平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ

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3-5 生業の園

第117話 圧倒の果て 2

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(情報通りなら俺がまともにやりあえる相手じゃない。弓だ──)

 大盾を前面に構え立ち塞がるビビットの背を材料に、震える指を整えコンポジットボウを構える。

「さあ……ヤるかいッ!」

 ビビットがこちらの威勢を誇示するように気合を叫ぶ。同時に体内から魔力による揺らぎが滲み、明らかな筋肉の肥大が見て取れる。

 その後背の先では、猛進する巨体に蹴散らされた太さ一メートルはあろう木々がいともたやすく宙を舞っている。

 俺達はEシフト──戦域を拡大させない事に主眼を置いた陣形──を前提に、己に及ぶ致命的な飛来物のみを相手取り敵の動きに注視する。


 身もすくむ咆哮から立ち込める野生の臭い。

 いよいよ森を抜けた魔物が川辺にその姿を露出させ脚を止める。

 見上げる全高が圧倒的質量を主張し、鋭く睨む瞳がこちらを捉える。

 そして間を開けず、膨大な空気を吸引する音が轟き眼前が赤く発光する。

(来るッ……!)
 
 魔物は最大の武器にして特徴であるその長い鼻を一度天高く掲げ、鼻腔から灼熱の眩い閃光を吐き出しながら広範囲を薙ぎ払った。

「まあこれぐらいかねぇ」

 致命的な熱波が迫る絶望の景色のはずが、まるで抑揚の無い落ち着き払った呟きを一つ。後ろを一瞥したビビットが大盾を横長に拡大させる。

 火炎ブレスがビビットを中心に別れ、控える俺達には何の影響も無いまま背にする森の一部だけに火が取り付いている。

 目にした青と橙が入り混じる禍々しい光と背面より伝わる熱量から、もし直撃すれば人間など途端に炭化してしまう、そんな理不尽が頭をよぎる。

『テキッ! テキッ!』
 伝わり来る感情。魔物が鼻を川に打ち付け激しい水しぶきが上がる。

「クッ……情報通り本当に粗暴な奴ですね」

 そして水の抵抗など一切感じさせぬ運びで川を踏み抜きこちらへと迫り来る。

「魔石は鼻の付け根、眉間だ! そこを打ち抜くんだよ!」──

 未だ火炎ブレスの迫力にたじろぐ俺達とは一線を画し、敵の弱点を指示すると同時にビビットが銃弾のように飛び出す。

 肉薄する勢いに対し魔物は前脚を上げ、その目には矮小に映る存在であろうビビットの頭上から容赦なく踏みつける。

 大槌と見紛う二本の脚が大盾を打ち付け、その衝撃から地響きを伴う太く深い衝撃が森を駆け巡る。

「──オウッ‼ 中々のもんじゃないかッ!」

 靴底が地へめり込む。しかしビビットの芯は微動だにせず、さらには微笑する狂気の口角を向け余裕を叫んでいる。

(な、なんだあれ……)

(あんなにも体格差があるのにビビットさんがまるで小さく──いや、対等以上にも見えるなんて……)

 ベテランが示す真の存在感は幻影すら表現してしまうというのだろうか。

 敬意を込めベテラン達を『巨頭』と表する事はあれど、その言葉の意味する実態を目撃した今では軽々に語る事は憚られる想いだ。


 疾走の響き。

「──どっせいッ‼」

 均衡する力場をものともせず、ロングが勢いをつけハンマーで前脚を横薙ぎに叩きつける。

 新たに付属した突起の鋭利が遺憾なく発揮され、魔物は左脚側面から出血。衝撃からバランスを崩し、ビビットから距離を取りロングを睨みつけている。

(ハッ──そうだよな。俺だって気圧されてる場合じゃないッ)

 ロングの一撃から思考を切り替え、頭部を狙いすまし風の矢を放つ。

 狙い通りの位置へ矢は走る。しかし荒れ狂う頭部は直撃を躱し、その大きな耳の一部を抉り取るだけにとどまった。

「ああ、それでいい! あたしに任せてあんた達は確実に詰めていきな!」

 相手を挑発するように大盾を打ち鳴らし魔物へと突進する──。


 下位種の頂点に君臨する巨象、ブルータスノルト。

 比較的冒険者の出入りが多い中域以下の範囲において最大の脅威であり、パーティー構成上不利な場合は、上位の冒険者でさえ即時の撤退を選択する程の魔物だ。

 同じゾウでも地球上で最大種と言われるアフリカゾウの体高は三、四メートルがせいぜいだが、ブルータスノルトの体高の平均は凡そ八メートルにもなり、ギルドの図鑑によれば十メートルを討伐した記録も残る、規格外の大きさを誇っている。

 そして、愛らしい自然動物達とは似て非なる魔物である証。灼熱の炎を自在に操るというところが最大の相違点だ。

 さらにはその身に宿す強みは非常に厄介で、なまくらでは到底歯が立たない硬質な皮膚や、下手な重鎧よりも堅牢な蹄、伸縮自在かつ炎を吐き出す器用な鼻と、あげつらえばキリがない多様な脅威を備えている。

(ビビットさんが釘付けにしてる間にダメージを稼ぐ)

(ロングは要だ。俺は手札を惜しまず徹底して援護に回る──)

 眉間を狙い弓を射る。

 ブルータスノルトの突進。その軌道にはビビットが立ち塞がる。

 ロングは確実なタイミングを見極めハンマーを振るう。

 相手が野生の理不尽を振りかざすのならば、俺達は人間の知恵で対抗する。

 粗暴な荒気性。そこに突破口は秘められている。



 接敵してから幾度もの攻防を繰り返し、その影響から川が歪に変貌する程の時間。

 決定打に欠ける消耗に焦りを感じながら、努めて好機を窺い立ち回っている。

(……そろそろロングの疲労が心配だ。早くケリをつけないと)

 中でもロングの活躍は目覚ましく、ブルータスノルトは弱りつつあるが、手負いの獣は何をしでかすのか予測がつかず危険極まりない。

「──ふぬッ‼ 懲りないねえッ!」

 蹄を受け止める大盾から衝撃波が発せられ森が揺れている。

『テキッ! テキッ!』
 接近戦を強いる相手に対し自らのペースが掴めない苛立ちから、ブルータスノルトはビビットを踏み潰す事に固執している様子で前脚が荒ぶっている。

 だがそれもそのはずだ。通常であれば攻撃の素振りほども表さず悠々と闊歩しているだけで、周囲の生物達はその巨体に恐れおののき道を開け逃げ行く。

 しかし今足元に存在する遥かに質量の劣る小さな生き物は、逃げ出すどころか自身が誇る圧倒的”巨”を易々と受け止め、あろうことか弾き返してくるのだ。

 奴には生来覚えのない体験だろう。現実には巨大にそびえる体躯も、実態としてはビビットとそう大差の無い、虚構からの焦りが伝わってくる。


 均衡を破れずしびれを切らしたブルータスノルトが、ビビットを押さえつけたまま鼻を上に掲げる姿勢をとる。

「マズい、ブレスが──」

 咄嗟に警戒の声を上げる。

 炎を吐きながら鼻が振り下ろされる。

「──ここッッ‼」

 大きな鐘を打ち鳴らしたかのような体の芯まで響く衝突の音。
 
 振り子の動きに合わせ、ロングが地をしかと踏みしめ全身を乗せた強烈な一撃を鼻に叩き込む。

 鼻の側面には穴が開き、その傷口から炎が漏れ出ている。

 すかさずビビットが前脚を押し上げ、巨体が横に倒れ込む。

 俺は凍結効果を生み出す魔石を装着。

 さらにウンディーネ様から授かった液体を操作する権能を使用し、傍にある清流からブルータスノルトの脚をめがけ水をかける。

 そして水気を帯びた脚目掛け魔石の魔力が尽きるまで連続して矢を放つ。

 すると太く重々しい脚は厚い氷に覆われ、地に固着され自由を奪われる。

「ロング! 今だッ!」

「はい‼」

 ロングが頭部目掛け飛び上がりハンマーを振り下ろす。

「──なッ?!」
 しかし横たわる姿勢のままブルータスノルトが首をもたげ鼻を振ありあげる。

 空中で咄嗟に防御姿勢をとるロングが鼻に煽られ吹き飛ぶ。

「ウグッ……」

 くらむ頭をなんとか持ち上げ、膝をつき立ち上がろうとよろけている。

「ロング‼」

 荒々しい氷が軋む音が聞こえる。

(氷が割れる⁉ クソ、なんて馬鹿力だよッ!)

(どうする……気を失う──いや、迷ってる暇はない!)

「リーフル!」
 ここが勝負時と抜刀し駆け出す。

「ホッ‼」
 リーフルが俺の呼びかけに応え、刀身が青の光を帯び始める。

(鼻、脚。とにかく一つでも相手の武器を奪う──)



「──待ちなヤマト」

 ビビットが突如として俺を制する。

「ビ、ビビットさん……?」

「そろそろ終わらせちまうかねぇ……」

 大盾をその場に残し横たわるブルータスノルトへと歩み寄っていく。

 そしておもむろに鼻を掴み上げる。

「あんたが自慢のその巨体も、横になっちまえばただの丸太と同じさねぇ」

「ほら、どうした。最後に炎でも吐いてみな。そしたらあんたとあたしらの格の違いってやつが認識できるだろうよ」

 鼻腔を自身に向け挑発の言葉を言い放つ。

『テキッ‼』
 ブルータスノルトが炎ブレスを吐き出す。

 しかしビビットの手で覆われた鼻腔から炎は見えず、ロングが開けた側面の傷穴から炎が噴出した。

(なっ……素手で炎を……)

「ハッハッハッ! だから言ったろう」

「いやぁそれにしても、さっきの一撃はかっこよかったねぇ……」

 どこか楽し気にそう言いながら、鷲掴む鼻を頭部もろとも地面に叩きつける。

 そして眉間に歩み寄ると、拳を振り上げ力任せに殴りつけた。

 鈍い衝撃音。

 魔石が砕ける音と共に、拘束された脚から聞こえていた氷の軋みが鎮り返る。

「フゥ……お疲れさん! いい稼ぎになったねぇ」

 手を払い腰に手を当て爽快な笑みを浮かべている。

「なん……これが、ビビットさんの力……」

 気付けば剣の握りを解けぬまま、その振る舞いに目を奪われいた。

 いつもの柔らかな表情が、横たわる巨体を背にこちらを向いている。

 あれは俺がよく知る、優しく朗らかで時に控えめな一面も見せる、親しみ深い先輩冒険者、ビビット。

 その姿がそこにあった。


「お疲れさま~。お茶の用意しておいたわよ~」

 ふいに後方から気の抜けた声がこだまする。

 声のトーンに違和感を抱きつつ振り返る。すると、休息を取っていた時と同じように丸太椅子や焚火が用意されたくつろぐ為の空間が目に飛び込んで来た。

「ちょ……お茶が、じゃないですよ! 今まで一体──」

「イテテ……そういえば、戦闘に入ってからベルさんの姿を見て無いっすもんね……」

 珍しく少しの苦みが感じられる声色でロングが呟いている。

「ロング! ありがとな。ロングの力じゃなきゃあいつの馬鹿力には対抗できなかったよ」

「くふふ……褒められたっす」

「とにかく休もう。ほら、これ飲んで」

 異次元空間からポーションを取り出す。

「ありがとうございます」

「──それとベル。今回ばかりは看過出来ませんね。一体どういう事ですか」

 未だ残る戦闘の興奮も相まり、怒気を孕む言葉を投げかけてしまう。

「え~だってぇ、あなた達だけで十分だと思ったし」

「ヤマト、ロングちゃん。二人共いい線いってると思うわよ、ふふ」

「な、なんですかそれ……万が一を考えて行動しないと! ましてあんな巨大な魔物が襲って来たっていうのに!」

「無事討伐出来たのは運が良かっただけ……それとも、比較的弱い個体だったからかもしれないっすよ……」

「万が一なんて無いわ」

 突如真剣な顔つきに豹変したベルが力を込めて言い放つ。
 
「あなた達、このパーティーのタンクを誰と心得て?」

「え……?」

「長いその役回りの歴史おいて未だ打ち崩した魔物はいないとされる、サウド支部において最も厚い壁の一人。それが『真壁』ビビットよ」

「あんなゾウ如き、あなた達の連携も加わるんだから私が力を奮うまでもないわ」

 絶大な信頼が窺える付け入るスキなど無い語りが、先程の戦闘で目にしたビビットの存在感を彷彿させる。

「それに先は長いんだから、今はあなた達のケアに回った方が賢明でしょ~?」

 そう言いながらおもむろに木から何かをはぎ取るような動作をした。すると、たちまち近くの木が枯れ、同時にベルの両手に魔力の球が二つ出現した。

 その球は次第に虹色の薄い膜へと変容。大きなシャボン玉のような形になり、ビビットとロングを包み込んだ。

「わわ! な、なんすかこれ」

 ロングがの耳が萎れ困惑している。

「ふふ、安心して。体力の回復を助ける魔力の衣よ」

「ふぅ……助かるよ」

「──ああそうだ、言い忘れてたねベル。真壁は辞めたんだ。あたしの二つ名は『最硬』に変わったんだよ」

「え~なによそれぇ……なんだか締まらない響きに変えちゃって。どうしたのよ突然」

「そ、それはまあ……そのぉ……」

 ロングを一瞥し、言い淀む。

「ん……? はは~ん……随分とまあ、甲斐甲斐しい事ねぇ」

 何かを悟ったように少し意地の悪そうな表情を向けている。

「はぁ……なんだか体がポカポカして気持ちいいっすね……」

 ロングが足を広げ座り、魔力からなる衣を興味津々とつついている。

(色々と言わなきゃいけない事はある……けど今は休息を──ん?)

 訪れた弛緩の空気に安堵し、ふと森へ目を向けると、先程の戦闘の名残からなる燃え跡や瓦礫に紛れ、ストークスパーダーと思しき体が三体ほど転がっている様子が見えた。

「あの、ベル。あれって……」

「あ~あれ? せっかく私のお気に入りの活躍を鑑賞する場なのに、お邪魔虫なんて興ざめじゃない」

(露払いを……)

「ハハ……素直じゃないですね、まったく……」

「ホゥ……ホーホホ(タベモノ)」

 共感するリーフルがいつもの『おやつ』を呟いている。

「うん。リーフルもありがとな」

 腰を下ろし飴を取り出す。

「ホ……」──んぐんぐ

  巨象の咆哮は虚空に消え、一帯に静寂が戻った。
 
 しかし勝利の余韻は程々に、最後の休憩所を目指し再び歩き始める。
 
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