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八月十三日 厄介な二人組
①
しおりを挟むという事で、今年のイベント企画の初日のお客様もどうやらその手の人らしい。私はげんなりした。あの去年の恐怖の時間を忘れてはいなかったから。
それに、去年の三日間のイベントが終わった後、この旅館の女将の祖母に少し怒られた。
旅館の人間は、お客様の私情にあまりズカズカと踏み込んじゃいけないと。
でも、その手のお客様は、無意識に救いを求めてこの場所を訪れると私は思っている。おばあちゃんには悪いけど、このやり方は変えられない。だけど、やっぱり気は重い。正直なところ…
「幽さん、でも、何でその手の人なのに、彼女と一緒に来るの?」
私は素朴な疑問を抱いた。自殺志願者についてめちゃくちゃ詳しいわけではない。でも、去年の久美子さんの出来事は、私の中で、その手の人とつき合うための一つの基準になっていた。
「可愛い彼女がいて、旅行とかにも一緒に来て、そんな風に生活できる人が、何で死にたいって思うの?
あの時の久美子さんは気の毒になるくらいに一人ぼっちだったから、まだ何となく気持ちを察する事はできたけど」
私はちゃぶ台の上に乘り、手際よく天井からぶら下がっている照明の電球を変えた。古めかしい白い傘のついた照明は、お客様の恐怖感を煽るには持って来いのアイテムだ。
でも、去年は、お客様はもちろんの事、私もこの照明によって怖い目に遭ってしまった。だから今年は奮発してLED電球に替えた。私にとってのただの気休めかもしれないけど。
「自殺を考える人は寂しい人ばかりじゃないよ。
物事を深く考え過ぎる人や、死ぬ事によって別世界に行けるなんて勘違いしてる人間や、色々な人がいる」
朝の太陽は眩しい光と夏特有のもわっとした空気を、容赦なく幽さんの陰気な部屋に送り込む。そんな燦燦としている状況から避難している幽さんは、お風呂場から何があっても出てこない。幽さんの姿は見えないけれど、私は大きな声で幽さんに質問した。
「じゃ、今日のお客様は、どっちかに当てはまる人?」
しばらくの沈黙の後、幽さんのため息に似た声が頭の中に響き渡る。
「僕の予感が間違いなければ、物事を深く考え過ぎる人かな、いや、物事を斜めにしか見れない厄介な人物にも見える。その人物がその手の人間かはまだ分からないけど。
でも、死にたいって思ってるのは、もしかしたら、相手じゃなくてその女の子の方かもしれない…」
私はハッと息を飲んだ。そんなはずはない。あんなに可愛らしい笑顔で私と雑談をした鈴木さんが自殺だなんて、何があっても結びつかない。
「今回は、幽さんの予感が外れる事に一票。だって、鈴木さんの笑顔からそんな闇があるなんて想像がつかないもん。ただの肝試しにきたカップルだよ、きっと」
私はそう言うと、木の枠のオンボロ窓を拭き始めた。昔の造りのままのこの窓は、すきま風はもちろんの事、すきま雨だって部屋へ入ってくる。
この企画を夏だけの限定イベントにしているのは、一つにはそんな理由があった。この部屋では、冬の寒さはしのげない。
そして、幽さんは何も言わない。そんな幽さんの分かりやすい反応は、ますます私を不安にさせた。この手の無言は、多実ちゃん、気を付けてって無意識の暗示をかける。その暗示は痛い程私に伝わり、去年の恐怖体験を呼び起こす。
「多実ちゃん、去年の出来事は恐怖体験じゃないよ。
あれは久美子さんの心の葛藤だったんだ。だから、何も怯える必要はない。
だって、今の久美子さんは、最高に幸せなんだからさ」
窓を拭き終わった私は、その古めかしい窓に真新しいカーテンを取り付けた。一気に部屋が暗くなる。
すると、すぐに幽さんは、私の見える場所に出てきてくれた。そんな私の姿を幽さんは目を細めて見ている。私は、幽さんの目を細める仕草が大好きだ。私の事を大切に想ってくれているって実感するし、その表情に安心感さえ覚えるから。
「多実ちゃん、大丈夫だよとは今は言えないけど、でも、去年の出来事は、多実ちゃんの中では大きな自信になってるはずだよ。だから、堂々と構えて大丈夫」
私は泣きそうな顔で幽さんを見る。
「あれは幽さんがいてくれたから…」
「じゃあ、今日だって大丈夫だよ。だって、ほら、僕はここにいるだろ?」
私は小さく頷いた。幽さんの力を私はちゃんと知っている。その人達がどんな人であれ、幽さんは自殺という可能性が限りなくゼロに近づくまで努力をし続ける。幽さんはそんな人。私はそんな幽さんの相棒でしかない。ううん、相棒でよかった。久美子さんみたいに、その人達が素敵な笑顔を取り戻せるのなら、そんな素晴らしい事はない。
私はやっと笑顔になれた。そして、心配そうに私を見ている幽さんにピースをする。
「分かった、頑張る。
もし、あんなに可愛い鈴木さんが苦しんでいるのなら、ここに来た理由が分かる気がする。きっと、助けてもらいたくてここへ来たんだよね? 偶然じゃなくて必然で…」
幽さんは笑顔で頷いた。
幽さんの笑顔は、こんな私を世界を救うヒーロー戦隊のようなそんな尊い気持ちに導いてくれる。もし本当に苦しんでいるのなら、鈴木さんを救いたい、そんな気持ち…
私は、幽さんの部屋に二組の布団を持ってきて、午前の仕事を終了した。
「幽さん、午後の三時にチェックインの予定だから、よろしくね」
幽さんはOKと言って、私に手を振った。
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