振らない。
 そんな中、うちの旅館はこの企画に乘る事にした。
 恐怖の開かずの間はもちろんこの旅館に存在する。気丈な祖母でさえその部屋に近づく事はない。だって、そこに語り継がれるその部屋の物語は、何一つ嘘のない真実だから。

 それは置いといて、実はこの企画を始めて、今年で三年目に突入する。最初は本当に怖がりたい人のための企画だったけれど、最近は少し様子が違ってきている。
 それは、その部屋の住人に問題が山積みだから。

 実は、この開かずの間、開かずの間になったのにはちゃんとした理由があった。
 まだ自動車工場が栄えていたあの時代に、この部屋で首を吊った男の人がいた。工場関係者は過労が原因だと考えこの事件をひた隠し、まだ若かった祖母に、隠す事を条件に工場の人間を優先的にこの旅館に宿泊させるという脅しのような取り決めを突き付けた。
 その頃の宿泊者は、大半が工場関係の人間だった。祖母は父である曾祖父と話し合い、その取り決めを飲む事に決めた。

 旅館の一番奥にある階段下の六畳の部屋。それ以降、その部屋は使われる事はなかった。霊感が強い従業員やお客様は、不思議とその異変を感じ取る。その部屋から変な音がするとか、前の廊下を通れば胸が苦しくなるとか。
 祖母はその度にお祓いをしてもらった。悪さはしないで下さいと。

 そして、現在…
 大学一年生の夏から、私はその部屋を商売のアイテムとして使っている。夏の一大イベントは、若い私に一任されていた。
 最初、この話を聞いた祖母は、顔を真っ赤にして反対した。そんな面白半分であの部屋を使う事も、ましてや、大切なお客様をそんないわくつきの部屋に泊める事も絶対にあり得ないと、昔の恐怖と自責の念に怯える祖母はそう言い放った。

「おばあちゃん、大丈夫。
 何も悪い事は起こらないよ。それよりも絶対に成功するから」

 私には確固たる自信があった。だって、その住人が、いいね、やろうって言ってくれたから。

 そう、その開かずの間の住人。
 きっとその時に工場で働いていた、でも自殺しちゃった男の人。
 私は幽霊だと分かっているから、彼の事を幽さんと呼んだ。彼との付き合いは、私が物心ついた時から。
 私の記憶を辿れば、一、二歳の頃から彼がはっきり見えていた。初めて喋ったのは、片言の言葉が話せるようになった頃。と言っても、それは幽さんから聞いた話だけれど。
 幽さんはいつも階段の三段目に腰掛けていた。フロントのカウンターの目の前にある大階段のど真ん中がいつも定位置だった。
 幼心に私にしか見えていないと感じていた。だって、父も祖母も従業員さんも、幽さんの体を通り抜けて行くから。その度に幽さんはくすぐったい顔をする。
 誰も居なくなった階段で、幽さんと話をするのが大好きだった。でも、たくさん話がしたい時は、奥の非常階段に場所を移した。そこなら大きな声で笑えたから。

 幽さんは二十六歳の若者だった。子供の頃の私は、母や兄弟がいない寂しさを幽さんで紛らわしていたのかもしれない。それくらいに幽さんの事が大好きだった。
 幼い私にとって、幽さんは、幽霊という認識が薄かったせいか、本当に旅館に住んでいる楽しいお兄ちゃんという感覚だった。
 幽さんは、見た目はちゃんとした若者で、髪はちょっと長めで、くせ毛のせいかいつも風になびいているように見える。目はパッチリとした二重瞼で、私を見つけるといつも笑顔で手招きをしてくれた。

「多実ちゃん、今日はどうだった? 学校は楽しかった?」

 幽さんは一体どこが幽霊なんだろうって、小さい頃は本気で思っていた。他愛もない普通の会話が楽しかったし、たまに私の相談にも乗ってくれた。自分の小さい頃の話を交えながら面白おかしくわかりやすく、私のくだらない悩みにも真剣に答えてくれた。
 私はいつか幽さんにこんな事を聞いた事がある。

「幽さんは、何でここに住んでるの?」

 幽さんは困ったように微笑んだ。幽さんの笑った顔はとても幽霊とは思えないほどに優しい顔をしている。だから、微塵も怖くない。幽さんは幽霊だけど、幽霊じゃない。幼い頃の私はいつもこう思っていた。幽さんは私の大切な親友だって。

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