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Winter Song
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“Jingle bells, jingle bells
Jingle all the way
Oh, what fun it is to ride
In a one horse open sleigh”
街中に流れる『Jingle Bells』の音楽を聞きながら、俺は一人歩いて行く。
12月。
一年の終わりが近付くこの頃は、もうすぐクリスマスがやって来て、間を置かず大晦日、そして正月とイベントが目白押しだ。
そんな騒ぎに浮かれているのは、生活に余裕がある奴だけ。
アルバイトで食い繋ぐ音大通いの苦学生としては、稼ぎ時ではあるものの、日頃より余計な雑音が耳障りなシーズンでもあるため、気が滅入る。
そもそも、クリスマスにはいい思い出が無かった。
母子家庭の家だったからプレゼントもろくにもらえないし、ツリーやケーキだってお目にかかったことがない。
そんなだからパーティーに呼ばれるなんて夢のまた夢。
自分のプレゼントももらえないのに、他人と交換するプレゼントなんて用意できるわけがないっての。
だから、クリスマスは嫌いだ。
自分の孤独が際立つから。
きらびやかな街中を行く、たくさんの人々。
老若男女の誰もが微笑みに包まれている。
きっと、この町を包む寒さも感じないほど、彼らは皆、幸せなのだろう。
腕を組む一組のカップルとすれ違う。
何か良いことがあったのか、はしゃぐ彼女に苦笑する彼。
だが、恋人が微笑むその姿を見詰める目には優しさがあった。
何て、幸せそうだな顔だろう…
俺は素直に羨望する。
現在、俺は彼女無し。
言うまでもないが、クリスマスは恋人達にとっても特別な季節だ。
愛する誰か過ごす“きよしこの夜”
おお、恋人達に天の祝福あれ。
そして、哀しき独り身にも、せめてもの情けを。
…何てな。
そんなアホな願いと共に十字を切られちゃあ、神様だってやってられないだろう。
「…さてと」
人通りも手ごろな場所を見つけ、俺は肩に担いでいたサックスのケースを下ろす。
それは使い古されてボロボロになっていたが、自分で初めて買った、かけがえのない相棒である。
ケースを開けると、ピカピカの真鍮のボディが、夜の街の光を受けて輝いた。
一言でサックスといっても、実は幾つかの種類がある。
俺の相棒は、一般的に「サクソフォン」としてイメージされる、アルトサックスだ。
マウスピースを取り付け、吊り紐を調整する。
「さあて…始めようか、相棒」
パァ…パァン
音階を確かめるように、音出しをする。
よしよし、今夜もご機嫌だ。
空になったサックスケースを、足で人通りに向け、俺は演奏を始めた。
曲目はジョン・コルトレーンの『Naima』
「ジャズの巨人」トレーンが、愛する妻に捧げたという譚詩曲だ。
原曲はピアノとのセッションだが、そこは個人でアレンジする。
サックス特有の甘い音色が、夜の街中にムーディに響いていく。
俺はこうして時々、ストリートで演奏することがある。
別にプロのスカウトの目に止まろうって訳じゃない。
音大には行ってはいるが、プロになるなんておこがましい夢も持っていない。
ただ。
音楽が好きで始めたサックスを忘れないために。
人の目につく場所で「俺はこいつが好きだ」と宣言し続けるそれだけのために。
こうして、夜の街にいる。
行き過ぎる人々も、突然始まった演奏に足を止める。
が、それも一瞬だ。
空のサックスケースが意図するところに気付けば、歯牙にもかけず通り過ぎていく。
…ま、構わないさ。
別に儲けようって腹は無い。
ただ、無心に吹いていたいだけなんだ。
どれくらい吹いていただろう。
エリック・ドルフィーの『Miss Ann』をノッて吹いていると、ふと視線を感じた。
見れば、一人の少女が少し離れた地面に座り込んでこちらを見ている。
目を閉じて集中していたから、気が付かなかった。
年の頃は二十歳前か。
厚手のブルゾンに白いタートルネックのセーター。
赤と黒のチェックのミニスカートに黒のタイツで、俺の真ん前に座っていた。
手には小さな包みを抱えている。
…たまに、こんな客がいる。
大抵は暇つぶしや冷やかしだが。
アップテンポな曲を吹き終えると、少女は少し慌ててパチパチと手を叩いた。
それにぎこちない笑顔で一礼する俺。
暇潰しでも、俺の演奏に足を止めてくれた客だ。
ま、少しサービスするか。
「何かリクエストは?」
そう尋ねると、少女は俺の顔をじっと見ていたが、やがて両手で☆を描いて見せた。
☆?
ああ、と俺は頷く。
そして、おもむろに吹き始める。
曲目は『When You Wish Upon A Star』
日本人には『星に願いを』と言えばなじみ深いか。
ジャズのスタンダード・ナンバーである。
吹き続ける俺を、少女はじっと見ている。
俺は再び目を閉じた。
“When you wish upon a star
Make no difference who you are
Anything your heart desires
Will come to you
If your heart is in your dream
No request is too extreme
When you wish upon a star
As dreamers do
Fate is kind
She brings to those who love
The sweet fulfillment of
Their secret longing
Like a bolt out of the blue
Fate steps in and sees you through
When you wish upon a star
Your dream comes true”
“輝く星に心の夢を
祈ればいつか叶うでしょう
きらきら星は不思議な力
あなたの夢を満たすでしょう
人は誰もひとり
哀しい夜を過ごしてる
星に祈れば淋しい日々を
光り照らしてくれるでしょう”
演奏を終え、目を開けると、そこに少女の姿は無かった。
俺は苦笑した。
こんなのも、よくあることだ。
「ん?」
夜も更け、一通り満足した俺は、サックスをケースに入れようとして、俺は中に何かが置かれているのに気付いた。
拾い上げてみると、淡い桜色のコインだった。
表面には、英語で何か刻印されている。
“Love Bless You”
“あなたに愛の祝福を”か。
こいつは俺への皮肉だろうか。
大方、玩具の硬貨なんだろうが、おちょくられたものだ。
帰り道にある公園のごみ箱にでも叩き込んでやろう。
そう思い、俺はコインをズボンのポケットにしまった。
そして、そのままその存在を忘れた。
----------------------------------------------------
数週間後。
クリスマスイブになった。
入れていたバイトが突然キャンセルになり、俺は暇を持て余す羽目になる。
友人達はほとんどが実家に帰ったり、彼氏彼女とクリスマスを満喫する予定らしい。
構ってもらえる相手もいない俺は、唯一の相棒を手にアパートを後にした。
街は夕闇に沈みつつある。
いつもは穏やかな街並みの光に、クリスマス特有の輝きがあちこちに加わっていた。
その中を、陽の光に照らされて縮こまったドブネズミみたいに歩く俺。
華やか過ぎる街の喧騒に、自分一人が場違いな様な気がした。
「今日はここにするか」
華やかな駅前通りを避け、少し落ち着いた通りを今日のステージにする。
ケースを開け、相棒のスタンバイを進めた。
寒さで指が悴むが、吐息を掛けて凌ぐ。
演奏が始まれば、嫌でも血は巡っていくだろう。
「メリークリスマス、相棒。今夜も頼むぜ」
そう呟くと、俺はマウスピースにキスをする。
そして、そのまま俺は演奏に没頭した。
行き過ぎる人波が落ち着き始めた頃、俺はふと視線に気付いた。
目を開けると、あの時の少女が居た。
今日は白いコートを来て、演奏する俺を見ている。
それを見た俺は、内心ウンザリした。
またか。
こんなにも祝福に満ちた夜に、彼女はまたこの詰まらないストリートミュージシャンを相手に暇潰しをしようというのか。
いいだろう。
こうなりゃ、こっちだって好きなだけ暇潰しに付き合ってやる。
俺は聖夜に似つかわしくない、派手な曲をチョイスした。
どうだ。こんな夜にそぐわない曲を聞かされて、どれだけ耐えられるかな?
意地になった俺は、一通り演奏すると、湧き出た汗を拭った。
彼女はというと…
演奏が終えたのを確認すると、パフパフと手袋のまま拍手をする。
俺は溜息を吐いた。
そして、彼女が置いて行ったであろうあのコインのことを思い出す。
そう言えば、捨ててやろうと思っていたことを忘れて、ポケットに入れたままだ。
いい機会だ。
からかわれっぱなしも癪だし、せめてここで突き返してやろう。
俺は拍手をする彼女に近付くと、手に持っていた桜色のコインを見せる。
それを見た彼女の目が、大きく見開かれた。
「これ、君のだろ?返すよ」
俺がそう言っても、少女は反応しない。
ただ、掌の上のコインを見ている。
俺はそれに少しイラついた。
「…あのさ、聞いてる?」
数瞬遅れて、彼女が俺を見上げる。
何だか、反応がおかしいな?
そう言えば、この娘、俺の演奏が終わった時も…
そして、俺はようやく気付いた。
もしかして、この娘は…
「…耳が聞こえないのか…?」
俺の唇の動きに、少女は何かを読み取ろうと必死な表情になる。
思い返せば。
演奏後にする拍手が、不自然に遅かった。
リクエストを聞いた時も、声ではなくゼスチャーだった。
俺は愕然となった。
なら、何でこの娘は俺の演奏を聴いて…いや、見ていたのか。
立ち尽くす俺の手から、少女はコインを受け取ると、大切そうにしまった。
そして、おずおずと持っていた小さな包みを差し出す。
この前会った時にも持っていたものだろう。
丁寧にラッピングされたそれには、慎ましやかな赤いリボンが添えられている。
「俺に…?」
自分を指差すと、少女は微笑んで頷いた。
ゼスチャーで「開けてもいいか?」と聞くと、再び頷く少女。
そっと包みを開けると、そこには…
「マフラー…」
手編みなのだろう。
蒼い毛糸で編まれたそれは、ふんわりとした感触を俺の手に伝える。
そして、その間に一切れの手紙があった。
少女を見ると、少し俯いている。
俺は手紙を開いた。
“寒空の下でも、いつも熱心に、そして気持ちよさそうに演奏する貴方を見ていました
でも、冬にその格好は寒いと思います。だから、せめてこれを使ってください”
手紙の最後には、少女の名前があった。
俺は手紙を畳むと、そっとしまった。
少女の視線は、俺と足元の道路をせわしなく行き来している。
俺はマフラーを広げ、首に巻いた。
「ありがとう」
短く唇を動かす。
相変わらずのぎこちない笑顔だが、少女には伝わったようだ。
パアッと顔を輝かせる。
それは、街中のどんなイルミネーションより光り輝き、美しいと思った。
「お礼にこれはどうかな…?」
俺は手で☆の形を描く。
それを見た少女は、嬉しそうに何度も頷いた。
申し訳ないが、今の俺にはこれくらいしか返せるものがない。
だがせめて、この娘のために全力で演奏してやろう。
「メリークリスマス!」
俺は相棒を手に一礼する。
少女がそれに拍手する。
そして、二人だけのコンサートが始まった。
冬の空に響くのは、勿論『星に願いを』
それは、静かな祈りに似たSilent Song。
----------------------------------------------------
これは後日の話。
あの桜色のコインには、不思議ないわれがあることを俺は知った。
何でも、
“桜色のコインは、恋の印
それを贈ったり、贈られたりした相手は、あなたの運命の人となる”
という話が、少女達の間で、秘めやかに語られているとか。
チープなおとぎ話だが、恋に多感な少女達の間では、信じられている都市伝説なんだそうだ。
まったく、そうと知っていれば、もっと…その、気の利いた返し方をしたものを。
ともあれ、彼女はそれを知っていて、決心したそうである。
…何をかって?
言わせるなよ、恥ずかしい。
そして、彼女も後で気付いたそうだが、件のコインは、いつの間にか彼女の元からきれいに消えていた。
『たぶん、次の誰かに“愛の祝福”を届けに行ったのかも知れない』と、いま隣りにいる彼女が微笑んだ。
Jingle all the way
Oh, what fun it is to ride
In a one horse open sleigh”
街中に流れる『Jingle Bells』の音楽を聞きながら、俺は一人歩いて行く。
12月。
一年の終わりが近付くこの頃は、もうすぐクリスマスがやって来て、間を置かず大晦日、そして正月とイベントが目白押しだ。
そんな騒ぎに浮かれているのは、生活に余裕がある奴だけ。
アルバイトで食い繋ぐ音大通いの苦学生としては、稼ぎ時ではあるものの、日頃より余計な雑音が耳障りなシーズンでもあるため、気が滅入る。
そもそも、クリスマスにはいい思い出が無かった。
母子家庭の家だったからプレゼントもろくにもらえないし、ツリーやケーキだってお目にかかったことがない。
そんなだからパーティーに呼ばれるなんて夢のまた夢。
自分のプレゼントももらえないのに、他人と交換するプレゼントなんて用意できるわけがないっての。
だから、クリスマスは嫌いだ。
自分の孤独が際立つから。
きらびやかな街中を行く、たくさんの人々。
老若男女の誰もが微笑みに包まれている。
きっと、この町を包む寒さも感じないほど、彼らは皆、幸せなのだろう。
腕を組む一組のカップルとすれ違う。
何か良いことがあったのか、はしゃぐ彼女に苦笑する彼。
だが、恋人が微笑むその姿を見詰める目には優しさがあった。
何て、幸せそうだな顔だろう…
俺は素直に羨望する。
現在、俺は彼女無し。
言うまでもないが、クリスマスは恋人達にとっても特別な季節だ。
愛する誰か過ごす“きよしこの夜”
おお、恋人達に天の祝福あれ。
そして、哀しき独り身にも、せめてもの情けを。
…何てな。
そんなアホな願いと共に十字を切られちゃあ、神様だってやってられないだろう。
「…さてと」
人通りも手ごろな場所を見つけ、俺は肩に担いでいたサックスのケースを下ろす。
それは使い古されてボロボロになっていたが、自分で初めて買った、かけがえのない相棒である。
ケースを開けると、ピカピカの真鍮のボディが、夜の街の光を受けて輝いた。
一言でサックスといっても、実は幾つかの種類がある。
俺の相棒は、一般的に「サクソフォン」としてイメージされる、アルトサックスだ。
マウスピースを取り付け、吊り紐を調整する。
「さあて…始めようか、相棒」
パァ…パァン
音階を確かめるように、音出しをする。
よしよし、今夜もご機嫌だ。
空になったサックスケースを、足で人通りに向け、俺は演奏を始めた。
曲目はジョン・コルトレーンの『Naima』
「ジャズの巨人」トレーンが、愛する妻に捧げたという譚詩曲だ。
原曲はピアノとのセッションだが、そこは個人でアレンジする。
サックス特有の甘い音色が、夜の街中にムーディに響いていく。
俺はこうして時々、ストリートで演奏することがある。
別にプロのスカウトの目に止まろうって訳じゃない。
音大には行ってはいるが、プロになるなんておこがましい夢も持っていない。
ただ。
音楽が好きで始めたサックスを忘れないために。
人の目につく場所で「俺はこいつが好きだ」と宣言し続けるそれだけのために。
こうして、夜の街にいる。
行き過ぎる人々も、突然始まった演奏に足を止める。
が、それも一瞬だ。
空のサックスケースが意図するところに気付けば、歯牙にもかけず通り過ぎていく。
…ま、構わないさ。
別に儲けようって腹は無い。
ただ、無心に吹いていたいだけなんだ。
どれくらい吹いていただろう。
エリック・ドルフィーの『Miss Ann』をノッて吹いていると、ふと視線を感じた。
見れば、一人の少女が少し離れた地面に座り込んでこちらを見ている。
目を閉じて集中していたから、気が付かなかった。
年の頃は二十歳前か。
厚手のブルゾンに白いタートルネックのセーター。
赤と黒のチェックのミニスカートに黒のタイツで、俺の真ん前に座っていた。
手には小さな包みを抱えている。
…たまに、こんな客がいる。
大抵は暇つぶしや冷やかしだが。
アップテンポな曲を吹き終えると、少女は少し慌ててパチパチと手を叩いた。
それにぎこちない笑顔で一礼する俺。
暇潰しでも、俺の演奏に足を止めてくれた客だ。
ま、少しサービスするか。
「何かリクエストは?」
そう尋ねると、少女は俺の顔をじっと見ていたが、やがて両手で☆を描いて見せた。
☆?
ああ、と俺は頷く。
そして、おもむろに吹き始める。
曲目は『When You Wish Upon A Star』
日本人には『星に願いを』と言えばなじみ深いか。
ジャズのスタンダード・ナンバーである。
吹き続ける俺を、少女はじっと見ている。
俺は再び目を閉じた。
“When you wish upon a star
Make no difference who you are
Anything your heart desires
Will come to you
If your heart is in your dream
No request is too extreme
When you wish upon a star
As dreamers do
Fate is kind
She brings to those who love
The sweet fulfillment of
Their secret longing
Like a bolt out of the blue
Fate steps in and sees you through
When you wish upon a star
Your dream comes true”
“輝く星に心の夢を
祈ればいつか叶うでしょう
きらきら星は不思議な力
あなたの夢を満たすでしょう
人は誰もひとり
哀しい夜を過ごしてる
星に祈れば淋しい日々を
光り照らしてくれるでしょう”
演奏を終え、目を開けると、そこに少女の姿は無かった。
俺は苦笑した。
こんなのも、よくあることだ。
「ん?」
夜も更け、一通り満足した俺は、サックスをケースに入れようとして、俺は中に何かが置かれているのに気付いた。
拾い上げてみると、淡い桜色のコインだった。
表面には、英語で何か刻印されている。
“Love Bless You”
“あなたに愛の祝福を”か。
こいつは俺への皮肉だろうか。
大方、玩具の硬貨なんだろうが、おちょくられたものだ。
帰り道にある公園のごみ箱にでも叩き込んでやろう。
そう思い、俺はコインをズボンのポケットにしまった。
そして、そのままその存在を忘れた。
----------------------------------------------------
数週間後。
クリスマスイブになった。
入れていたバイトが突然キャンセルになり、俺は暇を持て余す羽目になる。
友人達はほとんどが実家に帰ったり、彼氏彼女とクリスマスを満喫する予定らしい。
構ってもらえる相手もいない俺は、唯一の相棒を手にアパートを後にした。
街は夕闇に沈みつつある。
いつもは穏やかな街並みの光に、クリスマス特有の輝きがあちこちに加わっていた。
その中を、陽の光に照らされて縮こまったドブネズミみたいに歩く俺。
華やか過ぎる街の喧騒に、自分一人が場違いな様な気がした。
「今日はここにするか」
華やかな駅前通りを避け、少し落ち着いた通りを今日のステージにする。
ケースを開け、相棒のスタンバイを進めた。
寒さで指が悴むが、吐息を掛けて凌ぐ。
演奏が始まれば、嫌でも血は巡っていくだろう。
「メリークリスマス、相棒。今夜も頼むぜ」
そう呟くと、俺はマウスピースにキスをする。
そして、そのまま俺は演奏に没頭した。
行き過ぎる人波が落ち着き始めた頃、俺はふと視線に気付いた。
目を開けると、あの時の少女が居た。
今日は白いコートを来て、演奏する俺を見ている。
それを見た俺は、内心ウンザリした。
またか。
こんなにも祝福に満ちた夜に、彼女はまたこの詰まらないストリートミュージシャンを相手に暇潰しをしようというのか。
いいだろう。
こうなりゃ、こっちだって好きなだけ暇潰しに付き合ってやる。
俺は聖夜に似つかわしくない、派手な曲をチョイスした。
どうだ。こんな夜にそぐわない曲を聞かされて、どれだけ耐えられるかな?
意地になった俺は、一通り演奏すると、湧き出た汗を拭った。
彼女はというと…
演奏が終えたのを確認すると、パフパフと手袋のまま拍手をする。
俺は溜息を吐いた。
そして、彼女が置いて行ったであろうあのコインのことを思い出す。
そう言えば、捨ててやろうと思っていたことを忘れて、ポケットに入れたままだ。
いい機会だ。
からかわれっぱなしも癪だし、せめてここで突き返してやろう。
俺は拍手をする彼女に近付くと、手に持っていた桜色のコインを見せる。
それを見た彼女の目が、大きく見開かれた。
「これ、君のだろ?返すよ」
俺がそう言っても、少女は反応しない。
ただ、掌の上のコインを見ている。
俺はそれに少しイラついた。
「…あのさ、聞いてる?」
数瞬遅れて、彼女が俺を見上げる。
何だか、反応がおかしいな?
そう言えば、この娘、俺の演奏が終わった時も…
そして、俺はようやく気付いた。
もしかして、この娘は…
「…耳が聞こえないのか…?」
俺の唇の動きに、少女は何かを読み取ろうと必死な表情になる。
思い返せば。
演奏後にする拍手が、不自然に遅かった。
リクエストを聞いた時も、声ではなくゼスチャーだった。
俺は愕然となった。
なら、何でこの娘は俺の演奏を聴いて…いや、見ていたのか。
立ち尽くす俺の手から、少女はコインを受け取ると、大切そうにしまった。
そして、おずおずと持っていた小さな包みを差し出す。
この前会った時にも持っていたものだろう。
丁寧にラッピングされたそれには、慎ましやかな赤いリボンが添えられている。
「俺に…?」
自分を指差すと、少女は微笑んで頷いた。
ゼスチャーで「開けてもいいか?」と聞くと、再び頷く少女。
そっと包みを開けると、そこには…
「マフラー…」
手編みなのだろう。
蒼い毛糸で編まれたそれは、ふんわりとした感触を俺の手に伝える。
そして、その間に一切れの手紙があった。
少女を見ると、少し俯いている。
俺は手紙を開いた。
“寒空の下でも、いつも熱心に、そして気持ちよさそうに演奏する貴方を見ていました
でも、冬にその格好は寒いと思います。だから、せめてこれを使ってください”
手紙の最後には、少女の名前があった。
俺は手紙を畳むと、そっとしまった。
少女の視線は、俺と足元の道路をせわしなく行き来している。
俺はマフラーを広げ、首に巻いた。
「ありがとう」
短く唇を動かす。
相変わらずのぎこちない笑顔だが、少女には伝わったようだ。
パアッと顔を輝かせる。
それは、街中のどんなイルミネーションより光り輝き、美しいと思った。
「お礼にこれはどうかな…?」
俺は手で☆の形を描く。
それを見た少女は、嬉しそうに何度も頷いた。
申し訳ないが、今の俺にはこれくらいしか返せるものがない。
だがせめて、この娘のために全力で演奏してやろう。
「メリークリスマス!」
俺は相棒を手に一礼する。
少女がそれに拍手する。
そして、二人だけのコンサートが始まった。
冬の空に響くのは、勿論『星に願いを』
それは、静かな祈りに似たSilent Song。
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これは後日の話。
あの桜色のコインには、不思議ないわれがあることを俺は知った。
何でも、
“桜色のコインは、恋の印
それを贈ったり、贈られたりした相手は、あなたの運命の人となる”
という話が、少女達の間で、秘めやかに語られているとか。
チープなおとぎ話だが、恋に多感な少女達の間では、信じられている都市伝説なんだそうだ。
まったく、そうと知っていれば、もっと…その、気の利いた返し方をしたものを。
ともあれ、彼女はそれを知っていて、決心したそうである。
…何をかって?
言わせるなよ、恥ずかしい。
そして、彼女も後で気付いたそうだが、件のコインは、いつの間にか彼女の元からきれいに消えていた。
『たぶん、次の誰かに“愛の祝福”を届けに行ったのかも知れない』と、いま隣りにいる彼女が微笑んだ。
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