夜叉の檻

つきしろ ほとり

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一章

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「おっはよーございます!」
「彼方ちゃんおはよぉ。あれ?」
「おはよう、灯華ちゃん」
「おはようございます。織香さんも一緒だぁ、特別任務か何かですかぁ?」

朝礼後の事務室。事務用の机が数個並び、その奥には小さな打ち合わせ室へと通じる扉。現在の事務部所属隊員は斑目含め四名であり、人員は決して十分な数とは言えない。
そもそもこの事務室は現在所属している隊員を全て集めても尚、空間に余裕がある。毎朝の朝礼を行い、休憩室も兼ねている為円卓が数個と椅子が備えられていた。昼食は外食で済ませる隊員が殆どだが、時折料理が得意な団員――織香や新羅、彼方が該当する――が自室の台所で作った手料理を披露する事もある。
それ程に広い事務室から仕切られた手前、入口付近には雰囲気の良い応接間と、お茶菓子や隊員の湯呑が置かれた小さな給湯室が並ぶ。茶菓子は全て春から預かった経費を握り締めた灯華の独断だ。
毎朝の日課、事務部に所属する職員達に茶を配っていた灯華は、日頃この時間に事務室に居る事はまず無い織香の姿を見て、盆を置いて彼女の腰元に抱き付いた。軽やかな羽の様な動作に合わせて洋風の隊服が揺れる。織香はあらと小さく声を零してから笑い、灯華の黒髪を撫でる。

「今日はお付きに彼方ちゃんを連れて歩く事になったの。その打ち合わせをしたくて。打ち合わせ室、空いてる?」
「九時までなら空いてますよぉ。一日織香さんと一緒っていいなぁ、灯華も受け付けじゃなくて織香さんと一緒がいいなぁ」
「受付も大事な仕事よ、看板娘。灯華ちゃんの評判が良いと私も嬉しいわ」
「そうだよ、私だってお仕事で身辺警護、だからね!灯華ちゃんは昨日、ほのかさんとお茶してきたんでしょう?私だって羨ましいよ」
「ね。本当は私も一緒に行く予定だったんだけどね」
「そうですよぉ!灯華、織香さんとも一緒に行きたかったぁ!」
「じゃあ、今日のお昼は三人で食べましょうか。奢ってあげる」

きゃあっと、彼方と灯華の歓声が上がる。はしゃぐ二人を見て織香も柔らかく微笑んだ。
何処に行こう、この間可愛いお店を見つけた、何が食べたい等きゃいきゃいと姦しく華やぐそこに、事務室にやってきた一夜が顔を顰めている。

「お前ら、朝っぱらから騒いでないで仕事しろよ」
「あっ、いっちーおはよう!」
「おはよう一夜」
「はよ」
「灯華は始業時間まだですもん。一夜さんもしや、美女三人でご飯に行くのが羨ましいんです?」
「なんでそうなる。お前は俺の分の茶を入れろ。織香、午前中に医療部に顔出せ。昨日の経過見せろ。お前常に顔色悪いから体調の所為なのかそうでないのか、解りにくいんだよ」
「解りました。態々捻くれた言い方しなくても、心配してくれてるのは解ってるわよ」

はいはいと灯華が身を翻すと、織香は彼方を連れて事務室奥の打ち合わせ室に入る。ひらひらと片手を一夜に振りながら。
その様子をまじまじと眺めていた事務所内の視線が、一つ。片眼鏡の女性が椅子の背凭れに細い背を預けた。

「いいわよねぇ。ああしてきゃっきゃしながら、私達よりお給金貰ってるんだもの」

溜息をつきながら万年筆を投げ出す唐草からくさ琴子ことこ。密やかながら不躾な彼女の視線は、部屋の反対側の一夜と灯華に移り、二人に自身の声が聞こえない様な微妙な音量で呟いた。

「技能手当とか色々ありますから、仕方ないですよ。特務は危険任務手当とかもつくんですよね、確か」

琴子の言葉に手を止めず、苦笑しつつ書面に判を押しながら一枚ずつ紙を捲る、新咲にいざき野々のの。垂れる黒髪を耳に掛け、慣れた手付きで丁寧にハンコを押していく。
新咲財閥という中央都市部でも有数の名家の血筋の生まれでありながら性分は大人しく控え目であり、日頃は黙々と書類と向き合っている姿が印象的。それでいて姿勢や仕草からは確かに上流家庭の育ちが見て取る事が出来る。
野々の対面、琴子の右隣。同じ様に書類を捲っていたほのかは琴子の言葉に一度ぴくりと肩を揺らしてから、小さく愛想笑いを浮かべる。

「普段は見回りだけだけど、それに見合う仕事をしてるって事だから……」
「そうね、仕方ないわよね。生まれつきの能力で給金が決まるっていうのは」
「ははは……」
「でもちょっと、不平等だなぁとは思っちゃいますよね。琴子さんの言う事も解ります」

――この「夜叉」内では、魔力を扱う事の出来る「能力者」と扱う事の出来ない「非能力者」との扱いは明確に分かれていた。
生まれつき持つ者持たざる者が分かれるそれ。入隊時に試験とは別に能力判定を行い、魔力を扱う素養の有無、そして身体能力、戦闘能力を測る。判定を通り、戦闘面に優れていると判断された隊士は特務へ、防衛術、回復術に優れた隊士はそれぞれ防衛部や医療部へ配属される。
能力を持たない事務部の彼女らも非力ではあるものの、身体能力、戦闘能力判定の代わりに、座学判定や業務処理判定等の厳しい入団判定を通り抜けていた。
どの部署に所属したとて、政府直属故中央都市随一の誉。高い給金と得られる名誉は三代先まで語り継がれると謳われ、地方からも入隊希望者が絶える事は無い。
それでも。日頃は中央都市部の見回り業務が主立ちつつ、個々様々な能力を操り、政府要人護衛や罪人確保等危険を伴う任務を負う事になる特務は際立った花形部署だ。
そして何事にも、例外は存在する。

「そういえば、三十木さんは魔力素養はあるのよね?どうして事務部の所属なの?」

琴子の笑顔に、ほのかがひくりと手を止めた、その時。


「やめなよ、そういうの」


真っ白い指がほのかの肩に乗った。


「能力の有る無しは仕方ないでしょ。私達はその分、危険な仕事だってしてる。ほのちゃんだって自分の出来る事を仕事にしてるだけなんだから、そんな風に言われる筋合い無い筈。ちょっと出来る事が多いだけでしょう」

色素の薄い前髪の下から、鳶色の瞳が琴子を、野々を睨みつける。
防衛部隊長にして唯一の隊士、紺咲こんさきまといの姿を見た野々はさっと青ざめ、押し黙った。
対して琴子は眉を顰め、彼女を睨み返す。胸元まで伸びた薄茶色の髪が和風の隊服に乗る。鳶色の大きな瞳が気の強さを強調しながら、それでも人間的な幼さを窺わせる。
きっぱりと物を言う薄い唇。凛と立ち振る舞う若い部隊長の言葉を、ほのかは視線を彷徨わせながら聞いていた。
その様子を受け、琴子は唇に笑みを形取った。漆黒の長い髪を高い位置で結わえ、洋装の隊服に片眼鏡。そのの奥、少々気位の高い印象を与えるその目じりを下げる。その瞳の表情は兎も角、下げる。

「嫌だ、虐めてた訳じゃありませんよ。誤解なさらないで下さい、雑務中のちょっとしたお喋りです」
「ちょっとした?人の能力を論って、詮索する事が?」
「確認までにお聞きしただけですよ」
「確認までに?この話の流れでほのちゃんの能力に言及するって事は」
「でもそうですか、此処では危険な仕事が出来ないと、評価がされないんですか?」
「そんな事言ってない!」
「お言葉を返すようですが、先程の紺咲隊長の言葉はそう聞こえましたが」
「私達は当然お給金に見合った仕事をしているまでであって、それは唐草さん達も同じでしょう。それを態々あんな嫌味な言い方しなくても――」
「おい、どうした纏。何揉めてるんだよ」

異様な雰囲気を見かねた一夜が声を掛ける。気付けば奥の打ち合わせ室から織香も険しい表情を見せ、織香の背後に控える彼方、そして一夜の湯呑を持ったままの灯華も、心配そうに纏と琴子を見つめる。
遂に居た堪れなくなったのか、ほのかががたりと立ち上がった。

「す、みません。お騒がせして。何でも無いんです、本当に。私がぼうっとしてて、唐草さんのお話に返事が出来なかっただけで」
「ほのちゃん、」
「纏ちゃんも、ね。始業時間になるから。もう」
「ほのか。俺は纏と唐草さんにどうしたって聞いてんだよ。何も無いなら二人共、あんなデカイ声で言い争ったりしないだろ」

一夜の一括に、更に小さくなって押し黙るほのか。
踏み出した織香を一瞥すると、一夜は溜息をついて項を掻いた後、纏、と呟く。


「隊則忘れたのか、隊中悶着御法度。お前、俺と来い。唐草さんは織香に」
「……わかった」


しぶしぶと言った調子で、一夜と纏は事務室を出る。
途中、一夜は立ち竦む灯華から湯呑を奪うと、後で自分で洗うからお前はそろそろ仕事しろ。と灯華の頭を軽く叩いた。
それを見送った織香は俯くほのかの肩をぽんと叩き、唐草さん、と静かに、有無を言わさない笑みを琴子に向ける。琴子は一瞬僅かに眉を顰めながらも黙礼すると、打ち合わせ室へ歩いていく。
ほのかの肩から、紙切れが一枚ひらりと落ちた。

「何でもないそうだから、皆は仕事を続けてね。彼方ちゃんは、事務室の外で少し待っていて」




「――へ。唐草さんが、三十木さんを?」
「らしいよ。織香の唐草女史からの弁明待ちだけど。勘弁して欲しいよなぁ、女のゴタゴタは。朝っぱらからよーやるわ」

時間は少しだけ進み、場所は日の差し込む医療部隊長室に移る。
ベットに倒れ込む一夜をソファから眺めていた春は、なんでまた。と呟きながら隣で膝を抱える纏に視線を移す。

「……裏出から入ったら、丁度唐草さんと野々ちゃんが給金がどうのって話してて。面白くないなぁって通り過ぎようと思ったんだけど、矛先がほのちゃんに向いたから」
「だからって喧嘩売る馬鹿居るかよ。お前成長しろ。ほのかだって困ってたろ」
「まあまあ。纏ちゃんは、三十木さんを庇いたかったんだろう?ありがとうね」
「ううう、春さんは優しい。一夜、春さん見習ってよ」
「あら、隊長が勢揃いね」

一夜が溜息を吐くのと同時、織香がにこやかに医療部室に入った。
纏の隣、春の反対側に腰を下ろすと、にこにこと一夜に茶を急かす。

「あーはいはい。うちの女共は全く……」
「うう、織ちゃぁん。散々だよ、昨日は変な蜂が入ってたって話もあったし。体調も悪くない出力だって変えてないのにぃ」
「はいはい。お疲れ様、纏ちゃん。お昼食べたらお土産買ってくるわよ、何がいい?」

身体を丸めたまま、こてりと織香の膝に寝そべる纏。おせんべ、と小さく漏らすその頭を慈しむ様に撫でる織香の表情に、春はふっと吹き出した。

「織香さんと纏ちゃんも、随分仲がいいんだね」
「そうよ。この子、私の教育係だったんだもの」
「逆では無く?」
「纏ちゃんの入隊がずうっと先。一夜と纏ちゃんが、同日に入隊したんだものね」
「そうだよ。あんな仏頂面と一緒に入ったから、私も苦労したよ」
「こっちの台詞だ糞アマ。何度お前の尻拭いをした事か」
「へえ。所で織香さん、僕も失礼しても?」
「隊則を乱さない程度ならどうぞ?」
「こら待ておい!医療部室を乱交場所にすんな!」

ダンッ、と大きな音を立てて湯飲みを置く一夜。織香の肩に凭れようとしていた春は、冗談だよと楽しげに笑みを零す。
後ろ髪だけが首筋に流れる程度に長く、後二年経てば四十を数えるとは思えない均衡のとれた長身を洋風の制服に隠し。それでいて一見、どこの貴族かと見紛う程の甘いマスクに茶目っ気を載せて。
夜叉入隊はこの場の面々の誰より遅く、しかし所属者最年長を誇る彼は、改めて脚を組み替えた。

「――さて、と。織香さんに茶も入った事だし、話を進めようか」
「ええ。……纏ちゃん、人払いをお願い出来る?」
「うん?わかった。ええっと、今医療部室の前に居るのは……」
「彼方ちゃんよ。今日一日私のお付き。彼女には事情を説明してあるから、彼女は含めなくていいわ」
「入れても良いんじゃね?」
「……誰か来たら呼び鈴を鳴らしてと、話してあるわ。だから含まないで大丈夫」
「わかった。――……効果は半刻。結界内対象は、斑目春、朧織香、千弥一夜、そして私、紺咲纏。間違いは無い、よね。――座標確認、認証終了。開始します」

寝そべったままの纏が、手首に付けた鈴。それが凛と凪いだ瞬間。何処からとも無く現れた光の粒子が医療部室内で草花を編む様に絡まり合い、そして消えていく。
風景に解けていくその光景が室内の天井までを包み終えた直後。唯一の出入り口に控えているはずの彼方の気配も、その他の気配も。何もかもが消え去った。

「さてと、纏ちゃん。唐草さんが三十木さんに、その。やっかみをぶつけようとした所に、纏ちゃんが仲介に入った、そうだね」
「……うん。春さんの言う通りで間違い無い」
「琴子さんの言い分は?」
「……それがね、その……。困った事になったわ」
「何だよ」

妙に歯切れの悪い言葉に、一夜が先を促す。織香は一度お茶で唇を湿らせ続けた。

「……彼女の言葉、そっくりそのまま伝えるわね。十五分程話したけれど、ほとんど繰り返しだったわ」
「ああ」
「纏さんが私達の雑談を誤解しただけ。虐める意図も何も無い。それにそもそも――……事務作業を"特異能力者"を交えて行う事、それでいて支払われる給金に差がある事自体、理解が難しく不服だ、と」
「……え、はぁ!?」
「あー……」

目を見開いて勢い良く起き上がった纏は、織香の目を覗き込み嘘でしょ、なんで、と呟きながら瞬く。一夜は盛大な溜息と共に、面倒くさい事になったな、と吐き棄てる。
春だけが、織香の話を吟味する素振りを見せ、ややあって左手首につけた華奢なバングルに語り掛けた。

「――三十木さん、斑目です。聞こえていたら業務を続けたまま、僕の言う書類を医療部室へ"移して"欲しい」

その様子を見ながら、織香はぽつりと核心を呟く。


「……唐草さん、どうしてほのかちゃんが"特異能力者"だと知っていたのかしら。――知る筈の無い、重要機密なのに」





朝の出来事以来、事務室内は静寂に包まれていた。
灯華が受付業務に回っており、織香と共に打ち合わせ室から出てきた琴子は黙々と作業を続け、野々がそんな彼女に脅える様に時々視線を走らせながら、仕事を続けている。

(また、やってしまった)

ほのか自身も仕事等手につく筈が無かった。
思えば幼い頃からこうなのだ。要領の悪さ故、こうして周りを巻き込み、関係を捩じりややこしくしてしまう。
政府官僚や管理職、各術師の名家が集う中央都市の中でも外れも外れ、無意識のうちに積み上げられた住民達の階層意識、それの最下層に値する家に生まれた。それでも両親は小さな八百屋を営み、ほのかと弟を育ててくれた。
決して裕福な生まれではないほのかが学校に通い、家業に必要な数字の計算のみでは無く、文字の読み書きから更に高度な学問を学べたのは単に、両親の愛情あっての事だ。

――ほのかは、父さんと母さんには勿体無い授かり物だ。才能を活かして、もっと沢山の世界を見て。父さんと母さんに教えてくれ――

辛い事があれば、父のこの言葉を思い出した。
才能。持って生まれてしまった物。本来両親から受け継ぐ筈の魔力。能力者という生き方。
彼女、三十木ほのかは。それを突然変異という形で生まれつきに得た事で、更に稀少な「特異能力者」という肩書きを持っていた。

稀に見られるこの突然変異という現象。本来の「能力者」とは少々異なる能力を持って生まれる事が多く、彼女も其れには違わない。
確かに両親が「才能」と評するこの力のお陰で沢山の事を学べた。夜叉に入り、彼女と同年代の若人と比べて頭一つ抜きん出た額の給金を貰い。年老いた両親に楽をさせる夢も叶っていた。
だがどうにも、人の目に脅える癖があった。
魔力は基本的に代々受け継がれるモノであり、受け継ぐ家庭は何かしらの形で成功し名声や富を得ている事が多い。
例えば、十数代もの間この国の統治者「帝」の護衛任務を果たしてきた指定剣術家「時雨」の次期当主、時雨文嗣。
例えば「札術」の開発に大きな功績を残した指定札術家「千弥」の三男、千弥一夜。例えば、例えば。
本来なら最下層、八百屋の娘として生まれた彼女が、人生で一度二度見掛ける事が出来るか出来ないか。ここはそういう人間が当たり前に闊歩する場所なのだ。
そんな場所に所属しながら。加えて、「特異能力者」という肩書きを持つ人間は極稀。だからなのか、はたまた生まれ持った性質か。人の目を否が応でも引いてしまい、そして、気にしてしまう。

――そういえば、三十木さんは魔力素養はあるのよね?どうして事務部の所属なの?――

ほのかちゃんはみんなと違うからあそんじゃダメって、おかあさんがいうの。
いいなあ、魔力があればべんきょう、らくでしょ。
能力者なのにこんなこともできないの?
あなたはわたしと、ちがう存在なのよね。

皆、みんな。能力を持たない両親から、能力を持って生まれなければ、能力さえなければ投げられる事の無い言葉なのだ。
まず今朝の琴子の言葉が。それから次々と、幼少期から少女期に受けた言葉が、脳裏を巡る。その時だった。


――三十木さん、斑目です。聞こえていたら業務を続けたまま、僕の言う書類を医療部室へ"移して"欲しい――


脳裏に、優しい低音が響く。
はっと意識を切り替え、その声が春の物だと気付いたほのかは、周囲に気取られない様にそっと、懐中時計に触れた。
朗々と脳内に響く、春が欲する書類の所在。意識を集中して、無論事務室の机についたまま。書庫の指定された資料室からその一枚を抜き取り、医務室へ"送る"。

――確認したよ、ありがとう。助かりました。はは、三十木さんの能力はやはり、此処には不可欠だよ。――

柔らかい声はそれきり途絶えるも、疲弊したほのかの脳裏に、僅かに余裕が生まれる。

(……そうだ、仕事。頑張らないと)

小さく畳まれた、先程肩口――織香の手元から落ちた紙。其れは、以前織香と此処の定食が食べたいと話していた店の地図の切り抜きだった。
小さな八百屋の生まれでも、例え別の生まれであったとしても。此処には当たり前の様に、ほのか自身を認めてくれる仲間が。確かに居るのだ。



――三十木ほのかの特異能力、「刻送」(こくそう)。
固体、液体、波形を問わず。彼女が任意に選び取ったモノを、同じ時間軸の任意の場所へ送り届ける能力。
質量は彼女の体躯の半分に制限されるものの、その移動可能距離は中央都市の半径とほぼ等しく。彼女の魔力を込めた術具も、"任意の物体移動"という彼女と同じ能力を持つ。
当人、術具問わず。公用書類の制作をも能力使用を許可される程に、精密である。――





「……ああ。引き続き書庫の捜査を頼む。やはり便利だなあ、このバングル。隊員皆に配りたい位だ」
「隊長格に配るのが限界よ。それで、春さんと纏ちゃんはなんて?」
「書庫に侵入の形跡は無し。引き続き調査を依頼した。……さて、待たせたな。君達四名を此処に呼び付けた理由を明かそうか」

また時を送って、総隊長執務室。織香を背後に控えさせた文嗣が、集めた隊士四名をぐるりと見渡す。柔かな笑みはそのままで。

「事務部隊士、唐草琴子に複数の隊則違反、離反の嫌疑有り。君達は本日午後一時より、その真偽を探って欲しい」

告げられた命に、集められた四名の特務所属の隊士は皆それぞれ、困惑の色を見せる。

「えっ?唐草さんって、あの事務の唐草さんですよね?離反って何でまた」
「違反……」

真っ先に口を開けたのは、想。文嗣に詰め寄る彼の隣では、彼方がまるで助けを求める子犬の様な、縋る様な瞳で織香を見つめ、どうして、と小さく洩らす。織香は黙ったまま微笑んでいた。

「唐草って、最近入ったあのオバさんだろ。本人に直接聞きゃいいじゃねえか」
「黒切」

文嗣が笑顔のまま、壁に背を預ける隊士を向く。諌める声音。彼、黒切くろきり兼弌かねひとは面白く無さそうに眉を寄せるものの、文嗣の奥、織香も笑顔で自分を見ている事に気付くと、気まずそうに腕を組んで咳払いをした。
琴子と織香の歳は織香が下ではあるものの、三つしか変わらない。


「…………最近入ったオネーサマ、だろ。本人に直接聞きゃいいじゃねえか」
「どうもそういう訳にもいかないのよ。彼女、閲覧権限を持っていない筈の機密事項を知っていたの」
「確認までに。それは我々が聞いて差し支えない内容ですか?」
「すまんな新羅、伏せる」

想の横に控え太刀を帯刀した青年は、文嗣の言葉に相解りました、と浅く頭を下げ、その後織香に向き直る。
頭を下げた拍子に、左耳につけられた耳飾りがちりちりと鳴った。

「副長。機密事項を知っていた、というのは確かなのですか」
「ええ。私との会話で何度か繰り返したわ」
「繰り返した?しかし本人に問い質す事が出来ない、そう言った認識で?」
「違いありません。私が何度も趣旨を変えて会話をしても、何度も機密事項を繰り返していたので、詰問は無駄だと判断しました」
「……知っちゃいけない事を知ったら、そんな風に喋りませんよね?」
「俺も、そう思うんだけど……」
「彼方女史や想隊長の仰る通りです。隊則、機密事項の扱いについては勿論唐草女史にも説明が為されている、という認識で良いですか」
「勿論。彼女にも入隊時に隊則や機密事項について説明しています。事務部への入隊、書類の取り扱いが主だった仕事なので、特務の貴方達よりずっと丁寧に説明がが為されているわ」

これがその同意書です、と四人に一枚の書面を見せる。堅苦しい文面で隊則について、機密の扱いについて同意する文面の下部には、確かに流れる様な美しい文字で入隊日と彼女の署名がなされていた。

「洗脳の類や何かしらの術が掛けられている事を懸念したけれど、一夜隊長の話ではそういう雰囲気でも無いそうよ」
「面妖な話ですね。……唐草女史は事務部に勤務しております、隊中の書類に触れる機会は多い。偶然目にした可能性は」
「有り得ません。彼女の知っていた機密は重要機密、閲覧には、「己」(つちのと)の権限が必要です。つまりは総隊長時雨、事務部隊長斑目、そして副総隊長である私、朧の三名以外は閲覧すら不可能。他の隊長格にすら、有事の際人払いを済ませた特定室内での口頭伝達のみが許可されています」
「へえ、己権限の。唐草女史、若しくはどっかの誰かさんが、隊員の個人情報を嗅ぎ回ってるって訳かい。そりゃ確かに面白くねえな」
「己の権限となると、本人すら無暗矢鱈に触れまわる事は許されない……成程」

依本よりもと新羅しんらと呼ばれたその男。男性にしては長い後ろ髪を一つに纏め、腕を組んで。左の耳元に大きな耳飾りが垂れ下がり、指先で軽く叩く腕も身体も男性としては華奢で、見た者に神経質な印象を与える。
その後ろに控える兼弌はくあっと欠伸を浮かべると、頭を掻きながら壁から背を離す。筋肉質な所為か体躯こそ大きく見えるものの、表情は少年のそれそのもの。彼は新羅の肩をぽんと一つ叩くと、振り向いた新羅の頬をふにっと突き、笑顔を浮かべた。

「そう難しく考えなさんな。様はこのひよっこ二人を連れて唐草の様子を見張れって。外部、ないし内部の怪しい人間と接触しちゃいねえか見張れって事だろ」
「……まあいい。相違有りませんか、総隊長」
「相違無い」
「因みに、何故この四人で」
「交代制って事だろ?見回りも被ってねえ、同性の彼方も居る。簡単な任務じゃねえか。その癖腕利きを揃えたって事は、簡単な割に胸糞悪くて反吐が出るけどよ」

唇の端に笑みを浮かべ、自身を睨む兼弌に。文嗣もまた笑ってみせた。
新羅が成程、と呟き、二人に倣って笑う。

「唐草女史と外部内通者、若しくは内部共犯者に不審な動きあらば拘束。最悪の場合、……そういう事になり得る、と」
「ご明察」
「副長様よ。隊長格半数以上の許可は取れてんのか。ウチの隊長様は初耳だって顔してんぞ」
「……現時点、隊則十七条「情報閲覧」に違反。隊則九条「情報流出」、そして隊則五条、「謀反不許」に抵触の可能性が有り、」

織香は喋りながら、更に文嗣の前に一枚の書面を置く。
其処に纏、春の署名と捺印を確認した四名は、各々に表情を変える。
想は青ざめ、彼方は更に困惑し。兼弌は口元に笑みを浮かべ、新羅は右眉を上げた。

「既に防衛部隊長紺咲纏、事務部隊長斑目春から、隊士、唐草琴子の素行調査、拘束の許可を得ています」

そこで一度言葉を区切り、想の目を覗いて微笑む。

「――山査子隊長。今貴方に、許可の是非は問いません。後一人隊長格の許可が下りれば抜刀許可が下りる。一夜も同じ様に迷ってる。彼は、先に自分が出来る調査をすると言っていたわ」

文嗣が立ち上がった事を察し、織香は彼の後ろに控える。
彼は想と彼方の肩に手をやると、二人の目をしっかりと覗きこんだ。

「……常々私が言う通り、隊士達は皆家族だ。私は今からお前達に、家族を疑えとそう言う。辛い仕事を任せる事になる。
――覚えているか。数年前、沢山の家族を失ったあの悲劇を。私達は繰り返してはならない」

彼方が静かに、息を呑んだ。


「彼方。色々頼んで悪いな」
「そんな、大事なお仕事を任せて頂いて、光栄です」
「そうか。想。お前に伝達が遅れて悪かった」
「あ、いえ。俺、私は、見回りの朝番に入っていたので。招集が掛かっても、出られませんで」
「そうか、そうだったな。……お前か一夜が、隊長としてこの書面に意思を記せば。私達の誰かが、――唐草琴子を粛清する事も有り得る」
「……はい」
「お前達が見極めろ。頼んだぞ」

そうして彼は、花紺青(はなこんじょう)の外套を背負う。
隊長格の漆黒とも、無論他の特務隊士の紺色とも違うそれは、決して自身が血を被る事は無いと、そう家族を信じた証。
されど項の辺りには、他の隊士の外套と同じリンドウの花の紋が添えられていた。

「総副隊長朧。決定に相違は」
「有りません。総隊長のご随意に」
「為らば万事良し。――我ら鬼に、そして御上に。刃向かう愚か者が居るならば。羽織の青花の元に、君達の忠義にて切って見せろ」
「応」
「承知」

夜叉特務鬼の二振り。黒切兼弌、依本新羅。彼らは揃って、鬼と成る事を誓った。

「……叶うなら。お前達の手腕で、私達の家族の無実を、どうか証明してくれ」
「解りました!」
「――了解!」

ややあって、想と彼方も勢い良く返答した。







――父は政府官僚。中央都市内の教育機関の管理部署に、もう長年勤めている。母は地方の小さな神社から嫁いで、この中央都市にやってきた。
残念ながら、自身と妹に魔力は備わらなかった。母の持つ魔力自体強くは無く、父自身も能力者では無かった。それでも、だからこそ、ずっと愛してくれた。
階層意識――家柄やコネという柵こそありながら出世の約束されている能力者達と違い、非能力者は常に弛まぬ努力を強いられた。だからこそ両親は常に良い学校を探してくれたし、常日頃努力する事を教えてくれた。能力者に負けず幸せを勝ち取れと、そう聞かされて育った。
父は自らの経験則からか、幸せになる為に出世に拘れと常々話していた。母が、自分に魔力が無かったばかりにと悔やむ顔を見たくなかった。


「が、ぁ……あ、」
「頑張ったね。でも、能力を持たないキミは所詮その程度なんだ」


口元から、だらしなく涎が垂れる。つい数秒前まで水鳥が水を掻く様にもがいていたその足も、遂にはその足を止め、重力に従って揺れた。瞳は当に虚ろにさ迷っていて、首元に置かれた手の力の込め具合で景色は変わる。


「ありがとう。君は良い情報を持って来てくれた。さよなら」


ごきりと重い音が響いた。
重い物体が乱暴に地に落ちる音。それからその一室に響く呼吸音は、誰に知られる術も無く、一つ減った。
残った声は楽しげに鼻歌を歌いながら、帯刀していた刀を抜く。
すらりと延びた刀身を掲げ、それはまるで玩具を手に入れた子供の様に笑った。

「これで俺達も、漸く鬼退治の開始だ」




――幸せの為に生きた道を、一体どこで、間違えたのか。――


 
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