本物でよければ紹介します

便葉

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八月十三日 厄介な二人組

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 そう言うと、男はジーンズの中にたくし込んでいたT シャツを引っ張り出し、私と鈴木さんに色黒の腹を見せつけた。

「な、何ですか?」

 私は思わずそう言ってしまった。
 この男、一体何を考えてるの?

「ここをよく見てみろ」

 その男は胃の辺りを指さしている。私は不本意だけれど、見ろと言うから近づいてその胃の辺りをじっくりと見た。

「え? これは?」

 その男のいわゆるみぞおちの辺りは誰かの拳で殴られたように、うっすらと青あざになっている。私はハッと息を飲んだ。
…もしかして、幽さん?

「これが怪奇現象なのか、ただの偶然なのか、お前にもさっぱり分からないって事だな?」

 私はその痛々しいみぞおちから目を離し、ゆっくりとその男の顔を見た。そして、大きく頷くと、その男はちっと舌打ちをする。

「何なんだよ、この部屋は」

 私はほんの少し気の毒に思った。でも、そんな気持ちはすぐに消える。だって、鈴木さんの右頬がうっすらと腫れてきたのが、手に取るように分かったから。

「鈴木さん、その頬は?
 何だか、腫れて見えるけど…」

 鈴木さんはすぐに右頬を手で隠した。そして、気が触れたように首を横に振り始める。

「鈴木さん、大丈夫?」

 私が鈴木さんに近寄ると、その男は居づらくなったのか席を立って廊下へ出た。

「鈴木さん? 彼に殴られた?」

 私の的を得た言葉に鈴木さんの目から涙が溢れ出す。その涙は、鈴木さんの恐怖や悔しさを物語っている。きっと、ずっと、こうやって一人で泣いてきたのだろう…

 でも、私は何も言わなかった。
 本当は、私と幽さんで、鈴木さんを救ってあげると言いたかったけれど、結果は明日にならないと分からない。下手に期待をさせておいて、何もしてあげれなかった、ごめんね、なんて死んでも言いたくない。
 だから、今は何も言わない。言わないけれど、絶対救ってあげる。私と幽さんにできない事なんて何一つないと信じているから。

 私は心の中で、幽さんに同意を求めた。すると、幽さんから力強い返事が返ってきて、私は鈴木さんの背中をゆっくりとさすった。
 大丈夫かだからと一言呟いて。

 この二人ための夕食のシチュエーションは、あまり凝った装飾などはやめることにした。こんなに恐怖に怯えている二人に、部屋を真っ暗にしてろうそく二本の薄明りの中で食べさせる必要性はもうなかったし、それとは逆に、元気のない鈴木さんに美味しい料理を味わって食べてもらいたい。

私は、料理を部屋まで運んでくれたお父さんに大丈夫だから心配しないでと囁き、笑顔でお父さんを見送った。そして、部屋のドアを閉めてテーブルの上にご馳走を並べ始める。
 二人は窓の近くに座り何かを話している。そんな姿はただの仲のいいカップルにしか見えない。
 でも、どうして鈴木さんは、この男から逃げないのだろう… 
 私はそんな疑問を抱きながら夕食のセッティングをしていると、幽さんが部屋の隅の壁に寄りかかって私を見ている事に気付いた。

…幽さん。

 私は幽さんの姿を見てホッとした。あの男にひどい仕打ちをした幽さんの事が少し心配だった。そして、幽さんはそんな私の胸の内をちゃんと見抜いている。

…多実ちゃん、驚かしてごめんね。

…ううん、大丈夫だよ。
 逆に胸がスカッとした。幽さん、サンキューって思ったくらい。

 チラッと幽さんの方を見ると、幽さんは肩をすくめて苦笑いをしている。

…彼女は、あいつに洗脳されているんだ。
 逃げたいとは思っていても、身体が全く動かない。それは、恐怖を身体が覚えてるから。もちろん、脳にも刻まれている。彼の執拗なほどの愛情は彼女を支配していないと気が済まない。支配するには暴力でがんじがらめにする。それが、あいつの偏った愛情なんだ。

 私はご馳走を並べたテーブルの上をチェックしながら、幽さんに聞いてみた。

…幽さん、今日一日で彼女を救う事はできる?

 私はまた幽さんの方を見た。幽さんも私をジッと見ている。目を細め困ったような顔をして。

…救わなきゃ、彼女は近い内に死んでしまうよ。
 それほど、精神は病んでる。
 彼女がここへ導かれて来た理由は、無意識の内に僕達に助けを求めて救ってもらいたいから。その強い思いが、こんな所まであいつを連れてやって来たんだ。
 そんな彼女を僕達は何があっても救わなくちゃ…
 僕の大切な相棒の多実ちゃん、もう、僕自身も暴力は振るわない。
 あれは、あの男に、これから待ち受ける恐怖を倍に感じてもらうための作戦だった。
 だから、多実ちゃんは、僕を信じて、僕に協力してほしい。

 幽さんの目は真っ直ぐに私を見ている。そんな時の幽さんはいつも自信に満ち溢れている。

…分かった。喜んで幽さんに協力する。

 私は心の中でそう返事すると、窓の側に座っている二人にようやく声をかけた。


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